確実に男・女で立ち位置がブレる。「さよなら渓谷」
映画化作品。
もし、小説 or 映画に手を出そうとしているなら"映画の予告編"は見ない事をおすすめする。
物語の核心に触れており、"知る・知らない"で印象が異なるから。
よって、本ブログでも核心には触れぬ。
ただ、本書、核心に触れぬと紹介が困難なのは事実であり、"予告編"で核心に触れた気持ちはわかる。
しかし、人はそれを"禁じ手"と呼ぶ。
「さよなら渓谷」
結構なパンチ力のある作品。
結末まで読んだ時に何か抉られた気分になる。
可能ならば、男・女の目線で感想を言い合いたい。
(というより、確実に男・女で立ち位置がブレるはず。)
特に女性の方は、登場人物を全否定したくなるのでは?とすら思った。
吉田修一さん作品の中ではかなりドラマチックな部類に入る。
事件の起きない「パーク・ライフ」などを読んだ後ではギャップがあるであろう。
幼児殺人事件から始まる本書は激動的である。
あらすじ引用。
緑豊かな桂川渓谷で起こった、幼児殺害事件。
実母の立花里美が容疑者に浮かぶや、全国の好奇の視線が、人気ない市営住宅に注がれた。
そんな中、現場取材を続ける週刊誌記者の渡辺は、里美の隣家に妻とふたりで暮らす尾崎俊介が、ある重大事件に関与した事実をつかむ。
そして、悲劇は新たな闇へと開かれた。
呪わしい過去が結んだ男女の罪と償いを通して、極限の愛を問う渾身の長編。
本書のテーマは以下のようのものである。
失ったものがあるとする。
それはある時にいきなり奪われた。
奪われたものはもう戻ってこない。
失った事が、忌々しき烙印を押されたかのように人生に重くのしかかる。
忘れることはできるのか?
それとも、何か別のものを手に入れるのか?
このテーマ。
本書のようなシチュエーションに限らず、深甚な意味を持つ。
(あらすじの範囲で語るなら)
呪われた過去についてどう向き合うか?
特に現在のようなネット社会では、呪われた過去が即座に社会的な抹殺につながる。
もちろん、"自業自得だ"と吐き棄てる事は可能だけど。
人はそんなにやさしくないものなの?と思ってしまう。
主人公の選んだ道。選ぼうとした道。
同情できるものではない。なれど、描かれた葛藤はホンモノだ。
それにしても、吉田修一さんは"魔が差す"事を描くのが巧み。
"空気が人を侵し、本来あるべきではない行動を取らせる"
怖いと思うのは、こういう人間の本性的な部分が小説全体を通して、透けて見えてくる事である。
本書を読んで、登場人物に全く共感できない人もいるだろう。
だけど、理解不能である事が、人間の本性を浮き彫りにしている。