意識に関する本を読んでいたら、こんな事が書いてあった。
・"ミクロの世界は常に正しい。"
・"錯誤は脳内で蒸発する。"
個人的に、納得いく部分あり。
思わず、だからかぁ!と色々な事柄が腑に落ちた。
何の事か?
簡単に説明する。
例えば、"幻聴"。
聴こえていないものが当人だけ聴こえてしまう事である。
"あれ?今、赤ん坊の笑い声がした・・・。"的な話。
まぁ、心霊スポットでも思い浮かべていただきたい。
無論、実際に赤ん坊の声はしていない事を前提とする。
実際に赤ん坊の声はしていないのに、当人は聴こえている状態。
これが、幻聴である。
赤ん坊の声はしていないのだから、勘違い、錯誤である。
隣に人がいれば、"気のせいだよ〜"とポンと肩を叩かれておしまい。
"あ、そっか〜"でめでたしめでたし。
さて、この時に勘違いを起こした人の脳の中では何が起きているか?が問題である。
先に答えを言うと。
幻聴がした時・・・
脳内の活動的には、”赤ん坊の声が実際に聴こえている"。
つまり、脳内に限れば、赤ん坊の声が聴こえるの正しいのである。
どういう事か?
脳内の活動とは、神経活動である。
赤ん坊の声が聴こえるとは、ある領域の神経活動が見られる状態を指す。
測定器を用いて、神経活動を調べる。
そうすると・・・
①錯誤の状態(幻聴:赤ん坊は存在すらしない)
②正常な状態(実際に赤ん坊が笑っている。)
の神経活動的な区別はつかないようである。
つまり、同じ神経活動をしている。
要するに・・・
①錯誤の神経活動
②正常な神経活動
を知らずに比較すれば全く同じ神経活動と捉えてしまうとの事。
これは即ち、脳内では(自分では)一切区別がつかない事を意味する。
これが、
・"ミクロの世界は常に正しい。"
・"錯誤は脳内で蒸発する。"
の意味である。
実際に音はしていない状況。
当人だけの幻聴であったとしても。
脳内のミクロの世界では実際に音がしている(神経活動だけをみれば)。
錯誤が脳内で蒸発しているのである。
さて、この"ミクロの世界は常に正しい。"と"錯誤は脳内で蒸発する"について考えた事を少々。
まず、脳の基本的な仕組みが"錯誤を蒸発させる"ってどうよ?
実際に正しかろうが、正しくなかろうが・・・
当人の中では正しい事として処理しているのである。
幻聴の話で言えば、音がしてようが、してまいが。
個人的に思ったのは。
多くの人が、"常に自分は正しいと思っている。だって、脳はそういう風にできているんだもん"って事。
間違えを認める人だっているじゃないか!と言うかもしれない。
しかし、極端な話。
"自分に非がある事を認めた人"すらも、"自分に非があると認める自分"を正しいと思っているのではないか。
脳が自分を正しいと思う習性がある気がする。
人は錯誤を蒸発させる生き物であると思えてくる。
結局、人と人はつまり、ミクロとミクロなので。
詰まるところ、正しいと正しいの対決なのである。
生きていると、何故、こんな事で怒るのだろう?とか。
全く理解し得ない行動をする人が時々いる。
それに対して、どう考えたら?とか、何を考えているのだろう?とか、あれこれ考えて理解しようとしたが・・・
理解できない場合が多い。
その理由が1つわかった気がする。
向こうは向こうで自分が正しいと思っているのである。
そういう風に脳内が活動しているのだ。
当人は錯誤を蒸発させて正しいと思い込んでいるのである。
もし、客観的に第三者が見て正しいと思えない場合でも、脳内で変換する事なんざ、お手のものなのである。
だって、音がしなくても、神経活動は起こりうるのだから。
神経活動は個人の完結した世界の中では嘘をつかない。
自分が正しいと思う事の危うさをまざまざと思い知らされる。
ただ、そういうものだと思えば、自分の正当性に基づいた怒りは存在し得ない事になる。
どっちもどっちと思えば、気も楽になるのだろうか。