のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「男と女 なぜわかりあえないか」 橘玲

「男と女 なぜわかりあえないか」

橘玲

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「女と男」は人類の最大の関心事ともいえる。

この永遠のテーマが最新のサイエンスによって解明されつつある。

野心的なタブーへの挑戦のなかから、意外かつ誰でも楽しんで読める最前線の研究を紹介。

果たして女と男の戦略のちがいとは―。

 

本作で、なるほどと思った点。

男・女の違いは、

”後世に遺伝子を残すとの生命として最も重要とされる戦略”に対する戦術的なアプローチの違いと捉えている事、である。

つまりは、子孫を残す上で有効な手段を考えた時に、男女の違いとリンクする部分がある。

 

男女は子孫を残す上で、役割が異なる。

 

以下、少々、無粋な話になるが、

子供を産むまでの過程において、

・男は一度、セックスをすれば自分の子孫を残せるかもしれない。

 

そのため、極端な仮定で、

1回のセックスで相手の女性を妊娠させる可能性が10%だとして、

(何の根拠もない確率である点を注意)

1日1回異なる相手と取っ替え引っ替えヤリまくれば

1年で365日×10%=36人の子孫を残せる可能性がある。

そして、男が枯れるまで、と考えるならば、

少なくても30年は現役でいるとして、

36人×30年で、1000人以上の自分と血がつながった子をこの世に残す事ができる。

 

これは、あくまで理屈上の話で、

実際的に考えると、

毎日、異なる女性が妊娠してもいい覚悟で行為に及んでくれるのは(しかも女性が積極的に妊娠しようとしないと難しいと思われる)現実的ではないと思う。

※レオナルドディカプリオでも・・・(無理だ)と続けようと思ったのだが、実際どうなのだろう?

 

ただ、女性はどうか?と言うと、

物理的に不可能である。

1000人以上の子供を産む、と考えると、

もはや、SFであり、ようこそエイリアンの世界へ!的な話になってしまう。

 

子孫を残す上で、

・男はコストが極めて低い

・女はコストが極めて高い

※この場合のコストとは、時間、労力などを指す。

 

 

本書は、

男女には、上記のような違いが、まず明確にあるのだと指摘する。

その前提の上で、

・男は競争をする(全員がライバルになりうる)

・女は選択をする(誰を父親とすれば育てる上で良いか)

方が、

子孫を残す上で、有効だったと指摘する。

 

本作については、結構、過激な指摘もあると思う。

男女平等的な観点の話は繊細な問題を含んでおり、

場合によっては人を不快な思いにさせる。

 

僕の考えを言えば、

生物学的に異なるのだから男女は違うものであると思う。

ただ、その立場の違いを踏まえた上で、1人の人間として、個人として、向き合う事が1番大切な事だと思う。

かえるくんがみみずくんと闘って、東京を救うのである。「神の子どもたちはみな踊る」村上春樹

かえるくんが主人公のお話である。

かえるくんが主人公であり、

みみずくんと闘って、

東京を救う話である。

 

神の子どもたちはみな踊る村上春樹

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に収録されている一編。

「かえるくん、東京を救う」

 

「かえるくん、がんばれ。大丈夫だ。君は勝てる。君は正しい」

と声をかけてくれることが必要なのです。

 

「それでは昨夜ぼくが言ったことを信じていただけますか?僕と一緒にみみずくんと闘ってくれますか」

 

あらすじを紹介すると、

かえるくんが主人公のお話である。

かえるくんが主人公であり、

みみずくんと闘って、

東京を救う話である。

との繰り返しになる。

 

冒頭の一文を引用した方が話が早いかもしれない。

片桐がアパートの」部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。

二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。身長1メートル60センチしかないやせっぽちの片桐は、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。

「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と蛙はよく通る声で言った。

 

村上春樹は、こんな物語をなぜ紡げるのであろうか。

純粋にそう思う。

家に帰ると、かえるくんが待ち受けている世界観。

しかも、かえるくんがみみずくんと闘って、東京を救うのである。

 

この物語を読んでも、世界は変わらないかもしれない。

貴方は救われないかもしれない。

でも、本作を読み終えた時、

僕はどうしてもかえるくんに対する推し量る事のできない思いやりを感じた。

立ち向かう勇気、それを支える優しさを。

それは、

僕の中にかつてない感情でありながら、

たしかに今は心の中に在る感情である。

 

かえるくんは〜の象徴であるとか。

みみずくんは〜のメタファーだとか。

文学的な語り口ならば、そういう着目をしなければならないのかもしれないけれど。

僕自身は本作に対して、

かえるくん、との異形の存在を、

思いを寄せる事のできるヒーローのように扱った事に着目する。

 

もう一度、言う。

”かえるくんがみみずくんと闘って、東京を救うのである。”

少し変わったヒーローの物語。

だけど、僕の中で、かえるくんの事は忘れられない存在になったと思う。

 

「回転木馬のデットヒート」村上春樹 

35歳になった春、彼は自分がすでに人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。

いや、これは正確な表現ではない。

正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。

 

