読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

徹底的に鍛え上げた日本刀のようなノンフィクション。「誘拐」

一般書 作家:本田靖春

「誘拐」

本田靖春

 

徹底的に鍛え上げた日本刀のような本。

切れ味と緊張感が尋常ではない。

ノンフィクションの分野で、間違いなく最高峰。

 

f:id:anfield17:20150429102643j:plain

 

著者の本田靖春さんは元新聞記者である。

僕自身は知らなかったのだが、とても有名な方のようで。

 

新聞記者の友人に知っているか聞いてみたところ・・・

「…力士に「大鵬って知ってる?」と聞くようなもんだぜ…」

との事。

僕が、大鵬すらも知らなかった事は秘密にしておいた。

まぁ、とにかく、有名であるそうだ。

 

本書は「吉展ちゃん誘拐事件」の全貌に迫るノンフィクションである。

※吉展ちゃん誘拐事件とは、1963年(東京オリンピックの1年前)に起きた誘拐事件である。

 

事件の全貌について、詳細は本書を読んで欲しいのでこの場では語らない。

 

ただ、本書がノンフィクションの最高峰たるものか?は語らせていただこうかと思う。

 

①全編を通した張りつめた緊張感。

これが、元新聞記者がノンフィクションを書く真髄。

事件が現在進行形で起きているかのような錯覚。

 

文章を推敲する、削ぎ落とす作業の重要さは多くの場で語られているが、やはり、元新聞記者は秀逸。

徹底的に鍛え上げた日本刀のような文章が、底冷えのある緊張感を生み出す。

 

②事件に対する眼

 本書は取材と執筆に1年と3ヶ月の時間を費やした作品である。

新聞記者は、1つの作品にそれ程の時間をかけられない。

事件の深さと、締切が迫るジレンマを抱えていたのであろう。

 

その上で、本書は新聞記者であった筆者が、1つの事件を見つめ抜きたいの願望から成り立っていると言っても良い。

 

ただし、事件の闇は深く、かなしい。

あとがきで、作品の出来は自信がない、と語っているのは事件の重さ故か。

 

緻密な取材、圧倒的な筆致を持ってしても表現できぬもの(表現できていないと筆者が感じているもの)を読者は読み終えた後に漠然と感じる事になる。

(恐ろしく、言うならば、心に黒点ができてしまったかのような感覚が残る。)

 

筆者のまなざしは、加害者と被害者の両方に注がれている。

1人の幼児を誘拐された側、そして、誘拐した側。

事件の行方と迎えた結末。

 

事件を見つめる、筆者の眼は真摯であり深い。

人が人を見つめる、その営みに答えも・・終わりもない。

 

・・・

・・・

・・・

 

神保町の書店にて、偶然見つけた1冊。

本屋に行く意味とはこの偶然にあるのだろうなぁ。