のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

映画「スポットライト」

誠実で丁寧な作品だと感じた。

純粋な娯楽とは言い難い。

だが、まさしく観る価値のある映画。

 

スポットライト~世紀のスクープ~

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カトリック神父による児童の性的虐待。

それを隠蔽する教会。

この巨大な権力に対して、新聞が立ち向かう。

 

まず、日本人からすると、カトリック教会の存在がいまいちピンとこない。

ただ、理解できずとも、話にはついていけるので心配ない。

感覚的な話をすると。

教会を疑うってのは、自分が立っている大地を疑うようなものなのだと思う。

 

権力を持つ者に対して、言論で立ち向かう。

"ジャーナリズム"の理想の姿ではないか?

 

批評が目的ではない。

重要なのはムーブメントである。

言論により、社会の波を生み出すのがジャーナリズムなのだ。

 

批評家について考える時。

常に思う事。

行動をしない批評家は無価値である。

もしくは、行動につながらない批評は無様である。

 

会社において・・・

"〜すべきだ!"と毎回会議で同じ主張する者。

ならば、今すぐやれよって話なのである。 

どんな批評も最終的には行動につながらなければ意味がない。

 

ただ、常に行動者が偉大か?と言うと、そうでもない。

木を見て森を見ぬ"即時実行型"の人物は大抵チームを混乱に導く。

そこら辺が難しい所である。

 

特に、不特定多数に対して情報を発信するマスメディアはこのジレンマに陥りやすい。

 

昔、就職活動で新聞社を訪れた時。

こんな場面を見たことがある。

 

学生「社会を変えたいと思って新聞記者を目指しています。」

新聞記者「それならば、政治家になったらどうだろう?」

・・・

これはまさしく正論だと思った。

新聞記者は、行動者ではない。

社会の変革における内側にいないのである。

・貧しい人へのセーフティーネットを。

・男女平等の社会を。

・環境に優しい社会へ。

・・・

そんな御託をいくら並べても社会は変わらない。

実際に社会を変えるのは、そこにいる人々である。

 

では?

新聞とは?ジャーナリズムとは?

 

社会の中で照らすべき所を照らす"スポットライト"である。

人々の耳目を集める。

隠蔽された真実を明るみに出す。

結果、社会が進むべき方向を選ぶ。 

進んでいく道筋を決めるのではない。

判断するのは、人々である。

 

本作を観た後。

映画的な感想よりも、歴史的な事実(実話に基づくとの事)に対する思慮が先にある。

マスコミと聞くと、嫌悪感がある人もいるとは思うが・・・

この映画を観ると、役割の重要さを改めて感じる。

 

※追記

信念を持って、何かに取り組む姿はカッコイイ。

不謹慎について

"不謹慎だ!"

とよくネットで話題になる。

震災後に笑顔の写真をSNSにアップすると、"不謹慎の大合唱"が始まる世の中である。世知辛い事、この上なく。

※この件について、個人的には叩くほどの事か?と思う。

 

雰囲気で察してもらえたかもしれないが・・・。

個人的に、この"不謹慎の大合唱"があまり好きではない。

※最近、不謹慎狩りに対する批判も多いしね。

 

そもそも、不謹慎とは?

・本来は慎むべき状況で、その場にそぐわない行動をする事。

として考えられる。

 

例えば、葬式で笑ったら不謹慎、とされる。

 

僕自身は以下の条件に合致する際、不謹慎だがニヤけてしまう。

 

<条件>

①自分も含めた複数の人で怒られている。

②ただし、自分には全く落ち度がない。且つ、怒られている中心人物ではない。

③怒っている人は理性を失っている。

④内容はどうでもいい事。

 

こういう場合、"うわ、こいつめっちゃキレてる・・・"とおかしな気持ちになってしまう。

(このシチュエーション自体に多くの人が同意してくれるかは不明だが。)

緊張感がある場面で、笑ってしまった or しまいそうになった、経験は誰しもあるのでは?と思う。

 

ただし、緊張感のある中で笑ってしまったら=不謹慎であるか?と言えばそうではない。

逆に、緊張感の中で笑いが生まれて、場が和んだ、経験も多い。

場が和むのみならず、大抵の場合、その後、良い方向に進む。

その時の笑いは不謹慎とされない。

 

