推し、燃ゆ
社会に馴染めない人、は、ある一定数いる。
僕自身も、全ての人に馴染めるわけではなく、
例えば、IT企業の超エリート軍団とか、喧嘩っ早いチンピラ集団、ハロウィンの若者とか、
たぶん、うまく馴染めないであろう集団は容易に思いつく。
馴染めない。
とは、呼吸ができないようなもので、
呼吸できない環境とは、
苦しい。
当たり前の事を、当たり前にできない時、
人は、ただただ、苦しい。
その苦しさは、
他人が推し量ることのできない。
それも、
他人は呼吸ができている中、
ただ独り、呼吸ができないのである。
呼吸をすればいいじゃん?
との安直な問いかけは、心に突き立つ刃となる。
自分が当たり前だと思う事が、
人にとっては当たり前でない事は多い。
悪意なき刃は人を深く傷つける。
馴染めなくても、生きていかなければならない。
呼吸できなくても、息を吸わなければならない。
その苦しさの中で、何に縋るのか。
そして、それは果たして救いになるのか。
本作を読んで、
そんな事を考えた。
盲目である事が安らぎになる事もある。
推し、燃ゆ
あらすじを引用。
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。
アイドル上野真幸を“解釈“することに心血を注ぐあかり。
ある日突然、推しが炎上し——。
デビュー作『かか』は第56回文藝賞及び第33回三島賞を受賞(三島賞は史上最年少受賞)。
21歳、圧巻の第二作。
若い作家さんで驚いた。
推し、との言葉にはどうしても若さを感じざるを得ないが、
文章は巧緻である。
読み応えがあった。
若者のリアルを読み解ける、との感想は少々、安易に思える。
本作は、推しが炎上した話ではなく、
社会の中で、
うまく馴染めずに呼吸をできないような女の子の話である。
(はっきりとは言われないが、主人公は発達障害だと思われる記述がある)
例えば、
主人公のあかりがバイト先で、
常連客にちょっとハイボールを濃いめで作ってくれない?と頼まれる。
あかりは、ハイボールの濃いめと普通の料金表を持って常連客に見せるが、
そういうことじゃない、のである。
機転の利く人であれば、
偉い人にバレないように、
ちょっとだけ濃いめのハイボールを作って、
絶対ナイショですよ!
等と、その場に馴染む振る舞いをしたりする。
それは、変な言い方であるが、
うまく生きるための処世術なのである。
(決してルールを破る事を推奨しているわけではない)
あかりは、そういう処世術でうまく生き抜く事ができない。
それが、呼吸ができないような苦しさを生むのだ。
その中で、
あかりが、救いとしているのが、推しを推す事であるのだが、
この物語は推しによって人生が救われました、と言ったような感動物語ではない。
結末の言及は避けるが、
当たり前であるが推しもまた社会の一部である。
あかりが馴染めなかった社会の一部なのである。
その事実を知ってもなお、生きていかなければならない事に、人間のリアルを感じた。