"put"は"置く"との意味。
クイズ番組で見たごく当たり前の光景。
何となく、ハッとしたのは、インプット/アウトプットの"プット"は"put=置く"の意味だったのかと今更気づいたからである。
※僕は英語は詳しくないので、実は違いました、との事があるかもしれない。
つまり、インプット/アウトプットの本質は"置く"事である、との解釈。
なかなか味わいのある使い方だ、と感心した。
そうそう、インプットもアウトプットも、"置く意識"が重要なのである。
この辺りを勘違いしている輩は時々いると思う。
伝わらない文章に意味はない。
もしくは、伝わらない報告は無駄である。
アウトプットの本質は、伝える事に他ならない。
逆に言えば、伝われば何でもいいのである。
専門家の役割は"難しい事を難しく伝える"のではない。
難しい事をいかに簡単な言葉に翻訳するか?である。
これはありとあらゆる事に当てはまる。
この事を理解せぬ、まるで自慰行為のような文章を書く輩を見ると説教をしたくなる。
アウトプットの"置く"イメージはしっくりくる。
一方、よくないアウトプットの方法はいくらでもある。
例えば・・・
・乱暴に投げる。(相手が理解できないであろう専門用語のオンパレード)
・流し込む。(形にすらなっていない情報を流し込んでくる=ネットの情報氾濫。)
・すぐに気化してしまう。(何が言いたいかすら不明。)
などなど。
違う違う。
"置く"のである。
しっかりと直立させて、丁寧に"置く"のである。
相手に向けて、情報を置く。
これがアウトプットのあるべき形なのである。
ちなみに"置く"との言葉を辞書で調べてみると。
人や物を、支えとなる物の上に移し、その場所に在る状態を保たせる。
とある。
何かをアウトプットする時に、しっかりと相手の中に置かれているか?と自問自答すると良いかもしれない。