のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

漫画「喰う寝るふたり住むふたり」

「喰う寝るふたり住むふたり」

日暮キノコ

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珍しく漫画を取り上げる。

全5巻。読み切り感があるのが良い。

 

同棲をする男女を描いた作品である。

それも、交際10年、同棲生活8年目・・・

それでいて、未婚!!!

 

ここがポイント。

つまり、もうずっと一緒にいるのが当たり前のようで。

且つ、まぁ、今更、結婚しなくても・・・

と言いつつも、そろそろ結婚しなければ、と思っているような二人。

 

引用する。

町田りつ子と野々山修一は交際10年、同棲生活8年目。
恋人以上、夫婦未満の三十路直前カップル。
そんなふたりに起こるちょっとした日常を
男女両方の視点から描いた恋愛ザッピングストーリー。

 

僕の知人で同様のパターンを知っている。

その方々は、"親が結婚に乗り気ではない"が障壁になっていたとか。

最終的に、風の噂で別れたとの事・・・。

人生色々。

様々な人がいるもんだ、と思いつつ。

高校から社会人まで10年ほど、一緒に居て・・・それでいて別れたとの結果に結構な衝撃を受けたものである。

正直、自分だったら、"震えが止まらない"だろうなぁ。

 

ただ、男女の仲は別れる時はあっけないもの。

離婚だって紙切れ一枚で成立します。

決して壊れない愛情だと思っていたら、案外、湯葉ぐらい脆いものでした。

皆々さま、身に沁みて感じていらっしゃる事でしょう(涙)

 

さて、本作である「喰う寝るふたり住むふたり」について。

結果どうなるか?は本編を読んでのお楽しみ。

僕は全5巻。

楽しく読み終える事が出来た。

 

思った事を綴る。

 

まず、高校から社会人の時間を共有できるって凄くいい。

青春の時間をリアルタイムに過ごせた人と一緒になるのは理想とすら言える。

 

"思い出の共有化"が深いからであろう。

 

個人的に。

"この二人、幸せそうだなぁ。"と思う瞬間は、"二人だけが笑っている瞬間を目撃した時である。"

例えば、僕自身の話をすると。

いわゆる親友が既に結婚している。

しかも、ありがたい事に夫婦ぐるみの付き合いであるため、親友夫婦 + 私、の組み合わせで飲んだり、遊んだりさせてもらえている。

その時に。

なんでもいいのだけど。

例えば、"鳩を見て、二人が笑っている"とする。

話してみると、"昔、鳩でこんな思い出があるんだ〜"なんて話してくれる。

僕は、"そりゃ、面白い!!!!"なんて返すのだけど。

心の内では、"幸せそうでいいなぁ"と思っているのである。

 

こう定義したらどうだろう。

"二人だけの風景を持っている事は幸せ"

そう。

二人だけの時間、二人だけの空間、二人だけの思い出。

この数が多ければ多いほど・・・

人は幸せになれるのである。

 

そんな着眼点で幸せを考えた時。

「喰う寝るふたり住むふたり」

のふたりは、理想に近い。

だから、心が温まるのである。

(ヒートテックなんかよりよっぽど温まる)

 

もう一点。

男女関係の肝は"すれ違い"である。

と、恋愛マスターどころか、恋愛もやしである、僕が語ってみる。

(どうか納得してください!!!)

※なんとなく考えついた"恋愛もやし"との言葉は、恋愛経験がもやしみたいにひょろひょろしている例えである。

 

そのすれ違いが「喰う寝るふたり住むふたり」では見事に描かれている。

そもそも、構成が。

一つの出来事に対して、"男の目線/女の目線"で1話ずつ描かれる方式なのである。

あの時、男は/女は、こう思っていた!!!

