のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

日本酒は燗、常温で保存

読む本、読む本、"燗"をオススメしてくる。

日本酒の話。

 

まず、"燗"とは?

日本酒を徳利に入れ、適度にあたためること。

 である。

つまり、温かい日本酒である。

 

日本酒とは、とかく冷やすイメージはあって。

まぁ、寒い日だったら、温めても良し、程度の認識で今まで。

ただ、最近、読んだ日本酒の本で完全に覆された。

日本酒は"燗"である、と。

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"熟成"たる考え方が肝要である。

いい酒は熟成させてからこそ、旨くなる、と。

 

諸々の通念として、"鮮度が良いもの = 美味い"との考え方は全てに通じるものではなく。

日本酒も同じである、と。

 

日本酒において、"できたてホヤホヤなものが流通すると"生酒"と呼ばれる。

 

僕自身、"生酒"と言われれば、新鮮なのだから美味しいに違いない。

"要冷蔵?絞りたては違うな〜"

と思い喜んで購入したものである。

・・・

が、過去に読んだ2冊の日本酒フリークが書いた本には、

熟成が大切である、激烈に語れていた。

※生酒自体にも面白いものはある、との立場を認めた上で語られているのが良い。

 

そこまで言うなら、と、

いざ、"燗"で日本酒を味わってみると・・・

ふわぁ、と味わいが広がる。

なるほど、これが日本酒の味わい。

良き良き、とほろ酔い気分で上機嫌。

 

さて、

「世界一旨い日本酒」

との本には、

以下のような一文が紹介されている。

栓を開けて、さらに日数が経つたびに旨くなる酒。

これが最高にいい造りの酒である。

本書で紹介している銘柄は口開けをして一週間、二週間、さらに一ヶ月と味乗りして、美味しくなる。

口を開けてから半年放置したものを飲んで、その美味しさに驚いたこともある。

 

本書の中では、しっかりとした造りの日本酒は開栓した後も、

常温で保存すれば良い。

むしろ、常温保存でより美味しくなる。

と語られる。

 

んな、あほな。

と思いつつ。

常温で今、純米酒が3日目を迎えようとしております。

知らぬ事も多く、世の中まだまだ楽しめます。

 

 

 

プラシーボ効果のネタバラシについて。

"プラシーボ効果のネタバラシ"について考える。

 

まずは、プラシーボ効果の説明から。

よく知られた用語であり、知っている人も多いと思うが。

 

まずは引用。

偽薬(プラセボ)の投与によってみられる治癒効果。

薬物そのものの効能ではなく、投薬された安心感や医師への信頼などの心理作用によって症状が改善する状態をいう。

プラセボ効果

プラシーボ効果

 

要は、

医者が

"はい、お薬を処方いたしますね〜"

と言って、実はただのビタミン剤を処方して、

薬だと思って飲んだ患者が"薬と同じような効果を得る"事である。

薬を飲んだ、との安心感が良い効果をもたらす。

 

病は気から、とはよく言ったもので。

心理面の影響は大きなものである。

 

"プラシーボ効果のネタバラシ"に話を戻す。

 

プラシーボ効果がある、何らかの錠剤について。

実はこれは何でもないんですよ〜

と言ってしまうのが、"プラシーボ効果のネタバラシ"、である。

 

客観的には、"騙されていた人が真相を知る"

主観的には、"自分が騙されていたと気づく"

 

騙されている状態、とは決して肯定的な語感ではないが。

ただ、よく考えてみると。

効果があるのだからプラシーボだろうが何だろうが良いのでは?

との見方も一理あり。

 

例えば、酔い止めであれば。

"乗り物に酔わない" 事が1番の目的であり、

ラムネを酔い止めと騙されて飲み、プラシーボ的に酔わなくなったとしたら?

結果、酔い止め薬を飲んでいるのと同じである、と言える。

酔い止まってんじゃん?と言われたらそれまで。

 プラシーボだろうが、何だろうが、手段は誰も問わない、であろう。

 

そう考えると、"プラシーボ効果のネタバラシ"とは、

効果を失わせる罪深い効果、であるようにも思えて。

 

酔い止めと騙されている内はプラシーボ効果があったラムネに対して、

"オメーが飲んだのラムネだよ?"

