「ままならないから私とあなた」
熊本に鈍行列車で向かった事がある。
いわゆる青春18切符での鈍行の旅であり、
お金はないけど時間がない学生の定番であった。
でかいリュックと一緒に、まるで置物のようにちょこんとボックスシートで座っていたのだけれど、
途中で乗ってきたおじさんに、
「おう!兄ちゃん、熊本行くのか?」
といきなり話かけられた。
心の中で、
(この列車で熊本に向かっていない人間なんていないだろ、何故なら熊本行きの電車だから!)
と思いつつ、
「そうなんです!」
と元気良く返事をした所、
「そうか兄ちゃん!熊本は夜の街も良いからなぁ」
と、青少年に有害な事を直球でぶつけてきた。
中学生の男子に接するすげぇエロいおじさんみたいな雰囲気である。
こういう人、いるよなぁ、と思いつつ。
少々、話をして、出会いとしては悪くない事であり、
旅の本懐とも思った記憶がある。
‥
それは、飛行機で熊本に到着していたら、
決してすれ違わぬ邂逅。
「ままならないから私とあなた」
この本を読み終わった時に、
熊本で出会った見知らぬおじさんの事を思い出したのは偶然ではない。
もし飛行機で熊本に着いていたら、との仮定は、
おじさんとの思い出を夢散させるが、
もしかすると、熊本城を長い時間かけて丁寧に観察する事により、
また別の出会いがあったかもしれない、と思う。
その二つの、もし、には優劣がなく、
どちらも人生の中では起こりうる事なのだと思う。
あらすじを引用。
先輩の結婚式で見かけた新婦友人の女性のことが気になっていた雄太。
しかしその後、偶然再会した彼女は、まったく別のプロフィールを名乗っていた。
不可解に思い、問い詰める雄太に彼女は、
結婚式には「レンタル友達」として出席していたことを明かす。 「レンタル世界」
成長するに従って、無駄なことを次々と切り捨ててく薫。
無駄なものにこそ、人のあたたかみが宿ると考える雪子。
幼いときから仲良しだった二人の価値観は、徐々に離れていき、
そして決定的に対立する瞬間が訪れる。
単行本に、さらに一章分を加筆。少女たちの友情と人生はどうなるのか。
「ままならないから私とあなた」
正しいと思われていることは、本当に正しいのか。
読者の価値観を心地よく揺さぶる二篇。
本作は、
熊本へ鈍行列車で向かう事を時間の無駄と考える女の子である薫と。
鈍行で行く事で巡り合えた出会いが大切であると信じる雪子、の話である。
その運命は巡るものであり、
どちらが正しいとか、間違っているの話ではない。
そこに優劣をつけようとした時に、
人生は何かが失われるものであると、本作は語る。
その事について、どう思うのか。
朝井リョウは、現代に関するわかりやすい違和感をストレートに投げかけてくる作家である。