逆さメガネをご存知だろうか?
視覚の全てが上下逆さに見えるメガネである。
いつもの景色が上下逆に見えるのだから違和感があるのは言うまでもない。
僕自身はかけた事はないのだけど。
かけた人曰く、乗り物酔いみたいに気持ち悪くなるそうである。
そんな逆さメガネも1ヶ月ほど生活すると慣れてしまう、との話は脳科学の世界では有名である。
つまり、最初は違和感があれども。
時間が経つと何の問題もなくなるのである。
脳の適応力との点で、これほど顕著な例はなく。
物事が上下反対になっても、問題なく日常生活を送れるって凄い事だと思う。
ただ、人間の網膜は構造上、常に上下逆の像を見ている。
日頃見ている景色の方が上下逆なのだ。
※詳しく知りたい人は検索してみて下さい。
上下逆さまに写っているものを脳内で正しく変換していると言って良い。
人間の網膜に映っている像は上下が逆さまなのだが、脳内で逆さまに認識していないのである。
これらの事実は、脳がいかに適応力を持っていると気づかせてくれる。
一方で、結局、脳にとっては上下がどうあろうと問題がない事を物語る。
つまりは、脳にとって正しいかどうか、は、どちらの世界で多くの時間を過ごしたか?によりけりなのである。
上下がどちらに見えようと脳は適応できる。
自分が見ている世界が上下逆さまのものではなく、正しい世界だと思い込む事ができる。
逆さメガネをかけると一時は逆さに見えるが、後々に違和感がなくなるのである。
この事実。
恐ろしく思うのは・・・
脳が如何なる環境にあろうとも、自分が正しいとの自己修正を繰り返し、最終的に自分が正しいと思い込むが事ができる、との点である。
僕自身30年近く生きているが、自分が世界を上下逆さまに見ていると思った事は一度もない。
これ自体が"慣れの産物"であり、自分は正しいと脳が自己補正をした結果なのだと思う。
僕は脳の基本的な性質は自分が正しい、と思い込もうとする事にあると考えている。
上下が逆さまの景色に"違和感を感じなくなる=正しい世界にいると思い込む"事が実にわかりやすい例ではなかろうか。
さて、自分の見ている世界に対する脳の補正能力について触れたが。
敷衍して論じると。
他のありとあらゆる事についても脳は自分が正しいと思い込もうとする習性があると思っている。
なので、ありとあらゆる人が、自分は正しい、と思って行動している、のではなかろうか。
空気が読めないとか、こいつ頭おかしいな、と思う人でも。
個人の脳内では、自分が正しい事をしている、との認識で行動しているのではなかろうか。
そんなわけで自分の非を認める、のは誰にでもできる事ではなく。
脳内の生物学的な習性とは真逆な行動であると思うのだ。
だからこそ、非を認める事で人は正しい世界を認識できる可能性を持つ。
その事を忘れないようにしよう。
※引き続き、「単純な脳、複雑な私」池谷祐二さん、から。