のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「イノセントデイズ」〜儚き雪の結晶を抱くような話〜

書店が推している本。

すなわち、流行りの本に手を出したのは久しぶり。

目立つ場所に平積み。

話題であろう事、間違いなく。

著者も内容も知らぬが、読んでみようと思いて手に取った。

 

日曜日に購入して。

月〜火で読み終えた。

 

夢中になれる本である事、保証する。

 

「イノセントデイズ」

著者 早見和真

f:id:anfield17:20170426230310j:plain

 

あらすじを引用。

田中幸乃、30歳。

元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。

凶行の背景に何があったのか。

産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がるマスコミ報道の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。

幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。

 

死刑囚の話。

名前は、田中雪乃。

彼女が死刑執行に向けて連行される所から物語は始まる。

 

テーマが死刑。

決して軽い話ではない。

"少女はなぜ、死刑囚になったのか"を読み解く物語である。

 

本作は、田中雪乃たる人物を他者の目線で描きながら紡がれていく。

つまり、他者の視点から田中雪乃たる人物像を炙り出す形で構成されている。

 

再び引用すると。

産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から田中雪乃の人物像を描く

のである。

 

田中雪乃は死刑に値する、とマスコミで描かれている点。

対して、近しい人物から見た彼女の姿にギャップがある事に主題がある。

つまり、主観的見地から、彼女は死刑に値しないのではないか?と読者に思わせる作品である。

では、何故?との興味に読者は吸い寄せられていく。

 

様々な人物から語られる田中雪乃の人物像が徐々に読者の中に形成される。

まるで、初冬に降り積もろうとする雪のように儚い存在であると気づく。

読者は思う。

"田中雪乃は本当に死刑に処されるべき人物なのか?

 

2パターンの結末を想起する。

(言ってしまえば、田中雪乃は犯罪を犯したのか?否か?死ぬのか?生きるのか?である。)

その点、ミステリーのようなドキドキする要素を含む。

故に、最後まで緊張感を保つ構成となっている。

 

結末に対する解釈は人それぞれ。

(解説の辻村深月さんの見解は胸を打つ。)

この点は読んで自分なりに咀嚼して欲しい。

 

イノセントとは、"潔白な・純潔な・無邪気な・無垢"との意味である。

イノセントな存在が壊れようとしている時、人は守りたいと思う。

守りたいとの感情が芽生えた時、本作は読者の感情を揺さぶる 。

 

雪乃、たる主人公の名前にもあやかっているが。

 

本作の感想は・・・

まるで、雪の結晶を崩したくないとの気持ちに似ている。

儚くて、壊れやすいもの。

でも、美しくて守らなければいけないもの。

そんな存在にどう向き合うのか?との話である。

 

映画でいうと、グリーンマイルに似ている。

壊してはいけないものを壊そうといる感覚。

手を差し伸べる事ができたなら、どんなに楽な事か。

「マリリン 7日間の恋」

「何を着て寝ますか?」

「シャネルN°5を数滴」

・・・

マリリンモンローを語る上で有名なやりとりである。

・・・

僕は香水に興味はないのだが。

このやりとりで"シャネルN°5"だけは知っている。

(具体的にどんな香りかは知りませんけどね。)

 

「私は寝る時、シャネル N°5だけを身に纏って寝るわ」的な発言。

これはマリリンモンローだから許される言葉であって。

恋人から言われても・・・

"風邪引くよ。服着な。"と言ってしまう気がする。

 

僕はマリリンモンローをリアルタイムで知らない。

「何を着て寝ますか?」

「シャネルN°5を数滴」

の人、との印象。

そして、その言葉がぴったり似合う女性なんだろうな、と思っていた。

 

マリリンモンローは「永遠のセックスシンボル」と評される。

※セックスシンボル(性的な魅力に溢れた人の事)

 

どんな気持ちなんだろう?と、思うよね。

性的な目で見られるのをどう思うか?との話は論点になるが。

ともすれば、"気持ち悪い好奇の目"とも思えるし。

それで芸能界を辞めたくなる人もいるわけで。

 

プレッシャーとの言い方が正しいのかわからないが。

型にはめられて演じるってのは苦しいもの。

"セックスシンボル"としてのマリリンモンロー。

では、そうではない彼女は?

