のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「カメラを止めるな!」〜断言しよう。誰もが言う・・・「騙されたと思って映画館で観てみてよ!絶対に面白いから!」〜

断言しよう。

誰もが言う。

「騙されたと思って映画館で観てみてよ!絶対に面白いから!」

と。

 

最高のエンターテイメント作品。

素晴らしい映画。

惜しみなく賞賛する。

鑑賞後、思う。

”こいつはすげぇ作品だ・・・ ”と。

 

「カメラを止めるな」

f:id:anfield17:20180925204327j:plain

 

誰かにオススメしたくなる映画。

語りたくなるような映画。

言うまでもなく、映画を語る上での最高級の賛辞である。

 

さて、何が面白いのか?

との話になるが。

本作、予備知識がない方が絶対に面白い。

・・・

例えば、電車で

”ねー、カメラを止めるなって言う映画観たことある??”

"あー、観た観た!面白いよね!”

”最後の方にさぁ・・・"

との会話が聞こえてきたら・・・

 

思い切って"途中下車した方がいい"。

 

予備知識を植え付けられるぐらいなら、電車を遅らせる価値がある。

伝えたいのは、

"先入観なし"がそれ程の意味がある

との事。

(車両を移るのでも、音楽を聴くのでも良いが)

 

よって、内容は一切触れずに語る必要があり。

※映画を紹介する上では(北極で熱帯魚を飼育するくらいの)難題である。

 

実際に、本作を教えてくれた友人も。

「何が面白いの?」

との質問に対しては

「まずは観て!議論はそれからだ!」

と、一刀両断された。

(その気持ち、今ならよく分かる)

 

と、言うわけで。

言葉を失う。

・・・

"つべこべ言わずにとりあえず観てくれ"

との直球勝負をしたくなる。

・・・

無論、直球勝負で押し切って打ち取れる自信がある故。

・・・

ど真ん中にストレート投げますから。

思いっきり投げますから。

と、宣言して

見事、三振で打ち取る投手みたいに。

観た人をギャフンと言わせてあげますから。

信じて映画館に足を運んでくださいよ、と。

・・・

むくむくと期待して!

ぐいぐいとハードルを上げて!

それでもなお、本作は面白いと思ってもらえる。

そんな映画である。

 

"目利きの技術" を信頼している人が誰しもいて。

本作は、僕が信頼を置く二人の目利きから賞賛の連絡が来た。

この場を借りてお礼を言う。

極上の映画に出逢わせてくれてありがとう。

これだから映画はやめられない。

 

ドミノの爽快感に似ている。

一糸乱れぬ勢いで、

一切無駄がなく、倒れるからよいのだ。

一つでも仲間外れが残っていてはいけない。

全ての駒が因果関係をもって倒れるからよいのだ。

だから、快感なのだ。

 

映画を観た感想にて。

繰り返すが、観ればわかる。

 

"精巧な造りが産む怒涛の勢い"はまさにドミノのよう。

あの感覚を映像表現として見事に描いた事が驚き。

 

 

"自分の好きなものへの投資"を渋ってはいけません。

"自分の好きなものへの投資"を渋ってはいけません。

と常々自分に言い聞かせています。

 

お金とは、投票権みたいなもので。

"僕は応援してますよ!頑張ってください!"

と、意志を表明するための手段です。

 

確かに、お金は大事です。

貯金するに越した事はなく。

お金がないと始まらない事も多く。

節約は美徳であると思います。

 

ただし、"無料"である事に胡坐をかいてしまうとよろしくありません。

世の中、お金が全てではないけど。

お金なきものは廃れます。

ゆっくりと、でも確実に。

着実に、でも緩やかに。

 

インターネット全盛の時代。

(全盛と言っても右肩上がりのイメージが拭えませんが)

無料で得られるものが増えました。

お金を払わないのが当たり前が浸透しました。

・・・

実に便利です。

ありがたい事です。

ただし、それでいいのか?と思う事があります。

立ち止まって、考えるべき事だと思います。

 

お金を払わなければ、廃れます。

全ての人が海賊版の漫画を読んでしまえば、新しく漫画を描く人は誕生しません。

映画館に足を運ばなければ、映画自体が制作されなくなります。

音楽にお金を出さなければ、新しい歌が生まれません。

 

お金を払うとは。

応援です。

ささやかではあるものの、明確な意思表示です。

"僕は応援してますよ!頑張ってください!"

