今週のお題「夏の食事」
植物にできて、人間にできない事はない。
夏の食事など、光合成で充分だ!!!
光よ!!!我が体内で覚醒し、エネルギーとなるのだ。
二酸化炭素を吸って、酸素を吐くのだ。
後に私は環境省からエコに多大なる貢献をした男として表彰されるであろう。
ノーベル平和賞も夢ではない。"光合成のススメ"との本を書いて、印税生活万歳である。太陽の国で美女とお酒にまみれて人生を終える事ができる。
空想・夢想・幻想・理想・回想・構想・着想・発想・・・
あらゆる"想"と一緒に、公園で大の字になり寝る事にした。
上記、大学時代にした"バカな試み"の一つである。
大学時代の私はバイトが嫌いであった。故に、基本的にお金があまりなかった。
"高等遊民になりたい"と心の中でつぶやき、"他にもっとやるべき事がある"と決まり切った言葉を述べて、バイトを避け続けた。
ただ、お金がなければ、腹は膨れない。
そして、腹が減っては高等遊民になれない。
ある大学時代の夏、私はいかに腹を膨らますか考えた。
その中の一つが光合成へのチャレンジであったわけである。
命題:光合成をすればお腹は膨れるのではないか?
結果から言うと、お腹が空いているのは忘れた。
ただし、仔細に状況を確認すると、汗とヤブ蚊のカーニバルが私を襲い、それどころではなくなっただけである。
犯人が人質を盾に籠城している銀行にミサイルを撃ち込んで、事件を解決するのと同じようなものだ。
痛みをより強い痛みを起こして掻き消す。
あの時の私は本末転倒の体現者であったと思う。
ただ、思ったのは、あの頃はよく太陽の下にいたよね。
そんな中で元気に過ごしていたよね。
社会人になり、今はそんな苦行はしなくなった。
朝 6:00に家を出発し、20:00に家に帰る。
日曜日は比較的、家に閉じこもっている。
そんな生活をしていると、窓から"太陽さんこんにちは、今日も元気だね"ぐらいの付き合いはあっても、じっと太陽と向き合うような事はなくなる。
陽の光を身体に浴びる?そんな事も少なくなった。
太陽のチカラ・・・か。
大学時代に読んだ、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」にすべての運動は太陽エネルギーの変形であるとの事が書いてあった。
父「ぜんまいを巻くおもちゃは何で動いているの?」
ファインマン「ぜんまいでしょ?」
父「じゃあ、そのぜんまいは誰が巻いている?」
ファインマン「僕!」
父「じゃあ、僕は何で動いているんだい?」
ファインマン「・・・色々なものを食べて」
父「色々なものは太陽のエネルギーで育っているだろ?」
・・・
※ちなみにこの本は名著中の名著。
※ファインマンは教育について語る時、この逸話をだしている。
この話を読んで妙に納得した記憶がある。
ああ。太陽のチカラ。
すべてを動かす源。
「夏の食事」と言われて、私がパッと思いついたのが"太陽"であった。
日焼けとか、暑いとか、邪険に扱われる事も多いけど。
せっかくの夏なので、太陽を思いっきり食べてしまおう、そんな事を思った。
太陽は、私が腹一杯食べても煌々と照り続けている。
朝、起きたら太陽の日差しを浴びると良いという。
朝、少し散歩をして、太陽を食べよう。