「掏摸」中村文則
天才スリ師。
甘美な響きである。
なんだろう。鮮やかな盗みの手口は、人を酔いしれさせる。
もちろん、悪事である事は重々承知なのだが。
楽しみたい。せめて物語のなかだけでも。
「掏摸」
本書は天才スリ師の話である。
ただし、難攻不落の城からお宝を盗むような話ではない。
一介のスリ師である主人公が巨大な闇に飲み込まれていく話である。
闇・・・いや、運命と言っても良いだろう。
主人公を飲み込むものは、とにかく巨大だ。
飲み込まれる中で必死にもがく。
足掻くほど執拗に絡みつく蜘蛛の巣のようなものなのだけど。
文学的。
且つ、哲学的。
それでいて、エンターテイメントのある作品。
完成度の高さが際立つ傑作。
如何なる人にもオススメできる。
あらすじから引用。
東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。
男の名は木崎―かつて仕事をともにした闇社会に生きる男。木崎は彼に、こう囁いた。
「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。
そして、社会から外れた人々の切なる祈りとは…。
大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳されたベストセラーが文庫化。
物語は主人公がスリをする所から始まる。
このスリの描写がスゴイ。
リアリティがある。
緊張感が渦を巻き、呼吸を止めたくなるような文章。
財布の重み。そして、体温を感じる。
芥川賞といえば、純文学作家の登竜門である。
大衆向けの作品ではない事が多い。
まぁ、はっきり言うと、娯楽作品ではない(事が多い)。
僕自身、芥川賞を受賞した作家で愛読するのは・・・
理由は単純。
読むと疲れるのである。
彼らの文章を読んでいると、生温い質感の厚い壁で押され続けるような気分になる。
(※時に、その刺激が欲しいから読むのだが。)
(※決して、つまらないわけではない。ただ、疲れるのである)
文章に質感と温度がある。
生温い質感の厚い壁で押され続けるような気分になる。
ただそれでありながら、エンターテイメントを両立している。
ストーリーだけみても、かなりおもしろい。
だから、単純なエンターテイメント作品には飽きた。
だけど、難しすぎる文学作品は敷居が高すぎるなぁ、と思う人にピッタリ。
本書のテーマとして、"運命"が挙げられる。
"運命"とは抗えるものなのか?
もしくは、"運命に抗う事さえも運命だったとしたら?"
運命の中でもがく事に意味はあるのか?
運命はこう言う。
そんなに深刻に考えるな。これまでに、歴史上何百億人という人間が死んでいる。お前はその中の1人になるだけだ。全ては遊びだよ。人生を深刻に考えるな。
その運命に対峙した主人公の姿が鮮明に残る。
このような作品に出会うと、小説っていいなと思う。