との。

 

とかく議論の的になるAKBの"握手会/総選挙"商法は、

"お金を支払う"="応援する"の関係を明確に打ち出し。

且つ、握手会の開催と総選挙の結果によって消費者にフィードバックしたからこそ成功したのだと思います。

 

そういう意味では。

大抵の物事はふわっとしているので。

例えば、本屋で一冊の本を買った結果がどう支える事になるのかは可視化される事はなく。

ただ、漠然とした投票権であるため、やるせなさがあるのは事実ですが。

 

あとは想像力の問題で。

絶対に、支えになるのです。

 

そんなわけで、本屋で本を買う。

それ自体が、本の文化を支える事になるだろうから。

 

知らぬ作家との出逢いを提供してくれる場所に感謝。

f:id:anfield17:20180924211136j:image

 

 

 

「忍びの国」〜歴史小説を面白くするのはキャラクターである〜

 

キャラクターが魅力的な歴史小説は面白い。

魅力溢れる歴史小説を読んで。

改めて今更ながら思った。

 

忍びの国

和田竜

f:id:anfield17:20180923194827j:image

 

激烈に面白い。

一日で一気に読んだ。

 

あらすじを引用。

時は戦国。

忍びの無門は伊賀一の腕を誇るも無類の怠け者。

女房のお国に稼ぎのなさを咎められ、百文の褒美目当てに他家の伊賀者を殺める。

このとき、伊賀攻略を狙う織田信雄軍と百地三太夫率いる伊賀忍び軍団との、壮絶な戦の火蓋が切って落とされた──。

破天荒な人物、スリリングな謀略、迫力の戦闘。

天正伊賀の乱」を背景に、全く新しい歴史小説の到来を宣言した圧倒的快作。

 

忍者の話である。

伊賀の中でも随一の腕を持つ"無門"たる忍者を中心に話が進む。

 

この無門が半端ではない腕の持ち主であり。

爽快感の溢れる切れ味である。

 

具体的なエピソードを紹介すると。

 

夜、敵の城に単騎で潜入し、

敵の大将に対し枕元で、

「今宵限りで伊賀を攻めるは忘れよ。

忘れぬとあらば、この無門様が再び寝物語に来るぞ。

怖かろう。わしが恐ろしければ、伊賀を忘れることだ」

と忠告する。

・・・

えぇーー!!!!

やろうと完全に殺せる。笑

しかも、堂々と"無門"と名乗り、再び来るぞ、と脅す。

・・・

歴史を変えられます。

最強の暗殺者です。

 

しかも、相手は当時、全盛を誇っていた織田信長の息子。

現代で考えると、

アメリカ大統領トランプさんの息子に対して枕元に押し入ったと考えれば良いのだろうか。

・・・

改めてすげぇ話。

 

と、いうわけで。

無門の忍術は常軌を逸しているのは言うまでもなく。

ただし、隕石を降らせて敵を全滅する、みたいな妖術的な話にはならぬのでご安心。

忍術がファンタジーにならない程度のギリギリで収めておくのが妙味。

(名著「影武者 徳川家康」を読んだ時も思ったが。)

 

ただし、無門は伊賀の使命に燃える忍者ではない。

超絶の怠け者であり、めんどくさがりなのである。

・常軌を逸した忍術も持ち主である無門

・超絶怠け者である無門

の人物像に幅がある点が際限なく魅力を生む源泉である。

 

しかも、妻である"お国"の尻に敷かれる。

先に触れた"敵の城に単騎で潜入し〜"の件も、伊賀忍者の使命を帯びて行った行動ではなく・・・

元を辿れば、お国の機嫌をとるための行動である。

子供が絨毯の上に醤油をこぼしてしまい、バレるの嫌で家に火をつけるようなものだ。

 

無類の強さを誇る無門が、対お国だけは何か言われると直ぐに・・

「参ったなぁ・・・」と言う風になる。

この辺りがなんとも愛おしい。

 

物語は、伊賀の国を織田信長の息子である信雄が攻める or 攻めない、の中で進行する。

その中で

渦巻く伊賀忍者の陰謀。

貫かれる戦国武将の侠気。

まさに、見どころ満載。

 