個人的な意見を言えば。

緊張感のある場で笑いを生みだせる人は懐が深い。

且つ、尊敬すべき人である事が多い。

 

一方、緊張感を伝染させる人もいる。

不自然に緊張している人は周囲を緊張させてしまう。

これは空気感染である。

部屋一体を緊張させる"緊張感パンデミック"を起こしてしまう人は社会から疎んじられる場合が多い。

決して、不謹慎との批判は受けないが。

 

笑いと緊張感は対極の存在ではない。

(不思議な気もするが。)

緊張により生まれる笑いも存在する。

変な緊張感が面白く感じる事もある。

 

イメージをする。

円を描くと、始点と終点は同じ所でつながる。

笑いと緊張感の関係は円で表現できる気がする。

緊張感が高まるにつれて笑いから離れているような気がするが、ある所まで行くと原点に戻ってくる。

結局、切っても切れない関係なのであろう。

この考えは、人間は何故笑うのか?との難問と根っこを同じくすると思う。

 

さて、不謹慎に話を戻す。

不謹慎だ!と叩かれるのは、多くの場合、緊張感が蔓延すべき事態において、である。

まぁ、平たく言えば、こんな大変な時に何を呑気なって話なのだが・・・。

 

緊張ばかりしていても仕方がないし。

緊張感は一回りすると笑いに変わると思う。

円は進み続ければいつか原点に戻るから。

緊張感の中で見つけた笑顔は、原点に戻るべく道標である。

大切にした方が良いのではないだろうか、と考えた方が良い気がする。

映画 「ルーム」

深い闇から抜けだして一歩を踏み出す時、小さな勇気が強く背中を押してくれる。

心に重くのしかかっていたものは…

小さな勇気と一緒なら全く違う景色に見えた。

・・・

これは、小さな勇気の物語。

新しい世界へ踏み出す、小さな小さな勇気の物語。

 

映画「ルーム」

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これは母と子の話。

二人は狭い部屋にいる。

それが何故なのか?はわからない。

だが、観客は次第に知る事になる。

部屋が母子にとって何を意味するものなのか。

 

※以下、予告編で触れている範囲で。

 

母と子は、"監禁されている"のである。

小さな部屋に7年。

ある男に監禁されている女。

女は19歳の時に見知らぬ男に監禁されて、そこで子供を産んで母親になった。

 

主題を明確にしておこう。

母親は監禁した男の子供を産んでいる。

つまり、レイプされたのである。

もっと言えば、7年間監禁されレイプされている、のである。

 

この点について。

主題が明確。

レイプした監禁犯の子供を産んだ。

その子供を心から愛している母親について。

 

だからといって、レイプシーンが連続するような映画ではない。

本作は子供の視点で描かれる。

だから、我々は、結果としてそうなっている事のみを知る。

 

子供は、その部屋以外の何も知らない。

自分が監禁されている事すらもわかっていない。(教えられていない)

産まれた時から部屋にいるからである。

子供の名前はジャック。

そう、ジャックにとって"部屋"は世界の全てなのである。

 

ポスターに載っている

"はじめまして【世界】"

とは、文字通りの意味である。

ジャックは、外の世界について何も知らない。

彼にとって、部屋にあるもの以外は全てがはじめまして、なのである。

 

本作は、単純な監禁されている部屋からの脱出劇ではない。

肉体的な監獄よりも精神的な監獄に重点が置かれている、と思う。

ジャックが未知の世界に歩んでいく物語なのである。

 

犯罪被害、において。

世界はあまりに残酷な時がある。

興味本位の世間であったり、マスコミの取材合戦もある。

被害者に落ち度があったのでは?と見られる事も。

心ない言葉に傷つく事もあろう。

そこから、逃れるためには部屋に閉じこもるしかないのか。

・・・

違う。

ただ、世界はそれだけではなく。

一方で、つなぎとめるものがある事を知る。

部屋のドアを開けようとしてくれる存在がいる。

 

劇中。

ジャックが世界とのつながりを持った瞬間がある。

母親以外の世界と初めて、つながりをもった時。

とてもありきたりな、使い古された言葉で表現されたのだが・・・。

心に染みた。

 

観ている最中におもしろい映画と言うよりも。

観終わった後に心に残る映画であったように思う。

 

 

 

 

 

 

 

細菌とウイルスの話。

細菌とウイルスの話。

目に見えない奴ら。多くを知らず。

 

僕自身の認識から話を始めたいと思う。

 

まず、僕自身、細菌とウイルスの区別が不明であった。

細菌?ウイルス?そんなん知らねーよ。

どっちも風邪を引き起こす悪い奴らだろ?"

