のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

耐性菌について

耐性菌について。

 

耐性菌との言葉を聞いた事があるだろうか?

これは、細菌がある種の薬に耐性を持った状態の事を言う。

 

この耐性菌が厄介なのは薬が効かない事だ。

医者から薬をもらったけど飲んでも意味がないのである。

厄介な状況である事をご理解いただけただろうか。

 

なお、少し説明を付け加えると。

この現象は抗生物質と細菌の関係を主に指す。

いわゆる、ウイルスは対象ではない。

 

ウイルスと細菌の違いについては下記を参照。

一言で、細胞を持つ/持たないの違いだと思う。

anfield17.hatenablog.com

 

さて、抗生物質について少々説明を。

まず、一般的な薬の形をしている。

元々は、アレクサンダー・フレミングが1928年にアオカビから見付けたペニシリンが世界初の抗生物質である。

 

抗生物質について・・・

・細菌を殺す。

・ウイルスは殺す事ができない。

この二点を覚えておくべきである。

 

もう一つ。

一般的な風邪は主にウイルスが原因である。

 

今までの話を総合すると、風邪に対して抗生物質は無意味である。

ただ、現状、風邪をひいた際も抗生物質が処方される事が多い。

何故か?と問われると。

予防のためと考えるのが近い、らしい。

つまり、ウイルスにより体の免疫力が落ちている状態で細菌による二次被害を受けないようにしているのである。

 

これは、単純に考えると、悪い話ではない。

誰も、2次被害などは受けたくはない話であるから。

防げるならば、防ぎたい。

ならば、処方通りに飲んでおこう。

 

しかし、近年、耐性菌の問題により、抗生物質の乱用が危険視されている。

 

耐性菌とは?

一言で。

菌が薬に対して耐性を持つ。

つまり、薬が効かなくなるのである。

 

これが由々しき事態である事は言うまでもないだろう。

①菌が原因で病気になる。

②病気を治すために菌を殺す薬を飲む 。

だが、薬を飲んでも菌が死なないのである。

恐ろしい話だ。

 

さて、この耐性菌について。

医学会的には、薬が効かなくなるため問題視している。

故に、必要のない抗生物質の処方はやめましょう、と色々な所で主張されている。

要するに、イタチごっこなのである。

"薬を開発する⇒耐性菌が生まれる⇒薬を開発する⇒耐性菌が生まれる・・・"

 

生物学的に考えて。

生命を脅かすものに対する対抗手段を得るプロセスとして、なるほど、と思う。

菌レベルのミクロの世界であっても、対抗手段を得るべく活動が遺伝子に組み込まれているのだろうか。

菌もまた、生きているのだと思う。

 

さて、もう一点。

耐性菌について驚くべき事にて。

まず、菌が耐性を持つスピードが早すぎるそうだ。

 

まず、大前提。

菌が耐性を持つのは、たまたまそういう菌が発生した、との偶然によるものらしい。

これは、生命の基本的な進化論に基づく。進化は必然ではなく、偶然である、と。

 

そうすると例えば。

薬A、薬B、薬Cについて

・薬Aに耐性を持ったとしても、薬Bには殺される。

 ※逆もまた然り。である。

つまり、薬A、薬B、薬Cのいずれかが効果を発揮すれば、耐性菌の問題はさほど大きくない。

 

だが、現実問題。

薬A、薬B、薬Cのいずれも効かない耐性菌がすぐに生まれてしまうのである。

 

これは何故か?

