「サピエンス全史」の中では、
人々が狩猟から農耕への移行が必ずしも人々を豊かにしたわけではない、
と繰り返し指摘される。
もちろん、当時の人々も豊かさを求めた結果。
安定した生活に支えられた平和な未来。
そこに希望を感じたからこそ、
人々は進んできたのである、と。
引用する。
たしかに仕事はきつくなるだろう。
だがたっぷり収穫があるはずだ!
不作の年のことを、もう心配しなくて済む。
子供たちが腹を空かせたまま眠りに就くようなことは、金輪際なくなる。
だが、歴史は必ずしもその通りにならなかった事を示す。
より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。
と筆者は指摘する。
人口の増加による食糧難。
定住化による感染症。
備蓄品が巻き起こした奪い合いと闘い・・・。
いずれも、狩猟民族の時代には起こり得なかった事である、と。
では、人類に後戻りする道はなかったのか?
本書の中では、
・長い期間をかけて変わり、狩猟時代を思い出せる人がいなかった。
・人口が増えていた為、既に後戻りできなかった。
とする。
ただ、個人的に思うのは、
人類がとった狩猟から農耕への選択について、
それが正しいものであったと信じたかったのではないだろうか?
自分達と、
その先祖が歩んできた道を否定する事ができなかったのではないか、と思う。
それはその後、現代と重ねて事象を捉えられた時により一層感じた事である。
私たちは、メールとの連絡手段を得た事で、
便利にはなったが、
幸せになったのだろうか?との問いかけだ。
この問いかけは、どちらに分が悪い事でもないような気もする。
ただ、メールにより、人々が自由を得た、との事はない。
メールにより得たものは、
・効率的な連絡手段
・連絡量の増加
である。
この二つは、計算式で言うと、プラスとマイナスの関係で、
結果、プラマイゼロ、と言われると、正直納得してしまう。
端的に言うが、
・手紙を一通書くのにかかる時間
と同じ時間をメールのやりとりに当てたとする。
どちらが親密になれるか?
結果、同じなのではないのか、と思うのである。
ただ、おそらく、結果、同じなんだから、
みんな!メールに縛られない生活をしてこうぜ!
というようには決してならない。
なぜなら、我々はメールにより得られる便利さを知っているからである。
人間は不可逆な生き物であると、改めて感じる。
生み出したものを享受した時、
それを手放すのは、おそらく、生み出すのと同様に難しい事なのである。