のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「猫鳴り」沼田まほかる

水中に沈められた文鎮のように。

心の中に残る。

異物として底に落ち、動かなくなる。

・・・

小説を読んだ感想である。

 

「猫鳴り」

沼田まほかる

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沼田まほかるさんの作品は「ユリゴゴロ」に続き、二作目。

 

冒頭の感想は「ユリゴゴロ」でも同種の事を感じた。

 

多くを語るには読んだ冊数が少ないが。

沼田まほかるさんの小説は異物感がある。

決して、気持ちの良い小説ではない。

(※2作品しか読んでません)

それが、"水中に沈められた文鎮"のイメージに重なる。

たった今読んだものが、たしかに、存在としてそこにある、感覚。 

 

僕は

・娯楽としての読書

・教養としての読書

も好きである。

 

ただ、本作はその類ではなく。

読んだ体験が残る読書である。 

 

あらすじを引用 

ようやく授かった子供を流産し、哀しみとともに暮らす中年夫婦のもとに一匹の仔猫が現れた。

モンと名付けられた猫は、飼い主の夫婦や心に闇を抱えた少年に対して、不思議な存在感で寄り添う。

まるで、すべてを見透かしているかのように。

そして20年の歳月が過ぎ、モンは最期の日々を迎えていた…。

「死」を厳かに受けいれ、命の限り生きる姿に熱いものがこみあげる。

 

猫が登場する話。

猫を飼った人の感動ストーリーかな、と思いつつ読み始めたが。

決してそんな事はない。

 

冒頭。

仔猫の"モン"を何度も何度も棄てる所からストーリーが始まる。

いや、モンは棄て猫であるので、元に戻す、との表現が正しいか。

 

家で鳴いている仔猫に気づいた主人公。

猫を飼いはじめるのではなく、鳴き声が聞こえないような所まで棄てにいく。

 

そこから先。

いや、このタイミングでまた棄てる??と思う場面が何度も続く。

解説も同じような事が書かれており。

「飼ってやればいいじゃないかよ」

と誰もが思う。

 

この辺りの描写で通常の猫小説とは明らかに一線を画するな、と気づく。

無論、最終的には飼われるのだが。

そこに至るまでの、生命を感じさせる描写、展開が実に力強い。

そして、リアルさがある。

第三部の老猫となった"モン"の描かれ方で更に克明なものとなる。

本作の魅力はそこにあり、故に、心に残るのだ。

 

本作は、一匹の猫を軸に生と死の際を見事に描いている。

そこにあるのは、綺麗事に修飾されぬ生命としての力。

決して、美しい描写が続く小説ではない。

だが、何度も言うが、心に残る小説である。

生命に備わっている"生きようとする意志"

そして、その煌き。

そこには人の心を動かすものがあるように思う。

 

「悲嘆の門」

宮部みゆきさんは"優れたストーリーテラー"である。

 

ストーリーテラー

話のじょうずな人。

特に、筋の運びのおもしろさで読者をひきつける小説家。

 

先を読まずにはいられない作品を次々と生み出す。

高校時代に図書館で宮部みゆきさんの作品を片っ端から借りた。

僕の読書ライフの礎をせっせと築いてくれた作家さんの一人である。

 

さて、何が面白いのか?との話になるが。

"優れたストーリーテラー"

に戻る。

ストーリーに惹きつけられる、との表現がピッタリくるか。

率直に、次を読みたくなる、のである。

これほど素直な褒め言葉はない。

 

なお、僕の中ではストーリーテラーとして

恩田陸さん

東野圭吾さん

を同じく評価している。

 

恩田陸さんはより物語感を強く。

東野圭吾さんはよりドラマティックに。

 

どちらにせよ、共通して、作品にハズレがない、と思う。

 

なお、以下、批判ではないのだが。

(そこらへんも含めて僕は二人の作家が好き)

