"主観的な愛"が平行線を辿る。「母性」
「こうして母親は子供を守っているのです・・・。」
昔、野生の動物特番で聞いた事あるようなナレーションを思い出した。
草食動物がライオンが戦っている映像が流される。
TV画面から流される主張を当たり前のように受け入れる。
母親は子供を守るのに理由なんていらない。
"母性本能"を生き物は持っているのだと。
「母性」
本書は"母性"たる言葉を強烈に揺さぶる。
読んでいる途中で思う。
"母性"とは、幻想でしかないのか?
母性など本来は存在せず、女を家庭に縛り付けるために、男が勝手に作り出し、神聖化させたまやかしの性質を表す言葉にすぎないのではないか。P70
"母性"。
自分の立場によってイメージするものは異なるだろう。
母親は子供の顔を、子供は母親の顔を思い浮かべるかもしれない。
男であれば、母親の顔を。もしくは、妻の顔か。
女であれば、将来、母性を持つであろう自分の事を思うかもしれない。
ただ、何となく思ったのは、
"母性"をイメージできる人は、かつて"母性"に包まれた経験がある人だと思う。
"母性"を否定するのは、"母性"に包まれた事のない人であると。
本書は、そんな悲しい事を思わせる"母と娘"の物語。
「これが書けたら、作家を辞めてもいい。そう思いながら書いた小説です」著者入魂の、書き下ろし長編。
持つものと持たないもの。
欲するものと欲さないもの。二種類の女性、母と娘。高台にある美しい家。
暗闇の中で求めていた無償の愛、温もり。ないけれどある、あるけれどない。私は母の分身なのだから。母の願いだったから。
心を込めて。私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました──。それをめぐる記録と記憶、そして探索の物語。
それを求めることが、不幸の始まりなのかもしれない――。圧倒的に新しい「母と娘」の物語(ミステリー)。
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。
「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。
……遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。
圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語(ミステリー)。
冒頭、母は語る。
"私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました。"
その独白に神父が問う。
「なぜですか?」
・・・
「答えは次回でいいので、ゆっくりと考えてみてください。」
・・・
母は"娘を愛する"理由を探す。
本書の核心はこの一点にある。
それは、イコール、"母性"とは何か?を考える事でもある。
本書は基本的に"母"と"娘"の独白を交互に読む形で構成されている。
二人の回想を読む中で読者は真相に近づいていく。
ミステリーの要素を含めつつ、読者を引き込む筆力はさすが。
(個人的な好みもあるだろうが。)
母親の独白はざらりとした感覚が残り気持ち悪い。
何だろう?
例えば、動物愛護団体の活動家が家でフォアグラを食べているのを見かけてしまったような気持ち悪さがある。
"母性"を疑われる側の存在であるからだろうか?この嫌悪感。
ただ、読んでいく内に"ある出来事"が彼女を狂わせた事がわかる。
母と娘、二つの主観的な愛が平行線を辿る物語。
お互いは同じものを求めているのに、違う風景を見ている。
"心配させまいと涙をこらえる表情"は、片や、"感情を表さない仏頂顔"である、と映る。
"すれ違い"なんて言葉で終わらせられない。
母と娘の愛が平行線を描き、決して交わらない。
なぜか?
それがやはり、"なぜ、娘を愛するのか?"とのシンプルな質問に集約される。
・・・
そして、理由を知る時に、すれ違いの意味を知る。
思う。
理由のある愛とは何か?
もしくは、理由が必要な愛とは?
相変わらずエッジの効いた湊かなえさんの小説。
立場によって、読み方が変わると思う。