…との認識。

 

常識的な話なのかもしれないが。

知った時の"え!そうなんだ!"との感情は強いものあり。

説明を試みたい。

 

■大きさ→"ウイルス<細菌"である。

ウイルスよりも細菌の方が大きい。

 

具体的な大きさを比較すると。

 

・髪の毛の太さ…約80マイクロメートル

 ※(剛毛の人はどうだか知りません)

大腸菌(細菌)…約3マイクロメートル

・インフルエンザウイルス…約100ナノメートル

 

ナノメートル???何じゃこの単位は?

…となった人のため、マイクロメートルに合わせましょう。

 

・インフルエンザウイルス…0.1マイクロメートル

→髪の毛の太さが80マイクロメートルですので、小ささが浮き彫りになります。

 

冬になると、インフルエンザウイルスが大流行。

我々は、かなり小さい奴らに倒されているわけですよ。

 

ただし、違うのは大きさだけではない。

ウイルスには細胞がない。

そのため、エネルギーやたんぱく質を生み出す事ができない。

 …

要するに、ウイルスは独力では生きる事ができない。

故に宿主が必要。

よって、ウイルスは我々と同盟を結んでも不思議ではない。

つまり、宿主が死んでしまったらウイルスも共倒れする

 

例えば、会社に入社したとして。

会社が潰れたらあなたの給料は支払われなくなります。

よって、あなたは会社が潰れない程度にがんばります。

非常に単純な話。

そこには共生関係がある。

 

この共生関係がウイルスを考える上で重要。

ウイルスも、宿主にダメージを負わせたくないのだ。

 

この事を考える上で、おもしろき例あり。

紹介したい。

 

1950年代のオーストラリアにて。

ウサギが爆発的に増殖し、食害などを引き起こし問題となった。

そこで、ウイルスによるウサギ駆除作戦が立てられた。

 

作戦はシンプル。

・ウサギ粘液腫ウイルス(ウサギ致死率 99.8%)を使用して駆除する。

つまり、ウイルスをばらまくことでパンデミックを引き起こす作戦。

 

99.8%致死のウイルスである。

ウサギにとっては恐怖そのもの。

インフルエンザウイルスがかわいく思える。

 

当然、効果あり。

6億羽と推定されたウサギの90%は駆除されたとの事。

 

さて、問題はここから。

致死率 99.8%を誇るウイルスの致死率は未来永劫変わらなかったか?

 

否。

 

・2年後には致死率 80%

・6年後には致死率 20%

と致死率は低下していった。

 

ウサギの免疫によるものである。

何となく理解できる。

 

ただ、驚くべき事は・・・。

6年の時を経て、ウイルス側も変化していた事である。

つまり・・・

①6年間経ち、致死率が20%に低下した状態でウサギからウイルスを採取する。

②感染を経験していない(免疫なし)ウサギにウイルスを摂取する。

すると、ウイルスの致死率は50%程度に下がっていたそうである。

 

致死率 99.8%ウイルス

→6年間ウサギと共生

→→致死率50%に低下。

である。

 

この事、ウイルスの適応と解釈できる。

ウイルスにとって宿主を殺す事はメリットがない。

だから、ウイルスもまた変化したのである。

 

ウイルスと聞くと、誰しもが眉間にしわを寄せるような嫌われ者である。

ただ、悪気があって攻撃を仕掛けているわけではなき事。

適応さえしてくれれば、インフルエンザウイルスだってウェルカムなのだけどね。

 

 

 

 

映画「リリーのすべて」

夫が女性として生きたいと願った時、妻はすべてを受け入れた。

 