恩田陸さんは伏線をばら撒いて全く回収しないパターンがあったり。

東野圭吾さんはドラマティックを狙いすぎて少々クサイ感じになったり。

ツッコミどころをふりまいているのに対し・・・

 

宮部みゆきさんは最もバランスが良いイメージ。

 

あえていうなら、現代もの、ファンタジー、時代ものと、異なるジャンルに対して好き嫌いはあると思うが。

 

今回読んだのが、「悲嘆の門」である。

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あらすじを引用。

 

インターネット上に溢れる情報の中で、法律に抵触するものや犯罪に結びつくものを監視し、調査するサイバー・パトロール会社「クマー」。

大学一年生の三島孝太郎は、先輩の真岐に誘われ、五カ月前からアルバイトを始めたが、ある日、全国で起きる不可解な殺人事件の監視チームに入るよう命じられる。

その矢先、同僚の大学生が行方不明になり…。

“言葉”と“物語”の根源を問う、圧倒的大作長編。

 

辛口コメントを残すなら。

少々、散らばった印象はあり。

 

現代を舞台にした小説かと思いきや、実はファンタジー。 

僕は現代モノだと思い込んでいたので、ファンタジー要素はいきなりのルール変更。

寝耳に水。

どっちかに絞っても良かったのでは?とはネット上のレビューでも多く見られたコメント。 

 

ただ、その点を除けば。

宮部みゆきさんの作家としての力に感服。

読もうと思う気持ちの止まらない事。

物語の推進力が強い事。

 

表現するならば・・・

ジェットコースターのように危うさを伴う推進力ではなく。

舗装された道路をトヨタのハイブリット車がすぅーっと進んでいくような気持ちの良い推進力、である。

物語に読者をうまく乗せていく。

宮部みゆきさんが優れたストーリーテラーと評される所以であろう。

 

なお、本作について。

僕個人の好みによると、ファンタジー要素なら「ブレイブストーリー」だし。

現代のミステリー要素なら「理由」「火車」の方が印象に残る。

ただ、「悲嘆の門」が、やっぱりこの人は面白いや、と唸らせる作品であるのは間違いない。

作品というより、久々に宮部みゆきさんの作品を読んだなぁ、との感想を抱いた。

 

 

「蝿の王」

もう10年前に読んだ作品。

衝撃的作品、と言っていいと思う。

"すごく面白いから読んでみなよ!!!"と紹介できる作品ではない。

だが、僕にとっては・・・

読書たる行為が強烈に精神を揺さぶるものである、と、思い知らされた作品の一つである。

 

大まかに語ると

・読書を体験としたいなら読め!

・読書を娯楽と考えるなら読むな!

である。

 

読書を体験と評すると実に抽象的であるので。

まぁ、言い方を変えると、本作を読む行為は・・・

"重たいハンマーで頭を思いっきり殴られるようなものである"

もちろん、あくまで精神的な意味合いにおいてだけど。

何かしら伝わると幸いである。

 

蝿の王

ウィリアム ゴールディング

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あらすじを引用

 

飛行機が墜落し、無人島にたどりついた少年たち。協力して生き抜こうとするが、次第に緊張が高まり……。

ノーベル文学賞受賞作家による不朽の名作、半世紀ぶりの新訳登場


疎開する少年たちを乗せた飛行機が、南太平洋の無人島に不時着した。

生き残った少年たちは、リーダーを選び、助けを待つことに決める。大人のいない島での暮らしは、当初は気ままで楽しく感じられた。

しかし、なかなか来ない救援やのろしの管理をめぐり、次第に苛立ちが広がっていく。

そして暗闇に潜むという“獣”に対する恐怖がつのるなか、ついに彼らは互いに牙をむいた―。

ノーベル文学賞作家の代表作が新訳で登場。

 

 

本作は、無人島の少年たちの話である。

ただし、そこから想像する、"少年たちの無人島冒険活劇"的な話ではない。

対極に近い。

最初は助け合っていた子供達が段々と狂気に侵食されていくストーリーである。

 

僕にとっては、"無人島と少年"の組み合わせが持つイメージをぶち壊した作品。

"無人島×人間の狂気"をテーマにした作品は多いが、本作はその中でも傑作であると思う。

 

なぜ?そう思うか?と問われれば。

10年を経ってもなお・・・

僕は本作の描写するシーンはっきりと記憶していた点、を持って理由としたい。

 

"10年間記憶から消えなかった小説ってそんなに多くありますか?"

