浸る小説と浸らない小説。
小説には色々なタイプがある。
喜怒哀楽で表現するならば。
村上春樹さんの描く喪失感は、哀の感情軸の中で浮遊する感覚、であり。
その中を彷徨うことでどこかに抜け道があるのではないか?
と思えるような小説、だと思う。
その他、喜怒楽もそれぞれ思い浮かぶ作品があるに違いない。
僕は、小説を、自分との向き合い方、でも表現できると考えていて。
世界観に浸りたくなる小説は良い作品だと思っている。
浸る、とは。
その小説が組み上がってる世界の内側に意識がある状態とでも表現できようものか。
現実世界が無条件に続くもの、との前提があるのと同じで。
物語が続くもの、として捉えたくなるような感覚、である。
まあいうまでもなく。
良い小説は"浸る"。
ほうれん草のお浸しみたいに、たっぷりと吸い込んで自らを纏う雰囲気自体を変えてしまう。
逆に、あんまり浸らない場合。
心に残らない小説となる事が多い。
何というか、物語が自分の中に入ってこない。
読めども読めども、言葉が通過していく感じ。
小説において
浸る or 浸らない
は評価する上で重要な指針だと思う。
この感覚、わかっていただけるだろうか。