「若冲」 澤田瞳子
蓮の花が泥濘から咲き出るが故に麗しいが如く、美しきものは、決して高潔清高なる魂からのみ生まれるわけではない。
本文から引用。
「若冲」
澤田瞳子
本作のテーマは若冲の絵はどのようにして生まれたのか?である。
上記の引用はそのテーマを考える上で重要なポイント。
芸術は人生を投影するものであると、と考えたくなる。
全てをその枠組みに当てはめる事は出来ないと思うが。
考え方として納得できる部分あり。
例えば、有名な作品であるムンクの"叫び"。
この作品にインスパイアされたものが数々存在し、一度は見たことがある構図だろう。
僕自身、この作品を教科書で見た時、かなりの衝撃を受けた。
そして思った。
こんな作品を書く人物はどんな人間なんだろうか?と。
ムンク自身は発言を引用する。
「物心がついてから、生の不安が僕から離れたことはない。僕の芸術は自己告白だった・・・。生の不安も病もなければ、僕はまるで舵のない船だったろう」
この一文と"叫び"の作風は合致する。
ムンクとは"不安を芸術に昇華させた画家である"と言いたくなるのは当然。
※ちなみに以前に行ったムンクの美術展では"生と死"の両面を持つ画家と表現されていました。
一人の人間が何かを生み出す。
それは人生の延長線上にあるものである。
そうすると、逆算により想像力を膨らます事が可能。
この作品を生み出す人物の人生はどのようなものであったのか?と。
作品から人生を想像するのである。
本作はそのような視点で構成されている。
つまり、若冲の作品を鑑賞して思った事、おそらく彼の人生はかのようなものであろう、とのストーリーなのである。
最大のポイントは若冲に妻がいた、とする点。
解説にもあるが、若冲には妻がいたとの記録はない。
ただ、妻がいなかったとの記録もないのである。
これが重要。
小説家は記録なき歴史には想像力でストーリーを吹き込む事ができる。
記載のない歴史に物語がある。
なお、著者は若冲の作品を愛する者がいてこそのもの、と考えるが故、このようなストーリーになったようである。
僕自身は若冲の作品をそこまで知らずして読んでいるため、そうなのか、と思うばかり。
若冲の作品に耽溺している人はどう思うのか?
若冲を知る人も、知らぬ人も楽しめる作品だと思う。