人生を振り返った時、
あの出逢いがあったから、今の人生がある、
そう思えるものは存在する。
その出逢いは偶然かもしれないが、
必然であるかのように、自分の一部になる。
心の輪郭を鷲掴みされて、
無理矢理に形を変えられたような、
名状し難い感情の揺さぶりを鮮明に思い出せる。
それでいて、その感情は、
自分の細胞、一つ一つに刷り込まれているかのような、
存在する事が当たり前であるかのような存在である。
そのような人生を変えた出逢いを描いた作品である。
と言うと、
ありきたりな作品のように思えるが、
本作は、その出逢いに対しての熱量において、他の作品と一線を画する。
おそらく、辻村深月さん自体が同じような原体験があるのであろう。
(そうでなれば、そう思わせる力強さがある)
人は、本当に好きなものについて語る時。
早口になって、前のめりになる。
その言葉は熱を帯び、目は輝く。
周囲の温度が上がるかのような雰囲気を纏う。
本作にはそういう源泉的な熱さがある。
そして、僕自身、
そういう作品にめっぽう弱い。
自分自身が、そのような、何か好きなものがある事を支えに生きてきた、からだと思う。
その時を思い出すと、
世界が震える。
それくらい夢中になれる瞬間が、
人にはある。
僕は、その時、その瞬間、そこに存在した事だけで、
僕の人生は幸せだったと言い切れるような体験をした。
この作品は、
好きで好きでたまらない、人生を変えたような体験にリンクして、
猛烈に感情を揺さぶる作品である。
あらすじを引用。
人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだーー
あの事件から10年。
アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。
夢を語り、物語を作る。
好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。
空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。
辻村深月さんの作品は割と愛読しているのだけれど、
この作品は、一番好きであると言っても良い作品である。
本屋大賞となった「かがみの弧城」の方がまとまっている感じがするのだけれど、
辻村深月の小説を書くマグマのような熱い源泉を浴びせかけられたような作品である。
震えて泣いた。
主人公の赤羽環が言う。
「だったら、忘れてしまえばいい。私は絶対に覚えているから。絶対に、忘れたりしないから。あの心に響いた感じに揺り動かされながら、ここまでやってきた。これから先も、きっとやっていく。」
人が本当に好きなものを人生で得られるのは、
ただそれだけで幸せな事である。
その事を、本作を読むと強く思う。
そして、またこの作品自体が、
僕の人生を揺り動かした大切な瞬間であり、
また誰かの人性に対するクサビとなるのである。
素晴らしい作品を紡いでくれた事に心より感謝する。