映画「リリーのすべて」

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本作のテーマは"性転換"である。

男性として生を受けた主人公が、女性として生きる事を望む。

 

舞台は1926年のデンマーク

世界で初めて性別適合手術を受けたリリー・エルベの実話を描いた伝記ドラマである。

 

主人公の名前はアイナー。風景画家である。

妻はゲルダ。同じく画家。

画家夫婦は、幸せに暮らしている。

 

ある時、妻のゲルダに頼まれて夫アイナーは女性モデルの代役を務める。

その時、物語が動き出す。

 

女性モデル用のストッキングとドレスを手にした時・・・

アイナーは自分の中に"女性としての自分"がいる事に気づく。

それが、"リリー"である。

そこから男性アイナーは女性リリーとして生きる事を望むようになる。

 

"女性としての自分"について。

男性として生まれながら、女性としての内面に気づく。

言葉にするのは簡単である。

 ただ、その感情を理解するのは難しい。

 

本作では、その理解し難い感情が巧みに表現される。

内側からくる衝動。

男として存在している事への違和感。

単純なセリフで表現されるのではない。

指先やまなざしをもって感情が伝わる。

・・・葛藤は深い。

 

アイナーは、女装をしてリリーとして生きる事に喜びを見出す。

一方、妻のゲルダは、夫であるアイナーを失う事に煩悶する。

 

当然の話である、と思う。

夫・男性として愛したはずの人が、女性になりたいと言うのだから。

 

本作は、リリー(アイナー)が主人公であるが、一方で妻のゲルダの物語でもある。

夫が女性として生きたいと望んだ時、妻はどのような思いを抱くのか?

もしくは、何をしてあげるのか?

 

愛する人。

愛する夫。

2つの表現は一般的には同じ事と捉えられる。

だが、本作においては意味合いが異なる。

 

"愛する人"を支える事は、"愛する夫"を失う事を意味する。

この葛藤をゲルダは一身に背負う。

 

そして、物語が佳境に入る所でリリーはある可能性を知る。

それが、"性別適合手術"である。

つまり、肉体的に女性となるための手術だ。

1920年代なので、命の危険もあると医者からは説明を受ける。

だけど、本当の自分になる事ができる。

・・・

女性として生きたい、そう願うリリーの思いは切実だ。

 

極めて繊細な作品。

面白かった、と単なる言葉で表現できず。

美しく心に残る秀作。

 

観終えて。

人を愛する事の意味を考える。

夫として愛するのではなく。

1人の人間として愛した。

自分だったらどうだろう?と考えた時。

つながりの深さに心が揺さぶられる。

映画「オデッセイ」

 "孤独な男"。

ただし、想像の範疇を大きく超える孤独である。

何故なら、その男は・・・

"火星にただ一人置いてかれた"のだ。

もう一度繰り返す。

"火星にたった1人、取り残された"のである。

 

地球までの距離 2億㌔以上との事。

想像してみましょう。

一番近い人間が2億㌔以上離れた所にいる状況を・・・。

当然、生き物もいませんよ。

・・・

孤独どころの話ではございません。

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映画オデッセイ。

原作があるらしいが未読。

 

本作はサバイバル映画である。

マット・デイモン演じる主人公が、火星に独り取り残される話である。

置いてけぼりになったが、生き残ろうとする話である。

くどいようだが、"火星にたった一人になった男"の生き残りをかけた闘いだ。

 

火星で独り生き残ろうとする話?

どうやって?水も食料もないのに?

なんなら、酸素すらないんですよ?

 ・・・

と、数多の疑問が浮かぶに違いない・・・。

その辺りは観てのお楽しみ。

 

ただ、先に言っておくが。

本作は、リアリティのない作品ではない。

※少なくとも一般的な観客からすると。

※プロの宇宙関係者が見たらどうか知らないっすよ。

 

例を挙げると・・・

・火星でジャガイモを育てようとする。食べるために。

 

火星×ジャガイモ=どうやって???