との点で興味深い本を読んだ。

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 本書によると。

 

どうやら、耐性菌は、耐性を持つための遺伝子を菌の間で水平展開できるそうである。

つまり、偶然、耐性を持った菌がその特性を代々受け継ぐのでははなく。

偶然、耐性を持った菌の特性を同世代間で受け渡しできるのである。

通常、遺伝子とは、親から子へ受け継がれるもの。

にわかに信じがたい気もするが、そういうものであるようだ。

 

遺伝子の水平展開。

人間でできたらどれだけ便利であろう、などと考えた。 

太っているから肉子ちゃん「漁港の肉子ちゃん」

"やわらかい"っていいな。

そんな事を思った。

この小説は全体的に"やわらかい"。

やわらかいものといると人は安心する。

読んでいて安心感に包まれる。

 

僕自身、西加奈子さんは2作目。

前に読んだ時も、同じようにやわらかさを感じた。

良き作風なり。

 

「漁港の肉子ちゃん」

西加奈子

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本書の主人公は、肉子ちゃんである。

もちろん、本名ではない。

あだ名である。

 

さて、あだ名が肉子ちゃんと言われると・・・

(※例えば、娘が肉子ちゃんと呼ばれていたらどうか?)

①いじめられている。

②愛されている。

のどちらかであるのは想像に難くない。

・・・

本作の主人公 肉子ちゃんは、②の愛されている。である。

ご安心を。

 

この肉子ちゃんのキャラクターが良い。

まん丸に太った明るい38歳だ。

 

冒頭を引用する。

肉子ちゃんは、わたしの母親だ。

本当の名前は菊子だけど、太っているから、皆が肉子ちゃんと呼ぶ。

 

この冒頭はインパクト大だ。

何故なら、"太っているから、肉子ちゃんと呼ぶ"なんてストレートすぎる話だからである。

メジャーリーガー渾身の一球ぐらいストレートである。

 

体型はデリケートな話題であると思うが。

肉子ちゃんはそんな事を気にもしない。

とにかく明るい。

それでいて、まぁ、騙されやすいのである。

恐ろしいほどに男運がない。

 

出会った人たちは例えば、こんな男たちだ。

・多額の借金を肉子ちゃんに残して逃げた男。

・自称学生の男。昼は麻雀パチンコ/夜は肉子ちゃんが貢いだ金で風俗。

・妻と子供がいて、別れるために慰謝料が必要とせびる男。

要するに、糞野郎どもである。

 

さて、肉子ちゃんの性格を伝える良いエピソードがある。

別れるために慰謝料を要求する男が300万を欲しがったの工面している時。

・・・

男に新しい子供ができた。

この時ばかりは、それを知った肉子ちゃんが逆上。

男の住んでいる家に乗り込もうとしたそうな。

・・・

だが、男の家の目の前に、子供用の自転車が置いてあるのを見て。

あっさりと踵を返した。

「子供には、罪はないからな!」

との事。

果てしなくいい人。

 

さて。

本書は、そんな肉子ちゃんと娘であるキクりんの人情物語である。

ちなみに、娘であるキクりんは肉子ちゃんと全く似ていない。

かしこくてかわいい小学5年生である。

そんな母子のコントラストが楽しい作品だ。

 

あらすじを引用。

男にだまされた母・肉子ちゃんと一緒に、流れ着いた北の町。

肉子ちゃんは漁港の焼肉屋で働いている。

太っていて不細工で、明るい・・・・

キクりんは、そんなお母さんが最近少し恥ずかしい。ちゃんとした大人なんて一人もいない。それでもみんな生きている。

港町に生きる肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描き、そっと勇気をくれる傑作。

 

読むと暖かい気持ちになれる。

騙されたっていいじゃない。

やわらかく精一杯生きていこう。

7,500万頭のシロナガスクジラ

"75,000,000頭のシロナガスクジラ"

わかりやすく言うと、7,500万頭。

夥しいシロナガスクジラである。

 

日本の人口が・・・1,273億との事なので。

半分、と解釈して良いだろう。

日本の人口の半分とはいえ、シロナガスクジラである。

 

巨大なのは言うまでもなく・・・

体長20-34m、体重80-190t

である。

 

渋谷はスクランブルどころの騒ぎではなくなるだろう。

  

(体長20-34m、体重80-190t) ×7,500万頭のシロナガスクジラ

 

とんでもない破壊力!!!

もし、具体的にイメージしたかったら上野の博物館に行くと良い。

シロナガスクジラの模型があるため、イメージしやすいに違いない。

・・・

さて、シロナガスクジラがどうしたって?