 

マリリン 7日間の恋

f:id:anfield17:20170416213339j:plain

 

本作の肝はマリリンモンローの内面的な部分に触れた点。

 

あらすじを引用。

数々の伝説に彩られた女優マリリン・モンローと年下の英国人青年との知られざる純愛を描いた、甘く切ないラブストーリー。

主演のミシェル・ウィリアムズがモンローの天真爛漫、繊細でピュアな側面に焦点を当てた役作りで数々の映画賞を受賞。

f:id:anfield17:20170416213352j:plain

f:id:anfield17:20170416213359j:plain

 

僕自身はマリリンモンローを知らないので。

マリリンモンローを演じたミシェル・ウィリアムズが似ているか?否か?は不明だが。

マリリンモンローの不安定な内面がシーソーのように揺れるのを見事に描いていたと思う。

 

一方、恋人役であるコリンを演じるエディ・レッドメインも光る。

いいところのお坊っちゃまがマリリンモンローに恋していく様が見事にハマリ役。

彼は繊細さを体現するのが巧み。

その後「リリーのすべて」で脚光を浴びたのも頷ける。

 

※出演者に美人のお姉さんがいると思ったら、エマワトソンだったとのおまけもある。

 

大女優であるマリリンモンローと若造であるコリン(エディ・レッドメイン)の恋物語なんて・・・

どーせお遊びだったんでしょ?的な解釈もわからないでもないが。

 

本作は、若造であるコリンの目線で主観的に美化された恋の物語と捉えたい。

過去の恋は一瞬だけを切り取ればほぼ100%宝物になる。

結果的に別れた恋であってもそうではないだろうか?

 

一瞬だけであったとしても、そこに真実があったならば。

僕はそれを信じて宝物にして良いと思う。

注いだシャンパンの泡が消えたとしても。

泡が存在したのは事実なんだから。 

 

いわば、年上の大スターとの恋愛との妄想に近い。

なんとなくノスタルジックな感じがするのは何故だろう。

「ミリオンダラーベイベー」

昔、予備知識なしに観て衝撃を受けた。

今回、2回目。

改めて素晴らしい映画と感じる。

 

多くの人に観て欲しい映画。

全てが丁寧。

 

「ミリオンダラーベイベー」

 

"選択"の物語だと思う。

 

人は誰しも、"選択"をする。

進路、転職であったり。

成功と失敗が50/50とは限らない。

時に、失敗する可能性が高くてもチャレンジする場合もある。

 

チャレンジは"成功と失敗"の可能性が表裏一体。

成功はヒーローで、失敗は戦犯。

やってみなければわからない、とは言うものの。

失敗した時の結果は受け止めなければならない。

 

本作は"選択の先にあるもの"を描く。

成功と失敗。

歓喜と悲劇。

・・・ 

"選択"には結果がつきまとうから迷うのである。

そして、別の選択肢を選んだ結果が想起されるから後悔するのだ。

 

これは誰しもが経験する事。

故に、本作は胸に迫るものがある。

 

あらすじ

ボクシングの話。

女性ボクサーであるマギー。(右)

トレーナーであるダン。(左)

f:id:anfield17:20170402190025j:plain

 

マギーは貧乏。

ウエイトレスのバイトをしながらボクシングを続ける。

話が進むと家庭環境に恵まれていなかった事がわかる。

 

ダンは、見ての通り老人。

ボクシングトレーナーである。

ただ色々な影を抱えている。

 

マギーとダン。

ボクサーとトレーナー。

二人の邂逅から始まるボクシングの物語。

少しずつ信頼を重ねて心を通わせていくが・・・

 