ふむふむ、なるほど。

そして、ビールを片手に"わかるわぁ〜"と唸りたくなるに違いない。

 

恋愛前/恋愛中/恋愛成就/同棲中/結婚済み

いずれの人でも楽しめる。

絵も好きです。

よき漫画なり。

 

追伸

もし、今の僕が高校生時代の僕にアドバイスするならば、全力で恋愛しろ!!!と言いたくなった。

 

 

「キネマの神様」原田マハ

"この小説を読み終わると、映画館に行きたくなります。"

これは一つの小説を例える上で、最大の賛辞ではなかろうか。

映画館に行きたくなる小説。

もしくは、映画が好きになる小説。

大げさではなく。

本の最後のページを読み終わった瞬間に、映画館へ足を向けたくなる。

この事だけで、充分本書の魅力を語れている、と思っている。

 

あまりつべこべ語るとイメージも湧きづらいに違いない。

シンプルな言葉の方が胸に届く事もある。

もう一度、繰り返す。

"この小説を読み終わると、映画館に行きたくなります。"

 

映画を愛する人たちの話。

シンプルなメッセージはスッと心に染み入るもの。

 

「キネマの神様」

原田マハ

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僕自身も映画館は好きである。

 

作中。

「人間が人間である限り、決して映画館が滅びることはない」

との言葉がでてくる。

人間は娯楽を求める生き物で。

映画館は娯楽を追い求めた結晶のようなものだ。

 

断言してもいい。

僕は家のTVでは、映画館のような感動は得られない。

ましてやスマホなんてもってのほか。

映画館には力がある。

わざわざ居心地の良い家を出て、お金を払ってまで映画館に引き寄せられる力が。

その力を小説として見事に描いた作品が、「キネマの神様」である。

 

ストーリーを引用。

 39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。

ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。

 

映画にノスタルジーを感じるのは僕の世代までだろうか。

 

映画には色々な思い出があって。

友達と、恋人と・・・

今もなお、思い出は増えていくが。

どうも映画と言われて思い出すのは。

親に連れられて、初めて映画館で映画を観た「ジュラシックパーク」だったりするんだよなぁ。

あれは、映画館に足を運んだが故、である。

 

そんなわけで、映画×家族は相性がいいと思う。

 

映画?

DVDレンタルすればいいじゃん!

安いし、楽だしさ〜

・・・まぁまぁ、そう言わずに映画館に行きましょうよ。

 

さて、最後に、本書。

冒頭が秀逸であると思うため、引用する。

僕は冒頭の文章により吸い込まれた。

原田マハさんの言葉が好き。

 

暗闇の中にエンドロールが流れている。

ごく静かな、吐息のようなピアノの調べ。真っ黒な画面に、遠くで瞬く星さながらに白い文字が現れては消えていく。

観るたびに思う。映画は旅なのだと。

幕開けとともに一瞬にして観るものを別世界へ連れ出してしまう。名画とはそういうものではないか。そして、エンドロールは旅の終着駅。訪れた先々を、出逢った人々を懐かしむ追想の場所だ。だから長くたっていい。それだけじっくりと、思い出に浸れるのだから。

 最後の一文が消え去ったとき、旅の余韻を損なわないように、劇場内の明かりはできるだけやわらかく、さりげなく点るのがいい。

座席も通路も、適度な高さと角度。ドアや幕は、落ち着いたデザインで。劇場のすべてが帰ってきた旅人を暖かく迎え入れるように。

 

 

こんな言葉から始まる素敵な映画の小説。

くどいようだが。

"この小説を読み終わると、映画館に行きたくなります。"

おすすめできる本である。

 

映画 「怒り」 信じるとは、苦しい事

"信じる"とは、とても辛い事だと思う。

"信じる"とは、苦しくて重い・・・。

誰かを本気で信じた事があるか?

たとえ、何があっても、受け入れられるような。

そんな風に人を信じた事があるだろうか?

・・・

この映画を観て、そんな事を思った。

 

「怒り」

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吉田修一の原作を映画化した「悪人」で国内外で高い評価を得た李相日監督が、再び吉田原作の小説を映画化した群像ミステリードラマ。

名実ともに日本を代表する名優・渡辺謙を主演に、森山未來松山ケンイチ広瀬すず綾野剛宮崎あおい妻夫木聡と日本映画界トップクラスの俳優たちが共演。

犯人未逮捕の殺人事件から1年後、千葉、東京、沖縄という3つの場所に、それぞれ前歴不詳の男が現れたことから巻き起こるドラマを描いた。

東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。

犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。

それから1年後、千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に田代という青年が現れ、東京で大手企業に勤める優馬は街で直人という青年と知り合い、親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉は、無人島で田中という男と遭遇するが……。

あらすじを引用

 

僕自身は原作を読んで映画を観た。

原作を読んだ人、そうではない人では印象が異なるかもしれない。

 