と思ったに違いない。

 

先に言っとくが。

シロナガスクジラは30万頭程しか地球上に存在しないとの事。

じゃあ、7,500万頭のシロナガスクジラって何だよ??

・・・

とある、総量の比較に用いられた数字である。

 

計算しておくと・・・・

100t × 7,500万である。

もう計算するのがめんどくさい。

まぁ、億トンは超えているのは間違いなし。

 

答えは…

海洋に潜むウイルスの重さの総量、である。

海にいるウイルスの総量を推測すると、7,500万頭のシロナガスクジラと同じ重さだそうなのである。

 

復習。

重さが同じ。

"海洋に潜むウイルスの重さの総量=7,500万頭のシロナガスクジラ"

 

海にいるウイルスが相当な数に事は想像できるが。

重さが、それ程までに至るとは。

衝撃的であった。

 

我々の目に見えるものは限られている。

だが、世界は目に見えるものだけで構成されているのではない。

細菌/ウイルス等の微生物まで広げると、我々の預かり知らぬ範囲で、生物がうごめいているのが世界なのである。

(※ウイルスには、生物か否か?と言った論争があるのだが、その話はさて置き。)

 

この途方もないような目に見えない世界を紹介しているのがこの本

「見えない巨人微生物」

著者 別府輝彦

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目次

1、微生物って何だろう

2、発酵する微生物

3、病気を起こす微生物

4、環境の中の微生物

との章立てになっている。

 

本書のおもしろき点。

・見えない世界の奥深き点である。

 

先に挙げた、海洋に潜む夥しいウイルスの話。

ウイルスの一つ一つの大きさを考えた時、総量だとしても重すぎる。

これが、人間の見えない世界で蠢いている事に感動を覚える。

 

さて、もう一つ驚いた事として。

菌の増殖するスピード。

 

本書では大腸菌が紹介されている。

大腸菌細胞分裂は37℃にて、20分に1回、倍加していく。

その状態が48時間続くと、いつの間にか全体積が地球の4000倍の大きさまでいくそうである。

もちろん、途中で栄養がなくなり分裂できなくなるのだが。

驚愕の増殖スピードである。

 

微生物の世界は我々の想像が難しい次元で存在している。

上記の2点は、「1、微生物って何だろう」より引用。

 

微生物について。

今まで考えた事もない知見が多かった。

 

目次の

2、発酵する微生物

3、病気を起こす微生物

4、環境の中の微生物

も興味深き内容のため、また後々に紹介したい。

映画「スポットライト」

誠実で丁寧な作品だと感じた。

純粋な娯楽とは言い難い。

だが、まさしく観る価値のある映画。

 

スポットライト~世紀のスクープ~

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カトリック神父による児童の性的虐待。

それを隠蔽する教会。

この巨大な権力に対して、新聞が立ち向かう。

 

まず、日本人からすると、カトリック教会の存在がいまいちピンとこない。

ただ、理解できずとも、話にはついていけるので心配ない。

感覚的な話をすると。

教会を疑うってのは、自分が立っている大地を疑うようなものなのだと思う。

 

権力を持つ者に対して、言論で立ち向かう。

"ジャーナリズム"の理想の姿ではないか?

 

批評が目的ではない。

重要なのはムーブメントである。

言論により、社会の波を生み出すのがジャーナリズムなのだ。

 

批評家について考える時。

常に思う事。

行動をしない批評家は無価値である。

もしくは、行動につながらない批評は無様である。

 

会社において・・・

"〜すべきだ!"と毎回会議で同じ主張する者。

ならば、今すぐやれよって話なのである。 

どんな批評も最終的には行動につながらなければ意味がない。

 

ただ、常に行動者が偉大か?と言うと、そうでもない。

木を見て森を見ぬ"即時実行型"の人物は大抵チームを混乱に導く。

そこら辺が難しい所である。

 

特に、不特定多数に対して情報を発信するマスメディアはこのジレンマに陥りやすい。

 

昔、就職活動で新聞社を訪れた時。

こんな場面を見たことがある。

 

学生「社会を変えたいと思って新聞記者を目指しています。」

新聞記者「それならば、政治家になったらどうだろう?」

・・・

これはまさしく正論だと思った。

新聞記者は、行動者ではない。

社会の変革における内側にいないのである。

・貧しい人へのセーフティーネットを。

・男女平等の社会を。

・環境に優しい社会へ。

・・・

そんな御託をいくら並べても社会は変わらない。

実際に社会を変えるのは、そこにいる人々である。

 

では?