と告げた瞬間から何となく酔い始めてしまう、との現象は誰しもが感覚的に納得できる話であろう。

だったら、ラムネを酔い止めと思って飲んでいる方が当人は幸せなのでは?

との見方もできてしまうなぁ、と思うのである。

 

大体、世の中に蔓延する、"〜な気がする"を奪ったら、世の中に楽しみはなくなる、と個人的には思う。

前回も触れたが、高級なワインを飲んでいる際に"美味しい気がする"と思っていれば当人は主観的に幸せなのである。

 

信じる者は救われる、との言葉は、

主観的には絶対に否定できない。

救われたと思うのは当人だから。

 

これは僕が宗教について考える時に毎回行き着く言葉である。

 

色々な事を教えてくれる名著。

 

「予想どおりに不合理」

行動経済学が明かす 「あなたがそれを選ぶわけ」

ダン・アリエリー

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人は "〜に違いない" と思い込めば、 思い込み自体に影響を受ける。

人は

"〜に違いない"

と思い込めば、

思い込み自体に影響を受ける。

 

貴方は高価なワインを買って来たとします。

ボーナスも入ったし、今夜は奮発して、と茹でたてのじゃがいもみたいなホクホク顔で。

 

その時、確実に"予測バイアス"が発生する。

つまり、

・高価なワイン = 美味いに違いないワイン

との思考回路。

 

お金を払った行為自体が、良いワインを買ったとの裏付けとなり、

"今夜の俺は美味しいワインを飲むぞ!"

との予測(期待)が成り立つ。

 

"美味いワインを飲む"との予測は、ワインを美味しくする。

 

全く同じワインを飲んだとしても、

・美味しいと期待(予測)して飲むワイン

・不味いと予測して飲むワイン

であれば、前者が美味しく感じるものである。

 

"いやいや、僕は味の違いがわかる男だから云々"

と語れる人もいるだろうが。

 

大半の人間は、予測バイアスにより、高価なワインで甘美な味わいを感じる。

 

良いか悪いかはさておき、

人とはそういうものである。

 

そんな事を実験結果と共に紹介してくれる本。

 

「予想どおりに不合理」

行動経済学が明かす 「あなたがそれを選ぶわけ」

ダン・アリエリー

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本屋で出逢った本ですが。

実に興味深く。

出逢いをありがとう!本屋さん、ありがとう!

 

本作で紹介している実験に

・ビールに酢を加えて被験者に飲んでもらう

との実験がある。

 

ビールに酢?と言われれば、

誰もが不味いと予測する。

やってみようとも思えない。

 

多くの人は、ビール with 酢 に魅力は感じないであろう。

つまり、マイナスの予測バイアスが発生する。

 

実験の内容は簡単だ。

・事前に酢を加えた事を教えてからビールを飲んでもらう。

・酢を加えたと知らせずに、新種のビールとして飲んでもらう。

 

つまり、

マイナスのバイアスがあるかどうか、の違い、である。

マイナスのバイアスとは、ビールに酢を加える = 不味くなるに違いない、との予測である。

 

実験結果。

・事前に酢を入れていると知らせるとビールは不味く感じる

・知らせなければ、美味しく感じる(人もいる)

 

ビールに酢を入れたと知りながら飲むと不味く感じるし、

知らないで飲めば、新種のビールとして美味しく感じる、

のである。

 

この事を予測の効果、として紹介しているのだが。

経験則的に、そのような事が起きるのはわからないでもない、と思うのである。

 

以下、個人的な意見。

味の違いがわからない人が高級ワインを飲んでも意味がないか?

