技術を活かすとは何か?「花神」 司馬遼太郎について
◆「花神」 (上・中・下) 著者 司馬遼太郎
唐突に書評を書きたくなったのでゲリラ的に評してみようと思う。
(というより、書評をやりたくてブログを始めた感もある。)
一言でいうならば、生き方を学ぶ本だと思う。
(まぁ、司馬遼太郎さんの本は大抵そうだけど…)
それでは、書評スタート。
「花神」 (上・中・下) 著者 司馬遼太郎
〜技術とは何か?〜
オーストラリアでルンバが焼身自殺をしたらしい。
家は全焼である。
お掃除ロボットが焼身自殺?と思うかもしれないが、どうやら勝手にホットプレートの上に移動して発火したとの事。
まさか…と思うが、実際に起きてしまった事は事実。
「火の用心。マッチ一本、火事の元」なんて言っていた時代が懐かしい。
火事で言うと、江戸時代の火事に対する厳戒態勢は尋常ではなかった。
理由は火災が江戸の街に甚大なる被害をもたらす可能性があったから。
放火犯が死刑になるのだから、引き起こす被害の甚大さは想像できる。
1657年明暦の大火が代表例である。
死者10万人に及ぶと言われる大火災は江戸を文字通り焼き尽くしたという。
火災範囲は5〜7km四方、直線で上野から浜松町まで山手線7駅の四角四面。
江戸が壊滅的な被害を受けたのは言うまでもない。
本書の主人公である大村益次郎が上野戦争の際、苦心したのは「江戸の街が大火に見舞われることなく勝利するにはどうすればよいか?」であった。
彰義隊との闘争で火を放たれたら江戸市街は壊滅していたかもしれない。
明治維新後の事を睨んでの考えであったのだろう。
大村益次郎は明暦の大火を調べ、天候までも考慮し、綿密な作戦を構築、作戦は成功した。
目先の勝利だけではない先見の明をもつ者のみが成せる技である。
「戦術のみを知って戦略を知らざる者はついに国家をあやまつ」と彼は説く。
戦術は戦略の下位に属する局地的な視点。戦略は大局的な視点。
つまり、長期的な見地を持たぬ者は道を誤るのである。
上野戦争にて戦術のみを考えていたならば、江戸は火の海となり、明治維新後の富国強兵策は成し得なかったに違いない。
彼は”戦略”を前提に”戦術”を考える事ができる稀有な人物であった。
後に軍国主義の日本がまさに”戦術のみを知り”暴走したのは皮肉であると言うべきか…。
大村益次郎は近代軍制の祖と言われる人物。
靖国神社で一際目立つ銅像が彼の功績を物語る。
木戸孝允曰く
「維新は無数の有志の屍の上にい出できたった。しかしながら最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく成就はむずかしかったにちがいない。」
明治維新の功労者たる木戸孝允にここまで言わせる人物とは如何なる才覚を持っていたのか?
本書は大村益次郎の華々しい活躍ばかりを語るものではない。
シーボルトの娘イネとの色恋沙汰が隠れテーマとしてある。
ただし、大村益次郎は驚くべき唐変木だ。女心が全く掴めていない。
「まじかよ…こいつ…」と思う事を平気でやる。
下衆な言い方をするが「おいおい、そこは押し倒せよ!(※イネは美人だったらしい…)」と思うに違いない。
同様に彼は政治的配慮を一切しない男である。
本書の中で大村益次郎を”機械”であると表現するがまさにその通り。
相手が偉かろうと斟酌はしない。
結果的には不満分子を生み、彼の運命を決定づける事となる。
無類の堅物、ごまをすらぬ職人気質、超然とした技術者である。
彼は元々医学を学んでいた。
当時は蘭学、つまり、オランダ医学である。
緒方洪庵の元、適塾で福沢諭吉と共に学んだ。25歳で適塾の塾頭となったが、性格が原因か?その後は才能を評価される事無く燻っている時期が長い。
その間、彼はただひたすら技術を磨き続けた。
埋もれゆく才能を見つけ出したのが木戸孝允である。
大村益次郎が”機械=技術”であるならば、木戸孝允は使いこなす”人”と言える。機械=技術は人が使いこなせなければ、何を成すこともない。
我々が大村益次郎の名を耳にするのも(極端に言えば、明治維新が成就したのも)技術を使いこなす人がいたからである。
技術者としての大村益次郎を見事に浮き彫りにするのが司馬遼太郎氏の技巧であろう。
本書を読み終わって思ったのは、”技術”とは使う人がいて初めて成立するものであるとの事。
技術の話でいうならば、国民が皆、最先端の技術結晶をポケットに入れて持ち歩いている現代である。
…
”技術”は使いこなす人がいて、初めて意味がある。
どうも痛烈な批判を受けている気がしてならないのである。
冒頭のルンバの話も、どこが技術に踊らされているような気がしてならない。