のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

プラシーボ効果のネタバラシについて。

"プラシーボ効果のネタバラシ"について考える。

 

まずは、プラシーボ効果の説明から。

よく知られた用語であり、知っている人も多いと思うが。

 

まずは引用。

偽薬(プラセボ)の投与によってみられる治癒効果。

薬物そのものの効能ではなく、投薬された安心感や医師への信頼などの心理作用によって症状が改善する状態をいう。

プラセボ効果

プラシーボ効果

 

要は、

医者が

"はい、お薬を処方いたしますね〜"

と言って、実はただのビタミン剤を処方して、

薬だと思って飲んだ患者が"薬と同じような効果を得る"事である。

薬を飲んだ、との安心感が良い効果をもたらす。

 

病は気から、とはよく言ったもので。

心理面の影響は大きなものである。

 

"プラシーボ効果のネタバラシ"に話を戻す。

 

プラシーボ効果がある、何らかの錠剤について。

実はこれは何でもないんですよ〜

と言ってしまうのが、"プラシーボ効果のネタバラシ"、である。

 

客観的には、"騙されていた人が真相を知る"

主観的には、"自分が騙されていたと気づく"

 

騙されている状態、とは決して肯定的な語感ではないが。

ただ、よく考えてみると。

効果があるのだからプラシーボだろうが何だろうが良いのでは?

との見方も一理あり。

 

例えば、酔い止めであれば。

"乗り物に酔わない" 事が1番の目的であり、

ラムネを酔い止めと騙されて飲み、プラシーボ的に酔わなくなったとしたら?

結果、酔い止め薬を飲んでいるのと同じである、と言える。

酔い止まってんじゃん?と言われたらそれまで。

 プラシーボだろうが、何だろうが、手段は誰も問わない、であろう。

 

そう考えると、"プラシーボ効果のネタバラシ"とは、

効果を失わせる罪深い効果、であるようにも思えて。

 

酔い止めと騙されている内はプラシーボ効果があったラムネに対して、

"オメーが飲んだのラムネだよ?"

と告げた瞬間から何となく酔い始めてしまう、との現象は誰しもが感覚的に納得できる話であろう。

だったら、ラムネを酔い止めと思って飲んでいる方が当人は幸せなのでは?

との見方もできてしまうなぁ、と思うのである。

 

大体、世の中に蔓延する、"〜な気がする"を奪ったら、世の中に楽しみはなくなる、と個人的には思う。

前回も触れたが、高級なワインを飲んでいる際に"美味しい気がする"と思っていれば当人は主観的に幸せなのである。

 

信じる者は救われる、との言葉は、

主観的には絶対に否定できない。

救われたと思うのは当人だから。

 

これは僕が宗教について考える時に毎回行き着く言葉である。

 

色々な事を教えてくれる名著。

 

「予想どおりに不合理」

行動経済学が明かす 「あなたがそれを選ぶわけ」

ダン・アリエリー

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