回転木馬のデットヒート」

村上春樹

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「プールサイド」との作品の冒頭部分である。

どう紹介するか、を考え、

頭を悩ませていたのだけれど、

冒頭の一文を紹介するのが一番しっくりきた。

・・・

「プールサイド」は、一人の男が人生に句読点をつける作品である。

そして、その歩いてきた道を思い、

確固たる理由もなく、明言できる何かがないにも関わらず、

涙を流してしまう小説である。

 

この小説は、

孤独な夜に一人で読むのが良い。

一人暮らしをしている男であっても、

人との関係性と空気感が薄まった時(例えば誰とも会わなかった日曜日の夜)に読むのが良いと思う。

内省的に、自分を見つめるような話であり、

孤独の中で読むべき本のように思える。

 

色々な立場の人がいる。

ある人は結婚して家族と暮らしていて、

それが幸せに思えているかもしれない。

だが、一方で、

家族の事を背負わされた十字架のようなものと思っている人もいる。

・・・

孤独な一人暮らしをしている人もいれば、

家族がいない事を自由と捉え、

自分の時間を満喫している人もいる。

・・・

ただ、どんな立場の人であっても、

今までの人生と、

これから続いていくであろう

(今までの人生からある程度は予想される)未来に対し、

虚無を感じる事はあると思う。

 

自分がどう生きたか(もしくは、どう生きていくか)に対して、

誰しもが、

完璧な満足感を得るのは難しいからだと思う。

 

それは、

人生は一度きり、との使い古された言葉に収斂されるのだけれど。

自分自身の人生は他の人は経験できない事であり、

他者の人生もまた経験する事ができないのである。

貴方の人生は貴方だけのものであり、

その中で得られるものも、得られないものも、

確実に存在するとの、

確信にも近い経験則によるものである。

 

どんな人生を送っている人であっても、

間隙を縫うように、

このように思う瞬間は訪れると思う。

 

本作の主人公もまた、

全てを手に入れたかのように見える男でありながら、

ふとした間隙に涙を流す。

 

人生で全てを得る事はできない。

だからこそ、

本作は心に残るのであろう。

 

 

「ヘヴン」川上未映子さん初の長編小説。

二人だけの世界が永遠に続くなら。

それは、無垢で、美しい世界であり続けただろうか。

ただ、永遠の雪景色は存在せず、いつか溶ける。

染まらない白色も実在せず、何かに染まる。

・・・

その優しくて無垢な細やかな世界が、

守られる事をどれほど望むか。

 

僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。

もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら

 

「ヘヴン」

川上未映子

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“わたしたちは仲間です”―十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える“僕”は、差出人不明の手紙を受け取る。

苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。

善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。

芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞ダブル受賞。

 

本作は、

苛められる男の子である14歳の僕と、

同じく苛められている女の子であるコジマの物語である。

 

書き出しを引用する。

四月が終わりかけるある日、ふで箱をあけてみると鉛筆と鉛筆のあいだに立つようにして、小さく折りたたまれた紙が入っていた。

ひろげてみるとシャープペンシルで、

<わたしたちは仲間です>

と書かれてあった。

うすい筆跡で魚の小骨みたいな字で、そのほかにはなにも書かれていなかった。

 

これは、コジマから僕へと向けられたメッセージであり、

物語の始まりでもある。

 

この書き出しに引き寄せられる。

川上未映子さんの言葉を選ぶ繊細さが好きである。

 

苛め描写は正直、心地よいものではない。

苛めとは、

人が本質的に抱えている闇の部分だと思う。

人間の深淵は極端だ。

限りなく柔らかい羽毛の欠片のように優しくなれる時もあれば、

大理石のように冷たくて堅くなれる時もある。

 

人の心は、

どうしてこうも不変的でないのだろうか。

 

漆黒の黒い存在が悪であるならば、

純真な白い存在が善であるならば、

僕たちはもっと楽に生きられるはずなのだけれど。

僕らの生きている世界はそんな単純ではない。

 

白と黒が混ざって、

灰色になっているけれど、

ある角度から見たら白くて、

真正面に捉えたら黒いから、

僕らは世界に対して混乱する。

戸惑って、何かを喪って。

そして、再生して揺るぎのない芯を得る。

そういう世界だから美しさを感じる。

 

何が善で

何が悪なのか。

誰が強く

誰が弱いのか。

 

川上未映子さん初の長編小説。

吟味された言葉が紡ぐ物語は重い。

浮遊していた物質が、時を経て、ビーカーの底に沈殿するかのように、

貴方の心に残るものがある。

ぼやけていて、掴めない何かなのだけれど、

実体として確実に存在している何かが。

 

意欲的な作品。

著者のフルスイングに対して、

読者は、深く共鳴する音叉のように、

心の水底が揺さぶられる。

それは、湖に投げられた一石のように、

心の表層に波をたてる。

父について語る。猫を棄てる。

父について、語る時、

どうしても感情が篭る。

僕の中にある、内側の内側。

根底的であり、確固たる核心的な部分。

・・・

どうしたって、

ありがとう

との言葉しか思い浮かばない。

僕は父の影響を受けて、

本を読むようになったし、必死に勉強をした。

その延長線上に、今の僕はある。

父による影響をこの上ない程に受けている。

・・・

父と向き合う事は、

男であれば誰しもが経験する事であると思う。

それが、良い感情を想起するものであるか、

それとも、悪い感慨に浸るものなのかはわからないが。

男は誰しも父親の像と、

自分の生き方を重ねると思う。

細やかな力加減で作り上げて、

出来上がった和紙を大切に扱うように、

丁寧に、

そして、何も見逃さないように慎重に警戒をして。

 