と問われると、そんな事はないのであって。

 

味の違いが結果、わからなくても、

予測(期待)のバイアスは確実に発生するので。

結果、同じ味でもお金を払えば美味しくいただける、のである。

 

その事、当人の幸せ、との観点からみると、お金を払った価値はあるのでは?と思ってしまうのである。

 

お酒は雰囲気によりけり。

高級である事は質が伴わなかったとしても意味がある事である。

 

意思決定のプロセスを紐解くと、ハッとする事ばかり。行動経済学は社会人の必須科目であると思う

意思決定のプロセスを紐解くと、ハッとする事ばかり。

 

我々の脳は自分の意思決定を正当化する事は巧く。

意思決定のプロセスは論理的ではない。

 

人は相対的な比較が大好きである、との指摘。

 

更に言うならば、相対性なくして人はジャッジできないものであると。

相対性こそが、判断の拠り所である。

 

相対性とは?

簡単に言えば、比較対象がある、との意味である。

 

比較とは、非常に分かりやすい評価基準であり。

例えば、

牛肉と豚肉を比較して優劣をつけろ、と言われれば検討可能である。

(もちろん好みにもよる)

ただし、牛肉と掃除機を比較しろ、と言われると、人々は"???"となる。

比較対象ではない、からである。

お腹が減っていれば、牛肉が良いし。

部屋が汚れていれば、掃除機が望ましい。

 

そう言う意味で、比較対象にないもの、はジャッジが難しい。

逆に、比較対象があるものはジャッジが簡単である。

 

そうなると、

比較対象がある = ジャッジができる、との解釈はよくわかる。

 

例えば、Aと Aと似た性質を持つ A'であれば、人々は好みによって優劣をつける事ができる。

具体的に、

神戸牛とアメリカ牛どちらを買いますか?との問いに。

・神戸牛は高いけど、美味しい

アメリカ牛は安いけど・・・

と同じ土台での比較になり、時々に応じた優劣をつける事が可能である。

 

だが、掃除機との比較であれば。

いやいや、比べるのがおかしいっすよ、と誰しもが言うであろう。

 

と、ここまで語った上で、非常に面白い行動経済学の考え方を紹介する。

 

①A

②Aと似た性質を持つ A'

③Aとは似ても似つかないB = A'とも性質が異なる

 

の① ② ③を比較して優劣をつけるとする。

 

その上で、前提を

・A > A'である

・A と Bは性質が違って本来、比較対象にならない

 

とした場合。

下記のような思考回路が回る。

・A > A'である

→Aは少なくてもA'よりは優れている

・BはAとは比較対象にならない

・なので、AとBの優劣は不明瞭である

・ただし、A > A'は確実である

・AはBより優れているかわからないけれど、ジャッジできる範囲ではAは優れていると判断するに値する

・A > Bに論理的な確証はないけれど

・A > Bと判断する事にしよう

 

これが意思決定のプロセスに関して、ハッとする事が多く。

 

上記の内容を絵空事と思うならば、下記の本を読んで欲しい。

実験結果も含めて納得させてくれるに違いない。

 

「予想通りに不合理」

行動経済学が明かす 「あなたがそれを選ぶわけ」〜

ダン・アリエリー

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酒は純米、燗ならなお良し

日本酒について語る。

 

純米を強烈に推す。

冒頭に

"酒は純米、燗ならなお良し "との一文あり。

これは筆者の酒に対する熱い想いを見事にまとめている。

 

僕は、今まで燗を飲む習慣がなかったが。

本書を読んで、徳利を買いに走った。

人を行動に陥れる文章は、最高の賛辞を受けるべきである。

書評であれば、本を買いたくなるようなものが良い。

 

無論、好みはあり。

純米の日本酒も、燗も。

 

ただ、熱が高い方から低い方へと移動するのと同じ原理で。

本書を読めば、感化される気持ちもわかる。 

 

日本酒好きにはお勧めできる本。

内容もさることながら。

筆者に対する日本酒への愛が滲み出ている点が実に良い。

 

日本酒は全く飲めない人は興味ないかも知れぬが。

 

純米酒を極める」

上原浩

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日本酒とは

・水

・米

のみで本来つくられるお酒である。

お米だけなので"純米"。

実にわかりやすい。

 

ただ、水とお米だけでは、不味いお粥である。

大切なのはアルコール分。

 

では、水とお米でどうやってアルコールが醸造されるか?

