のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

八日目の蝉

「八日目の蝉」

角田光代

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その一言を思い出した時、

あの時、あの瞬間に、

深層に含まれた意味を知る。

 

その一言を思い出す時、

情景が、人生の物語における一つの帰結として、

目の前に浮かび上がる。

 

本作はそのような瞬間を描いているのだが、

実に見事。

あっぱれ、感服である。

 

夕方の、

まばらに人が点在する電車内で、

涙が溢れ出た。

・・・

そう。泣いてしまった。

誇張はなく、

蠢いた感情が出口を探しているようだった。

それほどまでに、

揺さぶられるものが強く、大きい。

 

あらすじを引用。

 

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。

東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。

偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。

心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。

第二回中央公論文芸賞受賞作。

 

本作は、

不倫相手の子供を誘拐する女の物語。

もちろん、犯罪である。

子供を誘拐した女は、逃亡生活を続ける。

 

誘拐した時、子供は赤ん坊であったため、

本当のお母さんだと信じて育つ。

 

本作は、

逃亡する女と誘拐された子供の物語である。

章立てとしては、

・1章が逃亡する女の視点の話

・2章が誘拐された子供が大人になった時の話

となっている。

 

赤ん坊を誘拐した女の名前は、希和子。

 

希和子は妻のいる男と不倫をしている。

そして、

不倫相手の男と、その妻の間にできた初めての赤ん坊を誘拐する。

まさに、ドロドロの不倫劇。

 

ただ、希和子にも斟酌すべき点はある。

 

それ以前に、不倫していた男と希和子の間にも子供ができており、堕ろしているのだ。

且つ、堕ろした事が原因で調子を崩し、

自分が子供の産めない身体になってしまった、思うようになる。

 

つまり、精神的に相当苦しんでいたと言ってよく、

背景を全て知っている読者は、

希和子にも情状酌量の余地があるとわかっている。

 

また、不倫する男も責任感のないゲス野郎であるのは間違いなく。

男の妻も、希和子に対して激烈に攻撃を仕掛ける。

(男を寝とった女なのだから、そういうものだろうか)

読者にとっても、誘拐された側も印象は良くないのが事実である。

 

ただし、言うまでもなく、

子供を誘拐された側にとっては、許すまじ犯罪だ。

 

その犯罪の逃避行の中で紡がれていく物語。

そして、帰結。

僕が心揺さぶられたのは、その帰結であり、

冒頭で述べたある言葉を思い出す瞬間なのである。

 

下記、小説の結末にも触れる。

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

帰結とは、

希和子の逃避行の終わりだ。

 

本作は誘拐された子供と、との話で進んでいる以上、

希和子は最終的に逮捕されて、

誘拐された子供は両親の元に帰る。

 

ただし、それまで幾年も過ごしてきた二人の関係は、言うまでもなく本当の親子である。

赤ん坊の頃から育てられているのだから、

母親と信じて育っているのである。

ただ、その関係は、希和子の逮捕と共に打ち切られる。

その為、2章では、

誘拐した母に育てられた女としての人生が語られる。

 

さて、帰結の話に戻る。

本作の1章の終わり、

つまりは、希和子が逮捕されるシーンの直前。

 

“どうか、どうか、どうか、どうか、お願い、神さま、私を逃がして。”

との、

希和子の切実なる祈り、で急に幕を閉じる。

 

そして、2章の語り手である誘拐された子供の視点に映る。

そこでは、

“そのときのことを私は覚えている。”

から始まり、

フェリー乗り場で逮捕される回想がされ、読者は逃避行の帰結を知る。

そして、

希和子が何かを大声で叫んだ。と語られる。

 

引用する。

ただ、私と引き離されるとき、大声で何か言った。

私は何もしていない、とか、その子を連れていくな、とか、きっとそんなことだ。

 

・・・

・・・

この時に実は希和子が何を言っていたか?

誘拐された子供は、大人になってその土地を訪れた時に思い出すのである。

その言葉が尋常じゃなく、響く。

胸に詰まる。

 

その伏線が回収されるのが、140ページほど読み進めた最終盤であり、

そこが物語の帰結である。

 

希和子は逮捕された瞬間にそう刑事に向かって叫んだのだ。

 

“その子はまだ朝ごはんを食べていないの。”

 

・・・

希和子にとって、

逮捕 = 人生の重大事 であったのは言うまでもなく、

言うなれば、もう終わり、なのである。

 

その時、瞬間、刹那に、反応して出る言葉が、

子供を気遣うそれであった事・・・。

そして、その言葉を思い出した時に、

誘拐されていた子供は、

希和子に愛されていた過去の自分を思い出す。

 

その帰結が、実に見事で、

心に響き、揺さぶるものがあった。