読書はイベントになる時があります。
今週のお題「読書の夏」
お題が"読書の夏"ですと!?
"!!!"
ついに"読書の夏"が市民権を得る時が来たか?!
これは、僕も布教に協力しなければ!と思い、ブログを書く。
日本の人々に"夏といえばなんですか?"と聞いて、
"読書"と答える人は僅少であろう。
そう答えれば、生温い目で直視され、"引きこもり"の烙印を押されるに違いない。
ただし、我が人生において、"読書の夏"を過ごした事は多い。
学生時代の夏休み。
どこにもいかず、家で本を読む。
晴耕雨読である。
いや、晴れも雨も関係ないのだから、"晴読雨読"である。
面倒なので"読読読読"と言っても過言ではない。
やれ、海だ。
あれ、BBQだ。
どれ、山だ。
ほれ、ショッピングだ。
と、青春を謳歌する友人を横目に、黙々と読む読む。
そして、夏休み明けの定番クエッションである"夏休み何した?"に戸惑うのである。
かのような質問をしてくる者は、当然、"自分も聞かれる事"を想定している。
且つ、大抵、"私は海にいったよ〜超楽しかった!"と強烈なクロスカウンターをかましてくる。
ここで、"う〜ん、本読んでたかな"と言うと、"へぇ"と、気の無い返事が返ってくる。
そして、クロスカウンターの青春謳歌ビームである。
※ちなみに、こういう輩を黙らせる最も有効な手段は"インド行った"と嘘をつく事だと思う。
こんなやり取りをする度に、"何故、読書はイベントと認知されないのか?"と思っていた。
大学時代に、一刻も早く続きが読みたい本が鞄にある時、めんどうな飲み会に誘われた事がある。
(内心:帰って本を読みたいんだよ。)と思いながら。
「用事あるから行かね」と伝家の宝刀を抜いたところ。
相手が食い下がり、「何の用事だよ?」としつこく聞いて来た。
めんどうになり。
「読書。読みかけの本があるんだ。」
と正直に答えた。
相手は絶句し、無事、飲み会には誘われなくなった。
※こんな僕も社会人になってからはオブラートに包む技術を身につけました。
この事象から考えても、"読書はイベントではない"と皆が思っていると思う。
だから、"夏休みに読書をした"との非常に有意義な営みは、"夏休みに寝てました"と同じように扱われるのである。
本好きとして、一言。
"本はイベントになる場合があります。"
もちろん、全部がそうではないのだが。
自分の中にスッと入り込み、何にも変えて続きを読みたくなるような本があります。
そんな本に出会った時、本は人生の一大イベントになるのだと思う。
"読書の夏"とは。
"あの夏に、あの本に出会った。"との文脈で語られるのが良い。
僕は、高校一年生の夏、夏目漱石の「こころ」に出会った。
エアコンではなく、扇風機の前で。
初めて文学の香りを嗅いだような気がした。
そう、あれは"読書の夏"。
高校一年生の夏。他に何をしたか?は覚えていないけど。
夏目漱石の「こころ」を読んだ事だけは覚えているのだから。