"発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である"
発酵に関する本を連続で読みて。
つくづく、発酵がもたらす恩恵のありがたさに感謝する。
発酵は人類の文化であると言っても良い。
そもそも、お酒自体が発酵の結果なのですもの。
お酒のない人生はオアシスのない砂漠と同じである。
もちろん、お酒を一滴も飲まない人が悪いわけでは決してなく。
ただ、酒好きからすると。
No Life No アルコール
と思ってしまうのである。
今から5,000年前に既にお酒に関する記録があったのだから。
ロミオとジュリエット以上にお酒と人類の縁は深い気がする。
"発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である"
との名言にも納得する。
同じように時を経て、状態の変化を産むとの話であるが。
片や、腐敗で、片や発酵。
地域によっては、納豆などとてもじゃないが食べられない、との場所あっても不思議ではなく。
納豆を見て。
"腐っているじゃん"
と言われたとしても、若干、何も言えぬ所。
ただ、納豆を明確に日本食の一部として扱われる。
何故か?
それが日本文化であるから、としか答えようなく。
つくづく、文化との言葉がもたらす、一種の正当化力とは大したものだ、とも思ってしまうのである。