と自問自答する事が証左となる。

 

本作は非常にイメージに残りやすい作品であり。

テーマとタイトルも含めてインパクト大。

 

作者はノーベル文学賞を受賞しており、世間的にも名作とされる。

かのような作品は、つべこべ語らずに"とりあえず読め"と言いたくなる。

 

この度、新訳が出版されたので書店にて手を取り、再読に至る。

かのような名作を新訳として世に送り出してくれたハヤカワ文庫に感謝である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕らだけの言葉 「サラバ!」西加奈子さん

"僕らだけの言葉で話そう。"

 

親密な二人は自分たちだけの言葉を持っている、と思う。

もちろん、それは言語的な話ではなく。

雰囲気を纏った言葉、というべきか。

体験を伴った言葉であり、思い出を象徴する言葉、である。

二人にしか意味を見出せない言葉、とも言える。

 

具体的に言うならば。

秋葉原

北の国からのモノマネ

・オプション

これが、僕にとっての、僕らだけの言葉、である。

意味不明で当然。

この"僕らだけの言葉"に意味を見出せる人間は地球上に一人しかいない。

ただ、その唯一の人物は確実に意味を感じ取る事ができる。

情景であったり、匂いであったり。

 

その僕らだけの言葉との親密であるが故に生まれるものであり。

共有した体験が象徴的な言葉によってフラッシュバックされる、とも言って良い。

 

と、ここまで続けてきたのだが。

そろそろ言葉の定義も完了したと思うのでこの辺で。

 

サラバ!

西加奈子

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"僕らだけの言葉"の小説である。

言い換えて。

"僕らだけの言葉"を想起した時の感情を鮮やかに蘇らせてくれる小説、である。

つまり、親密な誰かを思い出す小説。

大切な誰かの思い出を象徴する何かについて考えたくなる小説。

とびきり暖かい気持ちになる小説である。

 

あらすじを引用。

累計百万部突破!第152回直木賞受賞作

僕はこの世界に左足から登場した――。
圷歩は、父の海外赴任先であるイランの病院で生を受けた。

その後、父母、そして問題児の姉とともに、イラン革命のために帰国を余儀なくされた歩は、大阪での新生活を始める。

幼稚園、小学校で周囲にすぐに溶け込めた歩と違って姉は「ご神木」と呼ばれ、孤立を深めていった。
そんな折り、父の新たな赴任先がエジプトに決まる。メイド付きの豪華なマンション住まい。

初めてのピラミッド。

日本人学校に通うことになった歩は、ある日、ヤコブというエジプト人の少年と出会うことになる。

 

とある男の子が大人になるまでの小説。

少々長いが、西加奈子さんの語り口は面白いので苦にならない。

 

主人公の名前は圷歩。

彼の家族、人生、恋人の物語。

 

彼の人生には色々な事があり、ありすぎて語り尽くせないのだが。

猟奇的な姉の人生がかなり面白い。

もうとんでもない方向へ次から次へと転じる。

回転を加えたスーパーボールをおもいっきり投げつけた結果のように、どこに飛んでいくのかわからない人生。

呆気にとられるのは間違いない。

 

弟である主人公の歩は、まあその猟奇的な姉に人生を掻き回される。

洗濯機どころの掻き回し方ではない。

超大型で強大な勢力を持った台風が家庭内にいるようなもの。

本当にこんな姉がいたら・・・と考えるとゾッとする。

 

