"便利さは正義"である。
いわゆる、デジタル時代のスローガンみたいなものだと思う。
錦の御旗よろしく、便利さを売りにした商品が氾濫する。
ワンタッチで〜。
自動で〜。
寝ている間に〜。
ワイヤレスです!クラウドです!
タッチパネル式、持ち歩けるパソコンです!
スマートです!もはや電話ではありません!なんでもできますよ!
いつの間にかそんな風になっていた。
便利になった。
困ったらネットで調べればいい。
地図を見なくても、GPSが答えてくれる。右へ左へ。東へ西へ。
待ち合わせに遅れたら、メールすればいい。「ちょっと遅れるね〜」
・・・・
・・・・
何が失われた?
・・・・
何を得た?
便利な世界。
それは"不便な楽しさ"のない世界。
富士山の頂上に登りたくなるのは、登るまでの道のりが途方もなく不便だからだよ。
不便である事を乗り越えたから、頂上に喜びがあるんだよ。
ボタン一つで富士山の頂上にいけるとしたら?
誰も頂上なんて目指さないよね。
ああ、便利だなぁ。
・・・
僕は、iPodを聴きながら好きな曲を再生する。
昔、スタジオジブリの曲をテレビからテープレコーダーに録音した思い出をたぐり寄せながら。
家中が留守の時を狙って、録音したテープレコーダー、どこにあるのかな?
ワクワクした思い出だけはまだ心の中にあるけれど。
ああ、楽しいなぁ。
万年筆で日記を書く。手間がかかるから楽しいの?
ああ、不便だなぁ。
そこには、新しい商機があって。
ただ、失われるであろう"不便な楽しさ"がある。
不便な楽しさ。
時々、思い出したくなる。
待ち合わせの時間とか。自宅に電話をする胸の高鳴りとか。
写真を現像に出して、失敗した写真をみて父親と笑ったなぁ。
今では、撮った直後に画面で確認できるんだよ、便利だね。
でもさ、失敗した写真をみて笑顔になる事はないのかもしれないね。
変わらないものと、変わったもの・・・。
心地よい便利と不便の狭間で生きていきたいのよね。