新聞とは?ジャーナリズムとは?

 

社会の中で照らすべき所を照らす"スポットライト"である。

人々の耳目を集める。

隠蔽された真実を明るみに出す。

結果、社会が進むべき方向を選ぶ。 

進んでいく道筋を決めるのではない。

判断するのは、人々である。

 

本作を観た後。

映画的な感想よりも、歴史的な事実(実話に基づくとの事)に対する思慮が先にある。

マスコミと聞くと、嫌悪感がある人もいるとは思うが・・・

この映画を観ると、役割の重要さを改めて感じる。

 

※追記

信念を持って、何かに取り組む姿はカッコイイ。

不謹慎について

"不謹慎だ!"

とよくネットで話題になる。

震災後に笑顔の写真をSNSにアップすると、"不謹慎の大合唱"が始まる世の中である。世知辛い事、この上なく。

※この件について、個人的には叩くほどの事か?と思う。

 

雰囲気で察してもらえたかもしれないが・・・。

個人的に、この"不謹慎の大合唱"があまり好きではない。

※最近、不謹慎狩りに対する批判も多いしね。

 

そもそも、不謹慎とは?

・本来は慎むべき状況で、その場にそぐわない行動をする事。

として考えられる。

 

例えば、葬式で笑ったら不謹慎、とされる。

 

僕自身は以下の条件に合致する際、不謹慎だがニヤけてしまう。

 

<条件>

①自分も含めた複数の人で怒られている。

②ただし、自分には全く落ち度がない。且つ、怒られている中心人物ではない。

③怒っている人は理性を失っている。

④内容はどうでもいい事。

 

こういう場合、"うわ、こいつめっちゃキレてる・・・"とおかしな気持ちになってしまう。

(このシチュエーション自体に多くの人が同意してくれるかは不明だが。)

緊張感がある場面で、笑ってしまった or しまいそうになった、経験は誰しもあるのでは?と思う。

 

ただし、緊張感のある中で笑ってしまったら=不謹慎であるか?と言えばそうではない。

逆に、緊張感の中で笑いが生まれて、場が和んだ、経験も多い。

場が和むのみならず、大抵の場合、その後、良い方向に進む。

その時の笑いは不謹慎とされない。

 

個人的な意見を言えば。

緊張感のある場で笑いを生みだせる人は懐が深い。

且つ、尊敬すべき人である事が多い。

 

一方、緊張感を伝染させる人もいる。

不自然に緊張している人は周囲を緊張させてしまう。

これは空気感染である。

部屋一体を緊張させる"緊張感パンデミック"を起こしてしまう人は社会から疎んじられる場合が多い。

決して、不謹慎との批判は受けないが。

 

笑いと緊張感は対極の存在ではない。

(不思議な気もするが。)

緊張により生まれる笑いも存在する。

変な緊張感が面白く感じる事もある。

 

イメージをする。

円を描くと、始点と終点は同じ所でつながる。

笑いと緊張感の関係は円で表現できる気がする。

緊張感が高まるにつれて笑いから離れているような気がするが、ある所まで行くと原点に戻ってくる。

結局、切っても切れない関係なのであろう。

この考えは、人間は何故笑うのか?との難問と根っこを同じくすると思う。

 

さて、不謹慎に話を戻す。

不謹慎だ!と叩かれるのは、多くの場合、緊張感が蔓延すべき事態において、である。

まぁ、平たく言えば、こんな大変な時に何を呑気なって話なのだが・・・。

 

