のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「なぜ私だけが苦しむのか」現代のヨブ記

「なぜ私だけが苦しむのか」現代のヨブ記
H.S.クシュナー

人間の真摯さが伝わる。

本書は、一人のユダヤ教教師が人生・神・宗教について考えた本である。

 

冒頭。なぜ、私はこの本を書いたか?にて、「極めて個人的な書物である」と語っている。
まさにその通り。

 

本書は、子供を失ったユダヤ教教師の書いた本である。

 

命題を明確にしておこう。

 

なぜ、善良な人々に不幸は訪れるのか?
神はなぜ、善良な人々を守ってくれないのか?

 

この命題は、神の本質的な部分、根底を揺るがす。

 

神を信じる者は本当に救われるのか?

 

否。

 

1945年、キリスト教信者が多くいる長崎に原爆は投下された。

世界貿易センター9.11の際に、神を信じていた者はいなかったというのか?

数多の悲劇、神を信じていなかった事が原因か?

善良で神を信じている人々が皆、不幸な目に合わないと言い切れる人がいるか?

 

善良な人々が苦しむ。

もしくは、善良であるはずの自分が苦しむ。

 

神が世の中を創ったとしたら、なぜ善良な人々が苦しまなければならないのか?

アウシュヴィッツにて、ユダヤ人が虐殺されたのを、なぜ、神は黙って見ていたのか?

 

・・・

めくるめく自問自答の末、行き着く先は一つ。

 

本当に神は存在しているのか?

 

カラマーゾフの兄弟にて、イワンは、”神の存在は否定しないが、神の創った世界を認めない”と語った。

立場は同じである。

 

神が存在するにせよ、しないにせよ、世の中に苦しみが多すぎるのだ。
万能とされる神が創ったにしては、悲しみが多すぎるのだ。

 

・・・

 

本書は、根源的な問いに真っ向から対峙する。

神を信じる者として、神の存在を否定はできない。

その中で、なぜ私だけが苦しむのか?を真摯に考えた結果の書物だ。

 

筆者は、3歳の息子が重い病気にかかっている事を宣告された。
10代のはじめに死ぬであろう事を告げられた。

 

筆者は、なぜ、私なのだ?と思ったに違いない。

神に何度も祈りを捧げたであろう。

息子を救ってくれ、と。

私は善良に生きている、どうか息子を救ってくれ、と。

 

彼の息子は14歳と2日で亡くなった。

その体験から、語られる言葉。

彼は、何を考え、何を思っているのか?

 

彼は「私は神の限界を認識している」と語る。

全てが神の計画の中にあるなんて欺瞞だとする。

それでも、彼は神の存在を否定はしない。

呻吟し、辛苦の中から絞り出した言葉。
心の深層に響く。

 

何だろう。

“全ての事に意味があるんだ”との励ましが空虚なものに思える。

筆者は、理由がないこともある、と語る。

 

本書を一言で表すならば”真摯”であると表現したい。

真摯な言葉は、装飾された煌びやかな言葉よりも強いものである。