「知」のソフトウェア 立花隆
〜情報のインプット&アウトプット〜
古典的な本である。
当然、スマホなんて言葉は全く登場しないが、読む価値は充分にある。
■大前提
知的生産(この言葉自体が曖昧で輪郭がないが…)の技術、技法には決まったやり方は存在しない。
つまり、本書のテーマ自体が一般論ではない。
"私はこうやっているけど、君はどうやるか自分で考えてね"との考えが前提。
よって、自分なりのやり方を考えるヒントとの位置づけがいいだろう。
■実践のない理論に意味はない。
実践のない理論に意味はない、月夜に提灯のようなもんだ。
本書はあくまで技法(理論)にすぎない。
手段を学ぶための本である。
読み終わった後に思うのは、"まずは一番気に入った技法を実践してみよう"との事。
さて、本書から何を学び実践するか?
以下は僕の覚書である。
■知的生産、インプット、アウトプットとは何か?をまずは考えよう。
主題は"知的生産"
副題はインプットとアウトプット。
シンプルである。
「インプット→アウトプット=知的生産」との構図が読み取れる。
まずは、インプットとは何か?
インプットは様々な方法で行われる。
読書、映画、新聞、インターネット…人と会う等。
"人と会う"をインプットと言ってしまうと味気ない気もするが、人と会って得られる情報は非常に多い。
ただ、友達と会う度に"インプットインプット…"と意気込む奴はいない。
ここはあくまで、知的生産に限る。
■インプットの構造。
インプットの恐ろしい所は"すぐにインプットしたつもりになってしまう事"である。
誰しもが経験していないだろうか?
聞いている時 (or読んでいる時)は理解しているが、いざ、人に説明しようとすると詰まるパターンである。
その時に…「あっ、理解していない…」と気づく。
これはインプットしていないのだと思う。
本書の中では、"無意識の領域"を信じろ。との話もあるが、自分の言葉にならない以上は理解は薄いと考えるべき。
ポイントは"自分の言葉で言い換える"であると思う。
よく、言われた事をそのまま伝えている人を見かけるが、彼等は質問に答えられないタイプの人間である。
"自分の言葉で話す"の大前提は"理解"。
自分の言葉で話せれば、概要は理解したと言える。
そのためインプットをした際に僕は…
□自分の言葉で言い換えるようにしている。
話している最中であれば、「〜という事ですね?」と言い換えて質問する。
ある程度の理解がないと言い換えられない。
1人でインプットした場合は、身近の友達を思い浮かべてイメージの中で説明する。
会えれば一番良いのだが、そうもいかないので頭のなかで考える。
言い換えられる時とそうではない時では理解の幅が異なる。
■"知的生産"と呼ばれる曖昧な物事の定義は"自分の頭で考える事"だと思う。
形は色々とある。
・長い文章を要約する場合。
・逆に短い文章に喚起する場合。
…
…
まとめると、"一種の体験、自分の中に吸収したものを違う形(どのような表現でも良い)で外に産み出せるか?否か?"に集約されると考えている。
生産といえば、工場を思い出して欲しい。
各地から集められた原材料、設備を用いて車を生産する行為。
いわゆる"知的生産"に言い換えるなら…
"原材料=情報"、"設備=脳"とするのがしっくりくる。
情報を単体で意味を持たずとも"線で結ばれる事"により意味を持つ(場合がある)
例えば、ゲーテル、エッシャー、バッハの共通点を論じた本がある。
本来は結びつかない3人が結びつく。
これは知的生産の1つの形である。
■"目的のないインプット"はもう止めよう。知的生産をしたいのならば。
漠然と本を読む、これは悪い事ではないと思う。
ただ、目的のあるインプットは強い。
会社でも、仕事で使う技能と使わないもので比べたらどちらが会得するスピードが早いかは明らかである。
まずは、知的生産を目的としたインプットを意識してみる事。
これが重要と感じた。
自分の言葉で言い換えるなら。
"誰かに伝える前提でインプットを行う"って事。
色々と考える必要があり。
一般論はないので、引き続き考えろってことだわな。