「不実な美女か 貞淑な醜女か」
文章にユーモアが滲み出ている。
テンポの良く全編を楽しめる。
ロシア語通訳者である米原万里さんが通訳について語った本である。
まず、タイトルが秀逸。
「不実な美女か 貞淑な醜女か」
・・・
なんのこっちゃ?と思う人のために説明すると・・・
通訳における特徴を彼女なりに表現したもの。
①原文に忠実であるか? 不実 or 貞淑
②訳文として整っているか? 醜女 or 美女
もちろん、貞淑な美女が一番良いのだが、世の中そう簡単ではない。
現実は、不実な美女か?それとも、貞淑な醜女か?
(女性が語るからいいのだけど、男がこんな表現したら怒られそう)
う〜む・・・どちらがいいか?なんて思うのだけど、米原さんは"通訳の場合、時と場合による"と言う。
つまり、パーティーのような華やかな場所であれば、"不実であっても美女であるべき"。
逆に、重要な商談の最中では"貞淑な醜女"の方が良かったりする、と。
(やはり、怒られそうだ。)
そう、通訳たる稼業は、大部分において時と場合による。
通訳者たちの笑える話も多く紹介される。
例えば、スピーチ前の意味のない前置きを"こんにちは"で終わらせてみたり、話のオチがわからなかった場合に"オチがわかりません!"と訳して爆笑をかさっらう話など。
通訳者たるもの、すべて訳そうとすると難しい。
わかる所だけ訳せばいいのだよ、とアドバイスをもらったり。
本書の大切な部分で、"文脈"の話がある。
文脈とは、話す上で、土台となっている、文化や慣習、常識のようなもの、である。
例えば、(極端な例をだすと)、インターネットを知らない人にメールを送ってくれ、と言ってもわからない。
米原さんは、ロシア⇄日本の間でも、同様に文脈の違いは存在する、とする。
だから、文脈を整える作業がまず一番大事なのである、と。
引用する。
P223〜
異なる言語の間の意思疎通を取り持つという営みは、コミュニケーションの両当事者に「同じ土俵」ならぬ「同じ文脈」を整えてさしあげなくては、用をなさない。
個々の字句や発言の背景に控えていたり、根本に流れていたりする、もう一方の当事者にとっては馴染みのない制度や習慣などの事情、すなわち文脈を把握し、添えてさしあげることを怠ってはならないのである。
この話は、通訳のみならず、意外とあらゆる仕事上で必要となる技術である。
同じ日本語であっても、話が通じない人は多い。
技術部と営業部では、全く噛み合わなかったりする。
よくある話が、売上を考える営業と、こだわりを大事にする技術と・・・との具合に、話が恐ろしい程、平行線を辿る場合がある。
そんな時に必要なのが、お互いの文脈を整えてあげる日本語通訳者である。
技術部と営業部の文脈をととのえてさしあげて、着地点にストンと落とす。The サラリーマンである。
本書を読んで、ああ、成る程、と思う点は多かった。
通訳の仕事に就かれている人のみならず、色々な人にお勧めする。