発酵の力である。

 

つまり、

微生物である酵母ブドウ糖などの糖分を食べて(分解して)エネルギーを得る過程で炭酸ガスとアルコール分を出す営み

を利用する。

 

余談だが。

この微生物にとっての排泄物を人間がとてもとてもありがたがって飲んでいる点は結構おもしろい事だと思う。

酒に人類は踊らされており。

具体例は一切なくても、酒がこの世になければ歴史が変わっていたに違いない、と断言できる。

 

お米が発酵すると日本酒になる。

 

じゃあ、純米以外の日本酒とはなんだ?との話になるが。

アルコールを添加するかどうか?の違いである。

 

つまり、

・お米を発酵させた力だけでアルコール分を産み出すか。

・アルコール分を別の形で添加してしまうか。

の違い。

 

無論、後者の方が製造工程が楽であり、コストも安く済む。

 

あらゆる分野において共通する事であると思うが。

手塩にかけて育てると美味しいものが出来上がります。

お酒も同じ。

手間をかけてでも純米のみで醸造する日本酒が好き、と筆者は主張する。

 

古い川柳に曰く。

 

酒も煙草も女もやめて、百まで生きたバカがいる

 

私は真っ平ご免である。

 

と書くような、飲んべえが語る日本酒についての本。

語り口に滲む想いの強さが実に良い。

今まで読んだ日本酒本の中で一番良い。

 

最後に個人的な日本酒に関する印象を。

偏見に満ち満ちた意見であるが。

 

僕の女性観で

日本酒が好きな女性は何だか魅力を感じてしまう。

 

・ビール好きは、雑種。

・ワイン好きは、お高くとまっている。

・焼酎好きは、男勝り。

ウイスキー好きは、見た事ない(珍種)。

 

日本酒好きだけは、なんだかドキッとしてしまう。

和の装いが色っぽい雰囲気を纏うのかしらん。

無償のギブはいつかテイクとなります。

ギブアンドテイクとは言うものの。

ギブアンドテイクを滲ませるとテイクができなくなるものです。

つまりは、テイクするためのギブ。

俺がこんだけやってあげているのだから見返りを寄越せとの空気は思っていても滲ませるべきではなく。

無償のギブによって、さりげなくテイクするのが理想であろう。

 

ギブアンドテイク、とは仕事を進める上での基本だと思う。

だから僕は自分の所掌でギブできるものは惜しみなくギブする。

 

仕事をしていると、誰しも少なからず専門分野を持ちて。

"(極小的な話ではあるが)少なくても、この分野の話については自分が一番詳しい = 影響力がある"との構図を産み出すことができる。

 

僕自身の感覚的な話で言えば。

大抵の人間は1年も同じ仕事をしていれば、その分野においては影響力を発揮できる。

 

なので、1年間は学びの時として我慢をして。

そこから先で効果的な動きをとる、とのスタンスであるべき、と思っている。

 

そこで重要になるのが。

自分が責任を取れる or 自分の所掌でもみ消せる範囲でいかに相手にギブできるか?であると思う。

 

良識を持った大人は、相手に対して 〜をやってもらった、との意識を植え付けられれば、次はこちらがお礼をする番であると考える。

つまり、ギブギブギブギブとギブギブラッシュを仕掛ければ、必然的にテイクがやってくる、のである。

 

もちろん、良識のない大人であれば。

テイクテイクテイクテイク→ラッキー程度の認識を持ち、特段何もしてくれない人もいるかも知れぬが。

その人に対しては取るに足らぬ俗物、として割り切った方が良いと思う。

 

多くの場合、ギブする事により、そのうちテイクが可能になる。

ただし、テイクを見据えたギブは相手に感づかれるものであり、思われたら最後、"こいつ打算的な奴だな"と認識され、回収できるものもできなくなる。

 

故に、僕自身の仕事の進め方として。

・ギブできるものはギブする。

・ギブできる範囲を拡張する。

が基本的なスタンスとなる。

 

確かに、ギブギブギブギブの末に何も回収できぬと悔しい点があるが。

ギブの先に何もない人物は取るに足らぬものであり、気にする価値もないと思う。

(少なくても頭ではそう考えた方が気が楽である)

 

上司の言うことは何故、強制力を持っているか?

