その感情を唯一無二の正しいものだと思ってた。
遅れてくるのがカッコイイ。
当時は本当にそう思っていたのだから不思議。
その時、その瞬間は、
人生の全てだったものが。
今考えると、
大したものじゃなかったりする。
・・・
だから人生には愉悦がある。
趣があって、楽しもうと思える。
・・・
なんでこの人の文章は、
自分の人生に染み込むのだろう。
素直にそう思える本。
「永遠の出口」
あらすじを引用。
「私は、“永遠”という響きにめっぽう弱い子供だった。」
誕生日会をめぐる小さな事件。
黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。
ぐれかかった中学時代。
バイト料で買った苺のケーキ。
こてんぱんにくだけちった高校での初恋…。
どこにでもいる普通の少女、紀子。
小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。
第一回本屋大賞第四位作品。
刺さった言葉を引用する。
裏を返せば、私はそれだけ世界を小さく見積もっていた、ということだろう。
年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれ落ちたものばかりであふれていることを知った。
自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部に過ぎないのだ。
それから長い年月が流れ、私たちがもっと大きくなり、分刻みにころころ変わる自分たちの機嫌にふりまわされることもなくなった頃、別れとはこんなにもさびしいだけじゃなく、もっと抑制のきいた、加工された虚しさや切なさにすりかわっていた。
どんなにつらい別れでもいつかは乗りきれるとわかっている虚しさ。
決して忘れないと約束した相手もいつか忘れると知っている切なさ。
多くの別離を経るごと、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。
僕自身もう30歳を過ぎて、大人になった。
時々、手に入れたものと、
失ったもののバランスについて考える事がある。
それでも思うに、
どちらが良くてどちらが悪いのではなく。
今はこうで昔はああだった、のである。
そこに優劣はない。
僕らは年を経て、
そこに永遠を見出さなくなった。
高校生の時、付き合った人とは、結婚するものだと思い込んだけれど。
今、考えると、
その可能性は微かなものであったのだと知る。
一緒に遊んでいる友達が、
永遠に親友である事が、
幻想であったのだと知る。
小学生の時に、ありとあらゆるものに対して、永遠の輝きを感じていたのはなんだったのだろう。
本書は、その当時の気持ちを色彩画の如く蘇らせる。
それはあまりに鮮やかで、
且つ、知られてはいけない私生活の部分を知られてしまったかのように、
恥ずかしい部分もあるのだけど。
それでも、
それが人生であると、
包み込むような優しさで語られる小説。
僕はこの本が大好きだ。