働かないアリに意義がある、かと言って、働かなくて良いわけではない。
子供の頃は虫を追いかけた少年だったので。
アリの行進が何処に向かっているのか追ったりしたものだ。
・何処へ行くのか?
・何処より来るのか?
小さな疑問で一日を過ごした日々。
懐かしくも思う。
時を経て、今。
アリについて組織論的な話をする。
もはや少年ではないのだと実感する。
「働かないアリに意義がある」
長谷川 英祐
表題の通り。
働かないアリにだって意義があるのだと説く。
自分だけが汗水流して働いているのに!
なんであいつはサボっているんだ!
と感じている人。
本書を読むと、そういう見方もあるのか、と思う部分もあるだろう。
ただし、だから働かなくていいんだ!あいつは!と水に流せる程の内容ではないので注意。
(充分、楽しめる視点をもらえるけどね)
あらすじを引用。
働き者の代名詞的存在のアリ。
彼らの組織のなかには、休んでばかりいたり働かないアリもいる。
しかし普段せっせと働いているアリが疲れて動けなくなったら、サボっていたアリたちが俄然働きだす。
彼らは働くアリたちの交代要因だったのだ。
働き者だけの組織よりも働かない者がいたほうが組織は長続きする!?
アリの生態から人間社会が見えてくる。
働かないアリの話もあるのだけど。
気になったのは、アリには司令塔がないのに何故機能するか?との点。
アリにはいわゆる上司はいない。
(上司と言えば、真夏の熱帯夜に現れた蚊ぐらい嫌なものだが)
上司とは、部下に指示を出すもので。
指示伝達があるからこそ組織とはスムーズな動きを取れるものと一般的には考えられている。
あるべき組織論としては。
・情報収拾をする部隊
・それに対して決断する人
前者が部下で
後者が上司である。
決断する人は、つまり部下たちに正しい方向性を示せるから必要なのであり。
正しい方向性を示す事 = マネジメント、であると思う。
本の受け売りだが。
例えば、森の木を伐採して平地にしようとしているとして。
伐採する仕事を一生懸命やるのが部下、であるとするならば。
森全体の伐採すべき木を正しく指し示すのが上司の役目、である。
(それができない上司は結果、伐採すべきではない木をターゲットとしてしまう)
その点において。
正しく機能するならば。
上司と部下の関係は必要であり。
(正しく機能するとの理想像を追いかけて)
概ねの企業が役職を設けており、上司部下の関係を持たせるのである。
では?
アリの組織はどうなっているのか?との観点に戻ると。
アリには上司が存在しない。
そのため、アリは個人で判断をする。
ならば?
森の話に戻ると、個人が正しくない木を伐採するのでは?と思ってしまうのだが。
アリは個人の判断に諸々の工夫をしている、ようである。
その一つが"反応閾値"である。
反応閾値とは、 "〜な大きさの餌であれば、巣に持って帰ろう"の〜の部分の事である。
人間で言うならば。
部屋が汚れた際に掃除しようと思う or 思わない の境界線が人によって異なるのと同じである。
アリは、〜な大きさの餌であればの"〜"の部分がアリによって違う事によって、全てのアリが同じ仕事に取り掛かるのを制御している、ようである。
人間であれば、上司が、君はこっちの仕事/貴方はこっち、と振り分けるのだけど。
アリはシンプルに反応閾値のみで組織的に動く。
この事、シンプルな決め事だけしておけば組織は機能する、との話につながるのだが。
この点はまたそのうち触れたいと思う。