”素手で刃物を獲る馬鹿”との咄がある。
徳川家康にまつわる。
司馬遼太郎の「覇王の家」を読んでいた時に見つけた。
以下、引用。
あるとき、浜松の城内で突如乱心した者があり、太刀風もあらあらしく棒振りまわして廊下を飛び歩き、人を見れば襲って傷つけた。
城内は大騒ぎになった。
それに対し、遠州出身の兵法自慢の者がスルスルと前へ出、その狂人の太刀を巧みにかわしながら手もとに付け入り、素手でもってその狂人をとりおさえた。
…
とまぁ、こんな具合である。
◆この出来事について何を思うか?が重要である。
さて、何を思っただろうか?
僕は「ほお、カッコイイ奴もいるもんだな」と思った。
周囲にいた人々も、賞賛した。
てっきり褒美がでるものだと思っていた。
さて、皆様はどう思ったか?
当然、家康の反応は違っていた。
この家康の反応がポイントである。
”是非の問題”はさておき、彼が最終的に天下を取り江戸幕府を築き上げた理由が垣間見れる。
家康は怒った。
そして、「その類の者、当家にとって無用である」と宣言するように言った。
場は醒めたそうである。
(そりゃ、冷めるわ)
真意はどこにあるか?との問題になる。
家康の真意は…
以下、引用。
刃物に対して素手で対うような者には大事はまかされない。
刃物には刃物、もしくはしかるべき捕り道具を用意せよ、かつは人数をあつめ、捕りものの部署をし、工夫をこらせ、しかるのち事無く捕えるのが当家にとって有用の侍である。
素手で捕ってみせようとする魂胆はおのれの誇りのあほうのすることで、そういう者に一手の軍勢をあずければ、自分の綺羅見せびらかすためにどういう抜け駆けをし、勝手戦をし、ついには全軍の崩壊をまねくような悪因をつくる。
という。
要するに…
”100%勝てる闘いを仕掛けろ”と。
兵法自慢の者は素手で挑んでも99%勝てる自信があったのかもしれない。
それでも、刃物を持てば99.9%になる。
更に人を集めれば、99.999%なる。
と、家康は考えるのである。
勝負は色々な要素が含まれる。
不確定要素をいかに消すか?との点において、家康はずば抜けていたのかもしれない。
彼の思考回路は基本的に結果オーライではない。
現実を直視して、勝負を見極める思考を徹底していた。
何故、家康が天下をとれたのか?
この一事は非常に参考になる。