不謹慎について
"不謹慎だ!"
とよくネットで話題になる。
震災後に笑顔の写真をSNSにアップすると、"不謹慎の大合唱"が始まる世の中である。世知辛い事、この上なく。
※この件について、個人的には叩くほどの事か?と思う。
雰囲気で察してもらえたかもしれないが・・・。
個人的に、この"不謹慎の大合唱"があまり好きではない。
※最近、不謹慎狩りに対する批判も多いしね。
そもそも、不謹慎とは?
・本来は慎むべき状況で、その場にそぐわない行動をする事。
として考えられる。
例えば、葬式で笑ったら不謹慎、とされる。
僕自身は以下の条件に合致する際、不謹慎だがニヤけてしまう。
<条件>
①自分も含めた複数の人で怒られている。
②ただし、自分には全く落ち度がない。且つ、怒られている中心人物ではない。
③怒っている人は理性を失っている。
④内容はどうでもいい事。
こういう場合、"うわ、こいつめっちゃキレてる・・・"とおかしな気持ちになってしまう。
(このシチュエーション自体に多くの人が同意してくれるかは不明だが。)
緊張感がある場面で、笑ってしまった or しまいそうになった、経験は誰しもあるのでは?と思う。
ただし、緊張感のある中で笑ってしまったら=不謹慎であるか?と言えばそうではない。
逆に、緊張感の中で笑いが生まれて、場が和んだ、経験も多い。
場が和むのみならず、大抵の場合、その後、良い方向に進む。
その時の笑いは不謹慎とされない。
個人的な意見を言えば。
緊張感のある場で笑いを生みだせる人は懐が深い。
且つ、尊敬すべき人である事が多い。
一方、緊張感を伝染させる人もいる。
不自然に緊張している人は周囲を緊張させてしまう。
これは空気感染である。
部屋一体を緊張させる"緊張感パンデミック"を起こしてしまう人は社会から疎んじられる場合が多い。
決して、不謹慎との批判は受けないが。
笑いと緊張感は対極の存在ではない。
(不思議な気もするが。)
緊張により生まれる笑いも存在する。
変な緊張感が面白く感じる事もある。
イメージをする。
円を描くと、始点と終点は同じ所でつながる。
笑いと緊張感の関係は円で表現できる気がする。
緊張感が高まるにつれて笑いから離れているような気がするが、ある所まで行くと原点に戻ってくる。
結局、切っても切れない関係なのであろう。
この考えは、人間は何故笑うのか?との難問と根っこを同じくすると思う。
さて、不謹慎に話を戻す。
不謹慎だ!と叩かれるのは、多くの場合、緊張感が蔓延すべき事態において、である。
まぁ、平たく言えば、こんな大変な時に何を呑気なって話なのだが・・・。
緊張ばかりしていても仕方がないし。
緊張感は一回りすると笑いに変わると思う。
円は進み続ければいつか原点に戻るから。
緊張感の中で見つけた笑顔は、原点に戻るべく道標である。
大切にした方が良いのではないだろうか、と考えた方が良い気がする。