歴史小説にハマる日々が続きそうである。

 

登場人物の名前がわからなくならぬよう。

いっその事、メモをする事をお勧めする。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕も気づいていなかったけど。 僕だけが知っていた。 貴方が持っていた"しるし"。

僕も気づいていなかったけど。

僕だけが知っていた。

貴方が持っていた"しるし"。

はっきりと。

たしかに。

そこにあった"しるし"

僕はその"しるし"を知っていた。

・・・

そして。

その"しるし"に出逢うために生きていた。

 

いわゆる、"運命の人"の話である。

ただ、運命の見せ方が絶妙な作品。

 

「ほかならぬ人へ」

白石一文

f:id:anfield17:20180922202018j:image

 

あらすじを引用。


「ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」

…妻のなずなに裏切られ、失意のうちにいた明生。

半ば自暴自棄の彼はふと、ある女性が発していた不思議な“徴”に気づき、徐々に惹かれていく…。

 

様々な愛のかたちとその本質を描いて第一四二回直木賞を受賞した、もっとも純粋な恋愛小説。

 

※あらすじの引用では"しるし"="徴"ですね。個人的にひらがながしっくりきたので。

 

僕自身の話をすると。

結婚もしていないし。

永遠に忘れられないような大失恋をした事もない。

・・・

そのため、"運命の人"的な論は、

・すがれば身動きが取れなくなって独身街道まっしぐらと悲観的

・今までないのだから、どうせないのだろうと懐疑的

程度の気持ちしか持ち合わせておらず。 

"運命の人"をテーマにした小説に対して

"共感して涙する"等との事は無いタイプである。

 

それを前提としても。

非常に良い小説と思いて。

 

冒頭に

僕も気づいていなかったけど。

僕だけが知っていた。

貴方が持っていた"しるし"。

と書いたのだが。

 

肝はここにあり。

本作の魅力は"運命のしるし"の見せ方にある。

 

雷に打たれたような一目惚れではなく。

図書館で同じ本を手に取ろうとしたような偶然でもない。

いわゆる、"運命"と言われて思いつくシンプルな表現ではなく。

もっと本質的で、その人自体の存在そのものに近い"運命の見せ方"

運命の人を信じる、信じないの話で片付けられるような物語ではない。

 

小説ならではの表現であり、心に残る。

こういう見せ方もあるのだな、と。

浸る小説と浸らない小説。

小説には色々なタイプがある。

 

喜怒哀楽で表現するならば。

村上春樹さんの描く喪失感は、哀の感情軸の中で浮遊する感覚、であり。

その中を彷徨うことでどこかに抜け道があるのではないか?

と思えるような小説、だと思う。

 

その他、喜怒楽もそれぞれ思い浮かぶ作品があるに違いない。

 

僕は、小説を、自分との向き合い方、でも表現できると考えていて。

世界観に浸りたくなる小説は良い作品だと思っている。

 

浸る、とは。

その小説が組み上がってる世界の内側に意識がある状態とでも表現できようものか。

現実世界が無条件に続くもの、との前提があるのと同じで。

物語が続くもの、として捉えたくなるような感覚、である。

 

まあいうまでもなく。

良い小説は"浸る"。

ほうれん草のお浸しみたいに、たっぷりと吸い込んで自らを纏う雰囲気自体を変えてしまう。

 

逆に、あんまり浸らない場合。

心に残らない小説となる事が多い。

何というか、物語が自分の中に入ってこない。

読めども読めども、言葉が通過していく感じ。

 

小説において

浸る or 浸らない

は評価する上で重要な指針だと思う。

 

この感覚、わかっていただけるだろうか。

ファジーでなければ脳はコンピュータには勝てない。

"ファジー"

との言葉を辞書で調べると。

曖昧なさま、不鮮明なさま

 と引ける。

 

明らかに、マイナスな表現である。

なれど、"ファジーでなければ脳はコンピューターに勝てない"のである。

 

逆説的なイメージを持つが。

 

とある本を読むと納得する。

何度も紹介しているが、名著、であるが故。

 

「記憶力を強くする」

池谷裕二さん

もう三度目であろうか。

読んで、気になった事を記す。

 

f:id:anfield17:20180902223919j:image

 