「猫を棄てる」

村上春樹

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あらすじを引用する。

 

時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。

ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。

歴史は過去のものではない。

このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。

―村上文学のあるルーツ

 

本作は村上春樹が父親について語った作品である。

すごく良い文章である。

村上春樹が優れた作家である事はこの作品を読んで再認識した。

 

”降りることは上がることより難しい”

との言葉に込められたメッセージは深淵を浮き彫りにする。

戦争と父親の事を語る村上春樹のエッセイ。

 

村上春樹を初めて読む人におすすめすることはないけれど。

どれか1作品でも村上春樹を読んだ事がある人になら、おすすめしたい作品である。

「あこがれ」清か、玲瓏、澄明な心。紡がれる言葉はどうしてかくも美しいものなのか。

「ああ、なんという多幸感。

ほとんどアニメーション映画のような疾走感と、小説にしか為し得ない感情のジャンプに陶然とする。

どうしたって、これは泣いてしまう。」

 

これは、かの有名な「君の名は。」を世に送り出した新海誠さんの本作を紹介する帯の言葉である。

これを読んだだけで、本書を読みたくなる。

 

あこがれ

川上未映子

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本を紹介する試み。

書評みたいな事をこのブログでやっているのだけれど。

大学時代の恩師に教えてもらった事で、

”書評は読んだ人を本屋に行かせて、その本を買わせれば勝ち”

と教えられた事があり。

帯のコメントも同じであろう。

手に取った人が買いたくなるコメント。

お見事。

 

おかっぱ頭のやんちゃ娘ヘガティーと、絵が得意でやせっぽちの麦くん。

クラスの人気者ではないけれど、悩みも寂しさもふたりで分けあうとなぜか笑顔に変わる、彼らは最強の友だちコンビだ。

麦くんをくぎ付けにした、大きな目に水色まぶたのサンドイッチ売り場の女の人や、ヘガティーが偶然知ったもうひとりのきょうだい…。

互いのあこがれを支えあい、大人への扉をさがす物語の幕が開く。

 

川上未映子さんの作品は、

言葉の温かさがあって。

繊細さがあって、心に刺さる。

いや、心に残る、残存する。

刺さった言葉は溶けてなくなる。

そして、自分の中に山積する。

 

2月の朝に、

雪が積もっているのを見る時、

最初に解けずに、残った雪の存在を思う。

文学の力は、その最初の雪に似ている。

心に残り、自分の軸の、何か大切な芯の部分の、

道標。

最初に解けない雪であり、

積もるための大切なものである。

 

繰り返し、自分の中、奥底に浸透させるように読みたいと思う。

和紙を制作するかのように、丁寧に、柔らかく。

 

本作は、子供の話である。

男の子の麦くんと、

女の子のヘガティーの物語。

一部と二部の構成で。

麦くんとヘガティーが主人公の話として語られる。

 

子供の心に瑞々しさを感じる時はいつだろうか。

透明さの純度。

清か、玲瓏、澄明な心。

・・・

ああ、

なんでこうも紡がれた言葉を大切にしたくなるのだろう。

 

川上未映子さんは、

子供の言葉をどうしてこうも巧みに表現できるのか。

森絵都さんを読んだ時も同じような事を思った。)

 

本作を読んだのは2回目。

何度も読みたくなる本であり、

大切に保管したいと思う。

「人は無意識に様々なメッセージを発信し続けている。」

ビジネスパーソンは、いったことや、やったことだけではなく、いわなかったこと、やらなかったこともメッセージになる」

「人は無意識に様々なメッセージを発信し続けている。」

 

これはわかるんだよな。

背中を見せる、ではないけれど。

言葉にする事だけが、

自分が発信する事ではない、と思う。

 

世の中において、

話しかけづらい雰囲気、とは、害悪である。

 

新入社員の頃に経験した事として、

上司から

「これ大至急調べておいて」

と言われたので、

最速で調べて、報告しに行ったら、

「この報告、今じゃなきゃダメ?」

と言われた事。

いやどっちだよ。

 

あれがなかったら、

もう少し、引っ込み思案じゃなかったかもしれないなと思いつつ。

ただ、あれのおかげで誰かに優しくできるのだとも思うのだけれど。

 

その当時は経験値がなかったので、

タイミング悪かったのかなぁ、と反省したのだけれど。

今思うと、無茶苦茶である。

 

詰まるところ、

世の中には矛盾した事を言う人間がいる。

ただ、矛盾した事を言っている人は、

自分が矛盾している事に気づかない。

なんともはや、話しても無駄な人は世の中に存在する。

悲しい事なのだけれど。