と、まあ、こんな感じで歩くんの非常に大変な人生が語られていく小説、である。

そして、先にも申しました通り。

彼の人生を語る中で、自分の人生における大切なものを思い出してく。

それが、読者にとっての"僕らだけの言葉"を呼び起こす小説である、の意味。

 

世間的にも話題になったので読んでみたが、素晴らしい作品であった。

 

西加奈子さんの作品は全て読んでいるわけではないのだけど。

登場人物への愛が滲み出ている気がする点がすごく良い。

 

 

恩田陸さんの小説について

恩田陸さんが大好きである。

 

僕が恩田陸さんの作品に最初に出会ったのは「六番目の小夜子」。

正直、内容はほぼ覚えていない。

ただ、夢中になって一気に読んだ事と、あっけない結末だけが記憶に残っている。

 

その後、恩田陸さんの作品は何作も読んでいるが、上記の感想は意外とブレない。

つまり、夢中になって、あっけなく終わる。

この点、白黒をピシッとつけたい人や、ドラマティックなラストを望む人には向かないとも思う。

 

ただ、上記を批判と受け取ってもらって欲しくない。

それでもなお僕は恩田陸さんが大好きなのである。

何故か?

途中経過が半端なく面白い。

そして、あっという間に世界観が浸透する。

 

ジェットコースターに似ているかもしれない。

スタートして結局、元の位置に戻るだけなのに、興奮冷めやらぬ。

スタートしてしまえば、もう他の事が考えられない。

ジェットコースターに乗っている人が"今日の夕飯何にしようか?"と考えないのと同じ感覚。

ちなみに僕はジェットコースターが苦手ですけど。

 

恩田陸さんの作品は大抵、生活の優先順位を乗っ取る。

とりあえず、恩田陸さんでも読むか、となる。

 

過去にも何作か紹介している。

 

anfield17.hatenablog.com

 

anfield17.hatenablog.com

 

さて、まさに恩田陸さんというべき作品を読んだので紹介する。

 

「夢違」

恩田陸

 

あらすじを引用。

夢を映像として記録し、デジタル化した「夢札」。

夢を解析する「夢判断」を職業とする浩章は、亡くなったはずの女の影に悩まされていた。

予知夢を見る女、結衣子。

俺は幽霊を視ているのだろうか?

そんな折、浩章のもとに奇妙な依頼が舞い込む。

各地の小学校で頻発する集団白昼夢。

狂乱に陥った子供たちの「夢札」を視た浩章は、そこにある符合を見出す。

悪夢を変えることはできるのか。

夢の源を追い、奈良・吉野に向かった浩章を待っていたものは―。

人は何処まで“視る”ことができるのか?

物語の地平を変える、恩田陸の新境地。

 

相変わらず、夢中になりました。

 

夢を映像化する、との設定が肝。

この子供がこんなことできたらなぁと考えそうな事を物語化できるのが恩田陸さんの素晴らしいところ。

恩田陸さんの作品は、読んだ内容よりも浸った世界観が印象に残る。

 

「ユリゴゴロ」

「ユリゴゴロ」

沼田まほかる

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私のように平気で人を殺す人間は、脳の仕組みがどこか普通とちがうのでしょうか。 

 

本作はこの一文がキーとなる恋愛ミステリー作品である。

冒頭の一文は、主人公の亮介が実家で見つけた「ユリゴゴロ」と題されたノートに書かれたもの。

誰が書いたものか?

事実か、それとも創作なのか?

ミステリー的な構成。

共感や感動といった感覚ではないのだけど。

忘れ難い作品である。

結末も含めて考えた時に、一抹の疑問もあり。

賛否あり、だろうなとは思うものの。

 

自分を平気で人を殺す人間である、とする人物像を手記との形でじわじわと描かれる構成に妙あり。

ページをめくりたくなる。

主人公の亮介も同じ。

出所のわからないが、実家に存在したノート。

一体、誰がなんのために書いたのか?