言うまでもない、彼らは権限の中で貴方の給料を上げたり下げたりできるから、である。

お金たる、最も人間社会においてわかりやすいギブができる権限を持っているから、なのだ。

 

諸々考えた時に、ギブとは仕事をする上で大切な事であると思う。

無償のギブをお裾分けできるようにあるべきなのは、上記のような理由があるからであろう。

 

ギブの大切さを教えてくれる本。

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働かないアリに意義がある、かと言って、働かなくて良いわけではない。

子供の頃は虫を追いかけた少年だったので。

アリの行進が何処に向かっているのか追ったりしたものだ。

・何処へ行くのか?

・何処より来るのか?

小さな疑問で一日を過ごした日々。

懐かしくも思う。

 

時を経て、今。

アリについて組織論的な話をする。

もはや少年ではないのだと実感する。

 

「働かないアリに意義がある」

長谷川 英祐 

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表題の通り。

働かないアリにだって意義があるのだと説く。

 

自分だけが汗水流して働いているのに!

なんであいつはサボっているんだ!

 

と感じている人。

本書を読むと、そういう見方もあるのか、と思う部分もあるだろう。

ただし、だから働かなくていいんだ!あいつは!と水に流せる程の内容ではないので注意。

(充分、楽しめる視点をもらえるけどね)

 

あらすじを引用。

働き者の代名詞的存在のアリ。

彼らの組織のなかには、休んでばかりいたり働かないアリもいる。

しかし普段せっせと働いているアリが疲れて動けなくなったら、サボっていたアリたちが俄然働きだす。

彼らは働くアリたちの交代要因だったのだ。

働き者だけの組織よりも働かない者がいたほうが組織は長続きする!?

アリの生態から人間社会が見えてくる。

 

働かないアリの話もあるのだけど。

気になったのは、アリには司令塔がないのに何故機能するか?との点。

 

アリにはいわゆる上司はいない。

(上司と言えば、真夏の熱帯夜に現れた蚊ぐらい嫌なものだが)

上司とは、部下に指示を出すもので。

指示伝達があるからこそ組織とはスムーズな動きを取れるものと一般的には考えられている。

 

あるべき組織論としては。

・情報収拾をする部隊

・それに対して決断する人

前者が部下で

後者が上司である。

 

決断する人は、つまり部下たちに正しい方向性を示せるから必要なのであり。

正しい方向性を示す事 = マネジメント、であると思う。

 

本の受け売りだが。

例えば、森の木を伐採して平地にしようとしているとして。

伐採する仕事を一生懸命やるのが部下、であるとするならば。

森全体の伐採すべき木を正しく指し示すのが上司の役目、である。

(それができない上司は結果、伐採すべきではない木をターゲットとしてしまう)

 

その点において。

正しく機能するならば。

上司と部下の関係は必要であり。

(正しく機能するとの理想像を追いかけて)

概ねの企業が役職を設けており、上司部下の関係を持たせるのである。

 

では?

アリの組織はどうなっているのか?との観点に戻ると。

 

アリには上司が存在しない。

そのため、アリは個人で判断をする。

ならば?

森の話に戻ると、個人が正しくない木を伐採するのでは?と思ってしまうのだが。

アリは個人の判断に諸々の工夫をしている、ようである。

 

その一つが"反応閾値"である。

反応閾値とは、 "〜な大きさの餌であれば、巣に持って帰ろう"の〜の部分の事である。

人間で言うならば。

部屋が汚れた際に掃除しようと思う or 思わない の境界線が人によって異なるのと同じである。

アリは、〜な大きさの餌であればの"〜"の部分がアリによって違う事によって、全てのアリが同じ仕事に取り掛かるのを制御している、ようである。

 

人間であれば、上司が、君はこっちの仕事/貴方はこっち、と振り分けるのだけど。

アリはシンプルに反応閾値のみで組織的に動く。

 

この事、シンプルな決め事だけしておけば組織は機能する、との話につながるのだが。

この点はまたそのうち触れたいと思う。