のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

ファジーでなければ脳はコンピュータには勝てない。

"ファジー"

との言葉を辞書で調べると。

曖昧なさま、不鮮明なさま

 と引ける。

 

明らかに、マイナスな表現である。

なれど、"ファジーでなければ脳はコンピューターに勝てない"のである。

 

逆説的なイメージを持つが。

 

とある本を読むと納得する。

何度も紹介しているが、名著、であるが故。

 

「記憶力を強くする」

池谷裕二さん

もう三度目であろうか。

読んで、気になった事を記す。

 

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脳とコンピューターの比較、とは。

少なくても30年先を考えた時に、自分が社会に必要とされるか否か?との答えになる可能性が非常に高い。

わかりやすく言えば。

コンピュータにできない事をやれない限り、仕事を失う可能性がある、のである。

 

この問題は誰もが何となくは認識している事で。

企業において、利益のみを優先して、感情を抜きにすれば。

コンピューターの導入により人員は一気に削減できる。

(もちろん、その結果の先に今の我々がいるのだが)

 

例えば、1日8時間、電卓を叩き続ける仕事があるとする。

計算は重要な仕事である。

ただし、コンピューターが存在すれば、そんな人を雇う必要はなくなる。

何故なら一瞬にして計算が可能であるから。

 

自分が日々やっている業務を考えた時に。

その仕事がコンピュータに置き換えられるか?

との問いは重要であり。

置き換えられるならば、職を失う可能性がある、との危機感を持つべきなのかもしれず。

それが今のご時世である。

 

では、人間とコンピューターでは何が決定的に異なるのか?との問い・・・

タイトルにつながる。

ファジーでなければ脳はコンピュータには勝てない。

 

ファジーであるとは?

つまり、曖昧なものを結びつける力、である。

曖昧であるが故に結合するのである。

 

極端な話をすれば。

人間の顔は日々少しずつ変化する。

故に、昨日覚えた顔であっても。

今日の顔は完璧に同じではない。

曖昧さを一切許さなければ、人は顔と名前が一日で一致しなくなるのである。

 

コンピューターは曖昧さを許さない。

その点、エクセルやワードを使う人ならば、誰しもが経験があるのではないだろうか。

 

逆に人間の脳はファジーであるそうだ。

故に、同じ構造をした物事に対して強さを発揮する。

 

確かに、世の中に全く同じ事なんて存在しない事が多い。

例えば、プールで泳ぐにしたって。

同じ水流は存在し得ない(気がする)

それでも、我々が同じプールとして認知して泳げるのは、脳がファジーを受け入れるようにできているからである。

 

一糸乱れないパーフェクトな記憶は融通を失わせる。

ファジーだから、脳は凄い。

非常に面白い話である。