僕自身が評価するならば。

役者の豪華さ、それを見事にうまく料理した作品、だと感じた。

言うまでもなく、日本を代表する俳優が勢ぞろい。

これで面白くないわけがない、とも考えられるが。

一方で、豪華な食材が並びすぎても満足できない料理があるのも事実。

その点、本作は評価できる。

高級食材を仕入れています、との看板が掲げられたレストランに行き・・・

美味しい料理を食べました。

との感覚。

(それ以上でも、それ以下でもないのも事実だけど)

 

小説を原作通りに描いた映画、について。

僕個人は、小説>映画になる事が多い。

(異論は認める)

大抵・・・

・イメージと違った、やら。

・好きなシーンがカットされていたり。

・描写がしっかりしていなかったり。

等の不満がでるもので。

 

本作は、その類の不満が一切なかった。

ストーリーをある程度は把握しながらも見応えあり。

演出と役者の力だと思う。

 

内容を深く語るのは好ましくないので、思った事を漠然と。

 

本作のテーマは"信"である。

作中の、"信じてたのに"との言葉は重い。

 

自分の事を振り返り。

信じる事の難しさ、苦しさは身に沁みて知っている。

信じていたものを裏切られた時の苦痛は計り知れない。

 

ただ、一つ思う。

信じていたものに裏切られる事よりも、信じるべきものを信じられなかった事の方が苦しいかもしれない。

・自分は信じなければならなかった。

そう気付いた時の悲しみに、自分が同調した時。

僕は心を揺さぶられた。

 

様々な"信"があり、答えがある。

3つの別個のストーリーによって構成される本作の魅力はそこにある。

さよならの握手、残る手の温もり「ツナグ」

もう一度、手をつなぎたい・・・

それが、最後であろうとも。

つないだ手をまた離さなければならないとしても。

最後にもう一度だけ。

さよならの握手・・・

かすかに手の温もりが残る。

そんな風に心に残る小説である。

 

「ツナグ」

辻村深月さん

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一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」。

突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員…ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。

それぞれの想いをかかえた一夜の邂逅は、何をもたらすのだろうか。

心の隅々に染み入る感動の連作長編小説。

 

本書のテーマは。

死者との再会である。

ただし、人生の中で"一度だけ、一人だけ"である。

例えば、亡くなった両親に会いたいと思っても、父 or 母?の究極の選択を迫られる。

どちらか一人しか会えないのだから。

大人版 "お父さんとお母さん、どっちが好き???"である。

 

しかも、一生に一度だけ。

父親に会ってしまったとすると、その後は恋人や母親に会う事はできないのである。

 

また、死者も同じく"一度だけ、一人だけ"しか会えない。

手順としては。

・生者が死者に会いたいとリクエストする。

・死者は受け入れる。

である。

死者は生者のリクエストを"一度だけ、一人だけ"しか受け入れられない。

例えば、死んだ父親が、妻と子供の二人からリクエストを受けたとして。

妻 or 子供のどちらかしか会えないのである。

 

本書を読むと。

誰もが自分だったらどうするだろう?と思うに違いない。

もし、誰か、亡くなった大切な人にもう一度会えるとしたら・・・?

 

本書は、連続短編集である。

死者に再会できるとの設定。

それを仲介する者として存在する使者の存在を中心に物語が進む。

・・・

様々な立場の人が、色々な思いを抱えて。

 

あらすじからそのまま引用する。

・突然死したアイドルが心の支えだったOL

・年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子

・親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生

・失踪した婚約者を待ち続ける会社員

 

皆、会う理由は様々である。

十人十色の思い。葛藤。願い。

・・・

"会う事を願った生者"

"その願いを受け止めた死者"

二つの内に秘められた思いが交錯した時、物語が生まれる。

それが、"ツナグ"である。

 

さて、最後に読んでみないと納得いただけないかもしれないが。

"ツナグ"とは一瞬の事であり、一夜の邂逅に過ぎない。

 

故に冒頭。

もう一度、手をつなぎたい・・・

それが、最後であろうとも。

つないだ手をまた離さなければならないとしても。

最後にもう一度だけ。

さよならの握手・・・

かすかに手の温もりが残る。

そんな風に心に残る小説である。

と書いた。

 

僕は、死者との邂逅がさよならの握手である事に心動かされた。

かすかに残った手の温もりを大切に生きていく。

思い出を乗り越えて次に進むとはそういう事なんだろうなぁ・・・。

 