脳とコンピューターの比較、とは。

少なくても30年先を考えた時に、自分が社会に必要とされるか否か?との答えになる可能性が非常に高い。

わかりやすく言えば。

コンピュータにできない事をやれない限り、仕事を失う可能性がある、のである。

 

この問題は誰もが何となくは認識している事で。

企業において、利益のみを優先して、感情を抜きにすれば。

コンピューターの導入により人員は一気に削減できる。

(もちろん、その結果の先に今の我々がいるのだが)

 

例えば、1日8時間、電卓を叩き続ける仕事があるとする。

計算は重要な仕事である。

ただし、コンピューターが存在すれば、そんな人を雇う必要はなくなる。

何故なら一瞬にして計算が可能であるから。

 

自分が日々やっている業務を考えた時に。

その仕事がコンピュータに置き換えられるか?

との問いは重要であり。

置き換えられるならば、職を失う可能性がある、との危機感を持つべきなのかもしれず。

それが今のご時世である。

 

では、人間とコンピューターでは何が決定的に異なるのか?との問い・・・

タイトルにつながる。

ファジーでなければ脳はコンピュータには勝てない。

 

ファジーであるとは?

つまり、曖昧なものを結びつける力、である。

曖昧であるが故に結合するのである。

 

極端な話をすれば。

人間の顔は日々少しずつ変化する。

故に、昨日覚えた顔であっても。

今日の顔は完璧に同じではない。

曖昧さを一切許さなければ、人は顔と名前が一日で一致しなくなるのである。

 

コンピューターは曖昧さを許さない。

その点、エクセルやワードを使う人ならば、誰しもが経験があるのではないだろうか。

 

逆に人間の脳はファジーであるそうだ。

故に、同じ構造をした物事に対して強さを発揮する。

 

確かに、世の中に全く同じ事なんて存在しない事が多い。

例えば、プールで泳ぐにしたって。

同じ水流は存在し得ない(気がする)

それでも、我々が同じプールとして認知して泳げるのは、脳がファジーを受け入れるようにできているからである。

 

一糸乱れないパーフェクトな記憶は融通を失わせる。

ファジーだから、脳は凄い。

非常に面白い話である。

 

 

で?その問題は5年後の君にとってどんな意味を持つんだい?

マジックワードである。

 

"で?その問題は5年後の君にとってどんな意味を持つんだい?"

 

そう言われてしまえば、大抵の物事は大した問題ではない。

わお、明日やるべき事に対して、最高に肩の荷が下りる言葉でありて。

素晴らしいマジックワード

覚えておこう。

そして、使うべき場所で使おう。

思うべき時に、呟いてやろう、心の中で。

 

個人の問題は、常にその人の人生を覆う暗い影となり得る。

5年後に考えてみれば大した問題ではなくても。

その時、瞬間的には憂鬱の源泉となりて、自分を襲う事がある。

 

僕の実体験で語る。

 

僕は日記をつけているので、今から5年前。

2013年の8月27日に悩んでいた事が多かれ少なかれ分かる。

 

一言で、"仕事をしない同僚にイラついていた"

今となっては、そいつとは別部署である。

つまり、解決している、わけでありて。

(大局的には、弊社の社員が仕事をしていない点は解決していないが。)

 

ただし、少なくても。

そいつが僕をイラつかせる事はないし。

もう二度と無いのかもしれぬ事。

(奴はもう定年間近、であるが故。)

 

そう考えると。

5年間悩み続ける事なんて、あんまり存在しないのでは?

との自問自答。

気が楽になる。

どう考えたって、気が楽にならざるを得ない。

 

思い詰めた瞬間について想起する。

そうすると、極端に視野の狭い自分に気づく。

過去の自分は時に、極端すぎる程に狭い視野で生きている。

 

"思い詰める"との言葉を辞書で引くと。

それ以外の解決策は無いと思う気持ちになってくよくよ考える(悩む)事、とある。

 

思い詰めるくらいなら考えろ。

今、僕を思い詰めさせている問題は、5年後にどんな意味を持っているの?

・・・

・・・

・・・

言葉を失え。

僕が直面している問題は羽根より軽い問題ばかり。

何故ならどうなろうと5年後には大した意味を持たない。

 

31ページまででもう本の代金は元が取れた、と断言する。

 

名著の予感。

「問題解決大全」

 

続きを読む事が至福の時。

f:id:anfield17:20180827214306j:image