 

本作の見所はこの辺りである。

火星とジャガイモのギャップが魅力的。

 

さて。

日常生活で、火星に取り残されるような事はなく・・・

心情、推し量るのも憚られるが。

思うに、絶望的な状況だと思う。

火星に独りなのだから当たり前だ。

 

僕なんて、残業中に会社で独りになった時ですら絶望感を感じる。

絶望の深さは、比ではない。

命を天秤にかけた状態で火星に独り、である。

・・・

それでも、男は前を向いた。

そう、明るいのである。

悲壮感がない。

彼を見ていると、希望が湧く。

と、多くの人が語るであろう。

人は孤独でも希望を生み出す事ができるのだと教えられる。

 

宇宙映画と言うと。

ドンパチやるSFやら、地球に向かう隕石を破壊しようとする感動モノが思い浮かぶが、本作は毛色が違う。

科学を武器に生き残ろうとする闘いです。

 

それにしても、火星に1人、とのシチュエーションで良くもまぁこんなに面白い作品を仕上げたものだ。

2人ならわかる。

→会話が可能だから。

1人なのにどうやって物語を進めるの?と思うでしょう。

心配することなかれ。

観ればわかります。実に展開が巧みです。

 

本作。

少し変わった見方をすると。

・仕事上におけるマネジメントの大切さを学べる。

宇宙に関する仕事はチーム戦であるが故。

一体感なくして成立せず。

 

さて。

最後にまとめ。

・実におもしろい作品だと思います。

・多くの人が星4つ以上をつけるのでは?☆☆☆☆

 

・あえて言うならば、細部のまとまりに欠けた。

 →特に原作を読んだ人がどう感じるかが不明。

 

マット・デイモンの明るさに救われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"免疫力を高めたければ、今日を笑って楽しく生きましょうや。"「笑いの免疫力」

"免疫力を高めたければ、今日を笑って楽しく生きましょうや。"

と主張する人の書いた本である。

 

「笑う免疫学」

藤田紘一郎

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僕は、この"笑う免疫学"みたいな考え方が結構好き。

笑っていようが、病気になる時はあると思います。

万能薬ではないでしょう。

でも、笑う事で元気になれる(=免疫力が高まる)なんて、ステキな話じゃないですか。

笑う門には福来たる、です。

 

ただ、本書は"笑えば健康になれますよ〜"との薄っぺらい精神論のみを述べた本ではない。

免疫の仕組みを一通り、バランス良く知る事ができる。

免疫についての入門書と捉えてよいだろう。

 

本書にて。

体の免疫力で重要なのは・・・

・腸が70%

・心が30%

と書かれている。

 

つまり、30%の部分が"笑って生きましょうや"である。

 

では?残りの70%は・・・

腸。

腸?なんで?そんな重要なの?と思った人。

問答無用で読んだほうが良い。

 

腸の状態は免疫力に大きく関係する。

ポイントは"腸内細菌"である。

 

腸内細菌について知ると、"細菌"のイメージを一変する。

 

僕自身、"細菌"と聞くと・・・

"目に見えないけど、人体に悪影響を及ぼす悪い奴ら"程度のイメージしかなかったのだが・・・

実際は、重要な役割を果たしている事がわかる。

 

本書の内容を引用すると・・・

人間がここまで進化出来たのは、腸内細菌を腸に棲ませたからである、とまで語る。腸内細菌はいい仕事してますよ。

 

免疫について思う事。

 

まず、免疫力がなくては人は生きていけない。

それを前提に・・・

免疫力を手に入れるために、腸内細菌は不可欠である。

並べると、生きていくために腸内細菌が必須である事を意味する。

 

この"細菌との共生"の考え方が、僕にとって馴染みのあるものではなかった。

(皆が皆、同じように思っているとは限らないが・・・)

僕自身にとって、"抗菌は正義!殺菌は善!"みたいな感覚があった。

 

この感覚が・・・

・"手洗いうがいをしましょう"とのスローガンの元に植え付けられたのか?

はたまた・・

 "抗菌を売りにする資本主義市場"により刷り込まれたのか?

は不明である。

 

ただ、間違いなく。

とにかく菌を滅殺すれば健康になれますよ、みたいな発想は間違っている。

なんなら、菌を体内に入れた方が腸内細菌が活発になるから良いようである。

もし、子供ができたら、"公園で遊んじゃダメ!!!バイ菌がいっぱいだから!!!"とは、言わない方が元気に育つようです。