意識とは何か?
その説明ができぬが故に読み始めた。
我々は、毎日、眠る時に意識を失う。
必ず自分の元に戻ってくる事を前提に。
ただ、実は、意識が戻ってくる保証なんて何もない。
(少なくても僕は意識が戻る根拠を説明できない。)
戻ってこないとしたら、大変な事になる。
"意識が戻らないかもしれない"等と考え始めたら、怖くて眠れぬ。
"起きたら虫になってました。"なんて、とある小説の話も、意識の不可解さを考えれば可能性はある、とさえ思う。
"宗教を疑うのは、自分が立っている大地を疑うようなもんだ。"との言葉を思い出す。
意識も同じ類の存在であろう。説明はつかないが、あらゆる事の前提となっている。
・そもそも、意識とはなぜ発生するのか?
・どうやって意識は生まれるのか?
考えれば、答えを持たぬ疑問が多数。
本書を読むと、"意識"について考えたくなる。
『意識はいつ生まれるのか』
マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ著
非常にわかりやすい本。
特別、専門的な知識がなくても読める。
さて、"意識はいつ生まれるのか?"が本書の主題。
"意識は脳に宿っている" イメージは持っていた。
ただ、"脳のどのような活動が意識を生まれさせているか?"は知らず。
本書は一つの可能性を提示してくれる。
まず、我々は脳の無数にある神経細胞で知覚を得ている。
今、僕が文章を考えるのも、あなたが文章を読むのも、神経細胞の活動による。
それでは、神経細胞が活動すれば意識が発生するか?といえば、そうではない。
睡眠時も脳の神経細胞は活動している。
もちろん、意識を失っている時でも。
加えて、脳にある神経細胞の8割を消失しても、意識は失われないのである。
※神経細胞の8割がある小脳を摘出した患者も意識を失う事はない。
実に不思議である。
つまり、意識とは、神経細胞の活動の総和を持ってして生まれるものではないのである。
本書では、意識を説明する重要なポイントは、"統合"にあるとする。この説明はなかなかしっくりくる。
引用。
「ある身体システムは、情報を統合する能力があれば意識がある」
はあ?と思うだろうが、読後は意味がわかる。
本書では、カメラに何故"意識がない"と言えるのか?を引き合いに説明する。
単純に言うと、神経細胞つながりによる複雑性を統合する事で意識が生まれているとでも言えようか。
つまり、問題は、活動しているか?どうかではなく、統合されているか?なのである。
よって、脳の中の神経細胞のつながりを一切断ち切ってしまったら意識は失われる。つながりがなければ統合ができないからである。
右脳と左脳をつないでいる脳梁を切った場合に、人格が2つ現れてしまう症例が報告されているのもこれが原因であろう。意識が二つ生まれているようなものなのである。
自分たる土台は考えれば考えるほど、輪郭がぼやけてくる。
そもそも、意識とはなんだろう?と思った人は読むべき本である。