トラウマなんてものは存在しない。
アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。
トラウマなんてものは存在しない!
そう語るのである。
実に興味深い指摘であると思うのだが、
実際、トラウマを抱えていて、
今、行動ができない人からすると、
"知った口聞いてんじゃねーよ。こっちの気も知らねーで。"
と毒づきたくなる。
一体、どういう考え方なのか?
実際、
・過去に〜された。
・それが原因で、今は〜できない(したくない。)
なんていう話はいくらでも存在する。
一番身近な例で考えると、
・恋人にふられた。
・もう恋なんてしたくない。
・・・
100人中、少なく見積もっても、20人は経験した事がありそうな話である。
ただ、アドラー心理学では、
トラウマは存在しない、とする。
一体どういう事か?
解釈は、
・トラウマによって行動が制限されているのではない。
・行動を制限するための言い訳として、過去の経験を持ち出している。
→それをトラウマとして、行動しない理由にしている。
と解釈をする。
原因があって結果があるのではなく、
目的があって原因を選んでいる、
と言っても良い。
失恋の話で当てはめると、
①もう恋なんてしない = 目的
②なぜなら、失恋して傷ついたから = 原因
アドラー心理学で考えると、
目的のために原因を選び出しているだけであるとする。
この理論は、
誰しも思うが、
もし、ふられなければ、もう恋なんてしないと思わなかったのではないか?
と突っ込みたくもなる。
自分なりに解釈すると、
この考え方は、もっと広義で捉えるべきであり、
そもそも、フラれて傷つきたくない。との感傷自体に対して、
"そんな直接的に人間の行動は制限されないでしょ?"
との、大前提は必要な気がする。
ただ、
アドラー心理学とは、
・今の自分を変えようとする。
・少しでも今を生きやすくする。
とか、そのような目的のものであり、
決して、精緻な誰も論破できない理論展開を求道するものではない。
つまり、
それがまやかしであったとしても、
・今を楽に生きる為に踏み出す一歩に対して背中を押せれば良い。
のだと思う。
もし、今の自分を変えたい、とか思っている時に、
ある一つの事象が足を引っ張る(= トラウマ)に対し、
それは決して絶対的に存在しうるものではない、と思えるのであれば、
それはそれで、少し気は楽になるような気がするのだが、どうだろう。