禅語に"落花流水"たる言葉がある。
1つに男女の相思相愛を示す。
もう1つに、落ちた花が水に流れていく情景を指す。
花びらがいかなる運命にもひたすら無心に随う。
流るる水の中で、ひとひらの花びらがある。
その姿を禅は美しいと考える。
どこにゆくかは、流るる水の通り。
だけど、ひとひらの花びらは輝きを失わない。
人に例えて、行く先は運命に左右されても、その中で生き抜いていく事を説く。
今流れ着いた場所を否定するのではなく、流れ着いた場所で生きる。
本書「一刀斎夢録」を読み終えてまっさきに"落花流水"の言葉を思い浮かべた。
主人公である斎藤一の生き様がそのように思えてならなかったからである。
ただし、思い浮かべる情景ほど、穏やかなものではないけれど。
男は運命に左右されながらも、強く生きる。
「一刀斎夢録」上・下
もしかすると、漫画「るろうに剣心」に登場する人物として有名かもしれない。
(僕個人はるろうに剣心のイメージが強いため、だいぶ影響された)
彼の人生は、幕末から明治の動乱の中で大きく揺れる。
"激動の時代"なんたる言葉で表現するのは陳腐である。
悪は瞬く間に、正義となり。白は黒になる。
数多の正義が交差する中で、錦の御旗が掲げられる。
会津、薩摩、長州。
尊皇、攘夷、討幕。
時代の帰結は論理では理解できぬ程の混迷。
尊皇と攘夷は結びついて討幕し、何故、明治政府は生まれるのか?
時代は巨大な波を生み、個人の正義を飲み込む。
混沌とした時代と、男の生き様が描かれる。
正々堂々の武士道如きものを期待してはいけない。
"剣の奥義は一に先手。二に手数、三に逃げ足の早さ"と語る男である。いわゆるヒーローではない。泥臭さがある男だ。
だからこそ、読み応えがある。
ドラマがあって、人間味がある。
物語は老年にさしかかった斎藤一をとある中尉が訪ねて、昔話を聞く形の構成。
連夜連夜で語る語る。
聞くのも大変だろうが、語るのも大変であろう。
酒を飲みながらの昔話。
おや?もう朝か、みたいな勢い。
現実的に考えたら、どんだけ話してんだよっ!!!!と猛烈にツッコミたくなるのだが、話の迫力に聞き入ってしまう理由もわかる。
その辺りは、さすが、浅田次郎さんの筆力。
さて、本書のポイント。
なぜ、いきなり訪ねてきた、見知らぬとある中尉に斎藤一は長話をするのか?
答えは物語の中にあるのだが。
その心情を思うと、心揺さぶられるものがある。