それが物語の推進力。

 

実家にある見てはいけないもの、がもたらす禁忌的な匂い、は誰しもがわかっている事なのだけど。

人を殺す、との内容であればなおさらであろう。

知りたくないのだけど、知らなければならない。

 

あらすじを引用。

亮介が実家で偶然見つけた「ユリゴコロ」と名付けられたノート。

それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。創作なのか、あるいは事実に基づく手記なのか。

そして書いたのは誰なのか。

謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた。

圧倒的な筆力に身も心も絡めとられてしまう究極の恋愛ミステリー!

 

手記を盗み読む、との背徳的な心情もさることながら。

内容が孕む内包的な狂気が滲む。

印象的だったのは、幼少期のかたつむりを井戸に落とす描写。

そして、それを繰り返し行っていたとある手記の記述。

ざらりとしていて、口の中が渇くような感覚。

 

もう一度言うが、本作は恋愛ミステリーである。

手記にあるグロテスクな心情と恋愛要素の落差に合わせ読者の感情も振れ幅も大きくなる。

インパクトのある作品。

僕は本作に共感もせず。

実に面白い!!!と太鼓判を押すような評価もしていない。

細かな点に疑問は感じたが。

"ユリゴゴロ"と言われて「どんな作品だっけ?」とはならないと思う。

イメージに残る作品。

これは小説に対する賛辞であろう。

映像化されるのも納得できる。

 

「虚ろな十字架」 東野圭吾

大学時代の初期によく読んだ東野圭吾さん。

 

物語にグイグイと吸い込む力。

小説とは、人を夢中にするものである。

物語に浸る面白さを確実に生み出せる作家である。

 

「虚ろな十字架」

東野圭吾

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東野圭吾さんの作品はよく映画化される。

彼の作品はドラマチックだからであろう。

 

私見を少々。

何作か東野圭吾さんの作品が映画化されたのを観た事があるが。

小説と大して変わらない事と思った。

小説(原作)を先に読むと、映画がつまらなくなる、とよく言うが。

東野圭吾さんは特にその傾向が強く。

何故だろうと考えた時、小説自体が映画的である事。

更に言えば、脳内で映像化しやすい作品なのだと思う。

 

良くも悪くも、はっきりしている。

どちらともとれるような微妙なニュアンスではなく。

解釈に迷わない描写。

 

具体的に言えば。

"ひろ子は笑った"、との表現があるとして。

どのような感情が込められて笑ったか?がはっきりしているのが東野圭吾さんの作品だと思う。

何故笑ったか?の解釈を読者に丸投げする作家さんもいて。

どちらが良い、悪いではないのだが。

僕自身が大学時代に東野圭吾さんをよく読み。

その後、あまり読まなくなった理由はその辺りが大きい。

 

さて、そんなわけで久々に読んだ東野圭吾さんの作品。

あらすじは。

中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。

数年後、今度は小夜子が刺殺されるが、すぐに犯人・町村が出頭する。

中原は、死刑を望む小夜子の両親の相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。

一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた―。

 

"死刑"についてどう考えるべきか?を投げかける作品である。

言い換えると、"何のための死刑制度なのか?"との問いかけでもある。

深く考えずに、"被害者遺族のためでしょ?とか、犯人の罪を償うためのものでしょ?"などと思いながら本作を読むとパンチを食らう。

 

僕自身は、"〜のための死刑"なんてありえないと思っている。

ただのルールであるとしか言えない。

それがあるケースでは、"被害者遺族のために "なり、"犯人の反省を促す刑罰"と姿を変えるだけであって。

ありとあらゆる犯罪のケースにおいて、カチッと当てはまる答えなんて存在しえない、と思うわけである。

 

本作から引用する。

「人を殺せば死刑-そのようにさだめる最大のメリットは、その犯人にはもう誰も殺せないということだ」

死刑に対する考え方の一つの見方として尊重すべきものであり、心に残る一文であった。