僕のお気に入りは

・失踪した婚約者を待ち続ける会社員の話。

婚約者である日向キラリさんの思いについてである。

 

僕自身、最近の境遇もあってか、心に沁みた。

しばらく辻村深月さんの本を読んでみようと思う。

独り暮らしを始めました。

独り暮らしを始めました。

結果、ネット環境を失い、ブログの更新が滞りまして。

ようやく状況が変わったので、再びブログを再開したいと思います。

 

独り暮らしをして両親のありがたみを知る、とよく言いますが。

僕自身は、そんな事を独り暮らしをする前から知っているわ、と思っています。

 

ただ、独り暮らしとは、孤独が克明に刻まれるものです。

家族とは、理由がなく隣にいてくれるものです。

でも、独り暮らしは、理由もなく隣にいてくれる人はいません。

 

自分が透し彫りされたかのように、克明に自分の存在が浮き上がる時があります。

個人に核があって、その周りを何らかの膜が覆っているのだとしたら。

その内部には、誰もいません。

"おかえり、ただいま"

発した言葉は、空中で分解されて消滅します。

この部屋に帰ってくる人は僕以外、誰もいない、時々そう感じます。

 

と、寂しい気持ちもありますが。

独り暮らしをして楽しい事もあったりします。

 

様々な人が、たくさんの理由で独り暮らしを始めると思います。

色々な人の話を聞いてみたいものですね。

健気であるのは良い事です。「あかんべえ」 宮部みゆき

"とにかくおもしろい。"

宮部みゆきさんの作品は、必ずそう言いたくなってしまう。

物語に没入させるのが巧み。

気づくと、物語の中に自分がいる。

小説の醍醐味は、この没入感である。

 

本書は、江戸時代の料理屋「ふね屋」が舞台。

「ほうほう、江戸時代の料理屋か。ならば、お蕎麦の話かな?」

と思ったら大間違い。

"お化け"の話である。

そう、料理屋ふね屋にお化けが出る話。

だからといって、おどろおどろしい話でもない。

 

一言でまとめるのならば・・・

SFファンタジー時代劇です。

 

あらすじを引用。

おりんの両親が江戸深川に開いた料理屋「ふね屋」に、抜き身の刀が現れ、暴れ出す。

成仏できずにいる亡者・おどろ髪の仕業だった。

 

その姿を見ることができたのは、おりんただ一人。

しかもこの屋敷には、おどろ髪以外にも亡者が住み着いていた。

「あたしは見た。はっきり見たのに――。だけど、みんなには見えなかった」。

あまりの不思議な出来事に衝撃を受けたおりんが、屋敷にまつわる因縁の糸を解きほぐしていくと、三十年前の忌まわしい事件が浮かび上がり…。

 

人間の心に巣食う闇を見つめながら成長していくおりんの健気さが胸に迫る。

怖く、切なく、心に沁みる、宮部ワールド全開の物語。

 

「あかんべえ」

宮部みゆき

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主人公である少女おりんは、お化けの姿が見える!!!

しかも、おりんだけが見える、のである。

※正確には、他にも見える人は出てくるのだが。

実に、珍妙な話である。

 

さて、そのお化けであるが。

若干、お化けと言われてイメージする奴らと異なる。

僕のお気に入りである、玄之助たる侍のお化けとおりんが出会ったワンシーンを引用する。

 

たとえ相手が半分透けていても、美男子だったらあんまり怖くはないものだ。

そんなことを言うと美男子ではない人には悪いけれど、まあ世の中そういうものだ。

おりんはそうっと下から投げあげるようにして呼びかけた。

「お侍さま、お化けですか?」

「うん」と、階段に腰かけた人は言った。

「よくわかるね。感心感心」

なんだか気楽そうなお化けである。

 

お化けのぬるさが魅力である。

全体的に友達感覚でお化けが出現する。

(あくまで、おりんにとってはの話であるが。)

 

さて、このお化け。

何人か出現するのだが・・・。

なぜ、お化けになってしまったのか?がわからない。

よくわからぬが、この世に留まってしまっている。

つまり、何故か、成仏できないのである。

・・・

そんなお化けたちを見て、おりんは成仏させてあげたい!と思う。

ただ、一方で、成仏されるのが幸せなの?と問われると答えに窮して迷う。

 