これ以上はネタバレになるので触れず。

ただし、ロッキー的な話ではない事だけはお伝えしておく。

 

光は影があるから存在を感じる。

逆もまた然り。

眩い光が鮮やかであれば鮮やかな程、陰影は強くなる。

 

グラデーションが巧みに描かれた一枚の絵を鑑賞した気分。

本作は、そのグラデーションの中に人間の尊厳を投影する。

 

選択に対し賛否両論はあるだろう。

だけど、個人が正しいと信じて進んだ選択の道を僕は肯定的に捉えたい。

 

宗教であったり、人種の壁の考え方が入り混じりつつ。

人間の尊厳について考えたくなる。

あらゆる問題を包括した映画。

ここまで倫理観を揺さぶられた映画は初めてであった。

久しぶりのスティーブンキング「ペットセマタリー」

久しぶりにスティーブンキングの作品を読んだ。

 

思えば、読書人生の先駆けにいるのがスティーブンキング。

地元の図書館によく置いてあった、との背景もあるが。

紡ぎ出す世界観が好きだった。

 

彼の作品は大きく二つの分類があって。

①ハートウォーミング

②ホラー

まったく逆のベクトルを描けるのが彼の実力なのだろう。

 

なお、スティーブンキングというと、あまり知らない人もいるのだが。

多くの名作映画の原作となっている。

挙げるなら・・

・「スタンドバイミー」

・「ショーシャンクの空に

・「グリーンマイル

などなど。

言うまでもなく珠玉の名作。

 

僕は、スティーブンキングをオススメする時によく・・・

「これだけ作品が名作映画になっているのだから、原作も名作に決まってるじゃん」

と言う時がある。

素晴らしい小説が必ずしも良い映画になるとは思わないが。

駄作の小説はそもそも映画化されません。

良い小説には素晴らしいスタッフがつく。

など、条件は揃うのと思う。

 

加えて、スティーブンキングの作品は映画化しやすい、と思う。

いわゆる鉄板。

僕の中では、小説界のクリント・イーストウッド的な地位を占めている。

外れがないとの点で。

 

ただ、最近、離れていたのは。

翻訳文が肌に合わない時があるため。

 

「ペットセマタリー」

著者 スティーブンキング

f:id:anfield17:20170403212554j:plain

 

あらすじを引用。

都会の競争社会を嫌ってメイン州の美しく小さな町に越してきた、若い夫婦と二人の子どもの一家

だが、家の前の道路は大型トラックがわがもの顔に走り抜け、輪禍にあう犬や猫のために〈ペットの共同墓地〉があった。

しかも、その奥の山中にはおぞましくも…。

「あまりの恐ろしさに発表が見あわせられた」とも言われた話題作。

 

スティーブンキングはホラーの帝王と呼ばれる。

その名にまったく恥じない作品。

作品で一番好きとはいかないが。

スティーブンキングが好きだった時代を思い出すには十分だった。

 

総評すると、この人は恐怖のツボを知っている。

接骨院でよく効くツボを思いっきり押されるように、恐怖のツボに圧力がかかる。

決定的なシーンの描写がとにかく怖い。

読者に恐怖のイメージが膨れ上がる。

じわじわと空気を送り込まれた風船のように

小説で、あぁ怖いな、と思ったのはスティーブンキングが初めてだったかも。

 

本作も同じく。

真綿で首を絞められていくような恐怖感でじわじわと恐怖が募る。

 

田舎に引っ越してきた家族を襲う恐怖。

人間の本質的な弱さを逆手に取られた悲劇。

誰しも、自分だったら?を想像してしまうし。

その答えに戦慄して慄く。

 

またスティーブンキングを読み始めてみようかな。

 

「ラ・ラ・ランド」〜夢に恋する映画〜

"あれ?俺の小指、骨折してんのかな・・・?"

 

フットサルのキーパーでシュートを止めてから指が痛い。

不味そうな紫芋みたいな色。

友人は・・・

"膨れてシャウエッセンみたいになってるね、焼いて食べれば?笑"

と呑気な事を言う。

 

(心の中で、お前の指が折れちまえ、と毒づきながら) 

やっちまったかな、との懸念。

じわじわ迫る痛み。

 そんな不安要素を胸いっぱいに抱きながら、映画館に足を運び。

"骨折の懸念"を完全に忘れさせる程の劇場感のある映画に出逢った。

人間、骨折したかも?と思っている事を忘れるなんてそう簡単か事ではない。

 

ラ・ラ・ランド

f:id:anfield17:20170327212814j:plain

 

映画館は劇場。

現実から乖離した別世界に人々を連れ出してくれる。

スクリーンの中に意識を没入できるのが魅力。

ラ・ラ・ランド」は観客を夢の世界にいざなう。

煩雑な現実を忘れて。

 

明日の修学旅行が楽しみで眠れない布団の中の中学生のワクワク感を映画化したらこんな感じ。

終始、テンポが良くて、ワクワクする。

音楽が気持ち良い。

ミュージカル映画

登場人物が突然、踊り歌う。

好みはあると思うが、個人的には好き。

 

花が咲かない女優志望の"ミア"と燻っているジャズピアニスト"セブ"の恋物語

・ミアがエマ・ストーン

・セブがライアン・ゴズリング

まず、二人が魅力的、痺れる。

特にライアン・ゴズリングは近年観た映画の中で最もカッコいい男であった。

(ブルーバレンタイン、ドライヴを観て完全にファンになったのだが、惚れ直した。)

f:id:anfield17:20170327212826j:plain

f:id:anfield17:20170327213221j:plain

 

テーマは夢と現実。 

 

現実も描かれる。

オーディションに落ち続けるミア。

仕事をクビになるセブ。

それでも二人は夢を諦めない。

 

"夢に恋する映画"だと思う。

夢について考えるのはどんな時でも楽しい。

寝る前に自分の夢に思いを馳せて眠れなくなる子供のような気持ち。

本作は、かつてみんなが経験したであろう"夢に恋する自分"を鮮やかに呼び起こす。

 

僕はもう30歳になろうとしているけど。

この歳で再び夢に恋する感覚を味わえるとは思わなかった。

だから映画館に足を運ぶのをやめられない。

 

大人になって現実の中に埋没していくと夢見る事を忘れる。

鬱屈する日々だったりする。

だけど、本質的に"人は夢を見たい生き物"なんだよね。

だから、「ラ・ラ・ランド」みたいな映画を観ると心踊る。

 

なお、本作。

夢の世界へディズニーランドみたいな位置付けではなく。

ほろ苦さと儚さを兼ね備えている。

ただの夢の世界へようこそ、との映画ではない。

 

現実の中にある夢だからこそ、より一層美しく輝くのだと思い知る。

音楽が素晴らしい。

世界観に浸りたくなる映画である。

「ハサミ男」〜思わず"え?"となるミステリーの傑作〜

まあ、つべこべ言わずに読んでみてよ、とオススメする作品。 

ミステリーの傑作。

 

ハサミ男

 

殊能将之

f:id:anfield17:20170325164029j:plain

 

ミステリーで明かして良いのは"誰かが死ぬ事"だけである。

それ以上の紹介は蛇足。

犯人を知ってしまったミステリーなんて魚がいない水族館のようなものである。

 

とはいえど、あらすじを引用。

 

美少女を殺害し、研ぎあげたハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯「ハサミ男」。

三番目の犠牲者を決め、綿密に調べ上げるが、自分の手口を真似て殺された彼女の死体を発見する羽目に陥る。

自分以外の人間に、何故彼女を殺す必要があるのか。

ハサミ男」は調査をはじめる。

精緻にして大胆な長編ミステリの傑作。

 

本作を読むと、" え?"となる。

え?え?え?