本書は、少女 おりんの健気な物語である。

健気な物語ってのは、日本語としておかしな気もするが。

読めばわかる。

おりんの健気な奮闘ぶりには胸がキュンとする。

 

健気であるってのは、幼少期のみに宿る唯一無二の特性で。

人は健気である者を味方し、応援し、助けたくなる。

少女おりんの健気さは心に沁みる。

風鈴の音に、心が洗われるような気持ち。

 

読みやすく軽快。

物語の中に没入しつつ、おりんちゃんの健気さに胸震える。

願わくば、おりんちゃんのような子に出会いたいもの。

 

 

手紙で読む嫉妬劇 「レター教室」 三島由紀夫

豪奢な文章といえば、僕は三島由紀夫さんを思い浮かべる。

金箔を塗したようなものではない。

まさに純金の華やかさと重さが三島由紀夫さんの文章にはある。

文章を評するのは恐れ多いのだが、そんな感想を抱いてきた。

 

ゆえに、三島由紀夫さんの本を読むには、豪奢な金と向き合うだけの気力がなければならない。

・家で、ポテトチップスを食べながら読んではならぬ。

・読むならば、正座してお茶を飲みながら、である

そんな心構えである。

 

だが、本書はそこまで敷居が高いものではない。

レター教室、と題され、終始、手紙のやり取りのみでストーリーが進む。

登場人物は5人。

5人が各々、手紙のやり取りをする話である。

手紙形式以外のものは一切出てこない。

 

「レター教室」

三島由紀夫

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そんなので話が成立するの?とお思いか?

成立するのです。

且つ、絶妙なのです。

 

あらすじを引用。

職業も年齢も異なる5人の登場人物が繰りひろげるさまざまな出来事をすべて手紙形式で表現した異色小説。

恋したりフラレたり、金を借りたり断わられたり、あざけり合ったり、憎み合ったりと、もつれた糸がこんがらかって…。

山本容子のオシヤレな挿画を添えて、手紙を書くのが苦手なあなたに贈る枠な文例集。

 

手紙は良いものである。

本書を読むと、手紙を書きたくなる。

粋な文例が続く。

自分も書いてみようかしらん、と思えるのが本書の良い所。

とかく、手紙を書きたくなるような本は良本である、ってのが僕の持論。

 

現代社会では、メールのやり取りばかりが増える。

近年、LINEたるものが出現し、やれ既読だ、スルーだと騒ぐ。

手紙たるものは、郵便ポストに入れたきり。

・届くのに何日もかかる。

・届いたところで、すぐに反応がない。

なんと不便な!!!と思うやもしれぬが・・・

一度受け取ってみれば、良さを知る。

開封する喜びにおいて、手紙に勝るものはない。

 

せっかくなので、筆者が手紙を表した文章を引用しておく。

万事電話の世の中で、アメリカではすでにテレビ電話さえ、一部都市では実用化していますが、手紙の効用はやはりあるもので、このキチンと封をされた紙の密室の中では、人々は、ゆっくりとあぐらをかいて語ることもできれば、寝そべって語ることもでき、相手かまわず、五時間くらいの独白をきかせることもできるのです。

そこでは、まるで大きなホテルの客室のように、もっともお行儀のいい格式張った会話から、閨のむつ言にいたるまで、余人にきかれずにかわすことができるのです。

 

本書の内容は、主に恋愛模様である。

中でも、氷ママ子たる人物が面白い。

文中の紹介では・・・

これがもっとも始末の負えない人物です。45歳の、かなり肥った、堂々たる未亡人で、元美人。

氷ママ子たる人物のキャラクターが目に浮かびます。

 

本書のテーマは嫉妬だと思う。

元美人である中年おばさんの氷ママ子が、若い女性に嫉妬する。

内容が恋愛模様で、嫉妬がテーマといえば、イメージはつくだろう。

絵に描いたような愛憎劇が想像される。

まさにThe 嫉妬。

 

手紙で読む嫉妬劇だから、更に面白いのである。

何故なら、激情に駆られてもあくまで手紙。

嫉妬を源泉とする怒りに震える気持ちを筆に込めて、手紙を書く。

相手が目の前にいたら、往復ビンタをしているのでは?との勢い。

この図を想像するだけで面白い。

 

秀作と言えるのではないだろうか。