"え?"の洪水である。

思わず声が出る・・・"え?"と。

※何が、"え?"なのかは読んでのお楽しみ。

 

僕は寝転がりながら本書を読んでいたのだけど。

途中で思わず座り直した。

背筋が伸びた。

衝撃のミステリー。

 

美少女を殺害してハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯 "ハサミ男"の話。

ただ、そこまでおどろおどろしい作品ではない。

人物描写の造形が深い作品でもない。

特に登場人物に共感するような事もない。

ただ、破壊力抜群の"え?"があなたを待ち受ける。

 

僕は、ミステリーの先を読むタイプではない。

気持ち良くスカーんと術中に嵌められる。

見事に嵌まらせていただきました。

 

小説の特性をここまで華麗に活かした作品は簡単に見つからない。

映画化されているようだが。

おそらく似て非なるものかと。

本作は、小説にしか成立し得ない技法で構成されたミステリーエンターテイメントである。

 

僕はミステリーが読みたい、と言う人には大抵「ハサミ男」を紹介する。

まあ、つべこべ言わずに読んでみてよ、と。

ド級の"え?"を保証する。

大江健三郎文学の金字塔。〜かつてあじわったことのない深甚な恐怖感〜

大学生時代に読んで衝撃を受けた作品。

再び手に取り、やはり衝撃を受ける。 

 

楽しい小説ではない。

個人的に暗いニュースが多いので。

どうせなら負のベクトルに突き進んでやろうと思った結果、手に取った。

 

「個人的な体験」

大江健三郎

f:id:anfield17:20170316220326j:plain

 

あらすじを引用。

わが子が頭部に異常をそなえて生れてきたと知らされて、アフリカへの冒険旅行を夢みていた鳥は、深甚な恐怖感に囚われた。

嬰児の死を願って火見子と性の逸楽に耽ける背徳と絶望の日々…。

狂気の淵に瀕した現代人に、再生の希望はあるのか?

暗澹たる地獄廻りの果てに自らの運命を引き受けるに至った青年の魂の遍歴を描破して、大江文学の新展開を告知した記念碑的な書下ろし長編。

 

頭部に異常を持つ子供が産まれた男の話。

そして、その子供が、"長くは持たずに死ぬかもしれない"と言われた時、男は何を望むのか?

障害をもって産まれてきた子供と直面する親の苦悩を描く作品。

 

苦悩・・・

そんな言葉で片付けられないかもしれず。

"人間としてどう生きるか?"との根源的な問いかけである。

 

男は、子供の死を望む。

障害をもって産まれた我が子の死を。

・・・

薄っぺらいヒューマニズム的な感情が、そうであってはならない、と思う。

だが、現実主義的な自分は、主人公の男に同調する。

 

我が子の死を望む。

そんな事はあってはならないし、あるべきではない。

ただ、頭部に異常を持った子供を簡単に受け止められるのか・・・。

子供の死を望み、何もなかった事にしたいと思わないと、誰が言い切れるのだろうか。

 

"自分だったらどうだろう?"

この問いかけは、脆弱な土台に支えられた正論を根底から覆す。

正論は当事者ではない立場だから簡単に言えるのである。

自分自身が直面した時に、局面はガラリと変わる。

 

大江健三郎さんの文学を読むと、自分が薄皮を一枚一枚剥がされていくような錯覚に陥る。

ヒューマニズムの膜に覆われていない自分の本質的な弱さが曝け出される。

何にも守られていない無抵抗な自分と対峙させられる。

 

僕自身、文学とはかくあるべし、と思っていて。

文学への没入は"自分を覆っている殻を少しずつ削いでいく作業"だと思う。

そして、"外殻が削がれ、薄膜で被われただけの自分と対峙を体験する行為"だと思う。

大江作品には、そこまで人を持っていくだけの力がある。