緊張ばかりしていても仕方がないし。

緊張感は一回りすると笑いに変わると思う。

円は進み続ければいつか原点に戻るから。

緊張感の中で見つけた笑顔は、原点に戻るべく道標である。

大切にした方が良いのではないだろうか、と考えた方が良い気がする。

映画 「ルーム」

深い闇から抜けだして一歩を踏み出す時、小さな勇気が強く背中を押してくれる。

心に重くのしかかっていたものは…

小さな勇気と一緒なら全く違う景色に見えた。

・・・

これは、小さな勇気の物語。

新しい世界へ踏み出す、小さな小さな勇気の物語。

 

映画「ルーム」

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これは母と子の話。

二人は狭い部屋にいる。

それが何故なのか?はわからない。

だが、観客は次第に知る事になる。

部屋が母子にとって何を意味するものなのか。

 

※以下、予告編で触れている範囲で。

 

母と子は、"監禁されている"のである。

小さな部屋に7年。

ある男に監禁されている女。

女は19歳の時に見知らぬ男に監禁されて、そこで子供を産んで母親になった。

 

主題を明確にしておこう。

母親は監禁した男の子供を産んでいる。

つまり、レイプされたのである。

もっと言えば、7年間監禁されレイプされている、のである。

 

この点について。

主題が明確。

レイプした監禁犯の子供を産んだ。

その子供を心から愛している母親について。

 

だからといって、レイプシーンが連続するような映画ではない。

本作は子供の視点で描かれる。

だから、我々は、結果としてそうなっている事のみを知る。

 

子供は、その部屋以外の何も知らない。

自分が監禁されている事すらもわかっていない。(教えられていない)

産まれた時から部屋にいるからである。

子供の名前はジャック。

そう、ジャックにとって"部屋"は世界の全てなのである。

 

ポスターに載っている

"はじめまして【世界】"

とは、文字通りの意味である。

ジャックは、外の世界について何も知らない。

彼にとって、部屋にあるもの以外は全てがはじめまして、なのである。

 

本作は、単純な監禁されている部屋からの脱出劇ではない。

肉体的な監獄よりも精神的な監獄に重点が置かれている、と思う。

ジャックが未知の世界に歩んでいく物語なのである。

 

犯罪被害、において。

世界はあまりに残酷な時がある。

興味本位の世間であったり、マスコミの取材合戦もある。

被害者に落ち度があったのでは?と見られる事も。

心ない言葉に傷つく事もあろう。

そこから、逃れるためには部屋に閉じこもるしかないのか。

・・・

違う。

ただ、世界はそれだけではなく。

一方で、つなぎとめるものがある事を知る。

部屋のドアを開けようとしてくれる存在がいる。

 

劇中。

ジャックが世界とのつながりを持った瞬間がある。

母親以外の世界と初めて、つながりをもった時。

とてもありきたりな、使い古された言葉で表現されたのだが・・・。

心に染みた。

 

観ている最中におもしろい映画と言うよりも。

観終わった後に心に残る映画であったように思う。

 

 

 

 

 

 

 

細菌とウイルスの話。

細菌とウイルスの話。

目に見えない奴ら。多くを知らず。

 

僕自身の認識から話を始めたいと思う。

 

まず、僕自身、細菌とウイルスの区別が不明であった。

細菌?ウイルス?そんなん知らねーよ。

どっちも風邪を引き起こす悪い奴らだろ?"

…との認識。

 

常識的な話なのかもしれないが。

知った時の"え!そうなんだ!"との感情は強いものあり。

説明を試みたい。

 

■大きさ→"ウイルス<細菌"である。

ウイルスよりも細菌の方が大きい。

 

具体的な大きさを比較すると。

 

・髪の毛の太さ…約80マイクロメートル

 ※(剛毛の人はどうだか知りません)

大腸菌(細菌)…約3マイクロメートル

・インフルエンザウイルス…約100ナノメートル

 

ナノメートル???何じゃこの単位は?

…となった人のため、マイクロメートルに合わせましょう。

 

・インフルエンザウイルス…0.1マイクロメートル

→髪の毛の太さが80マイクロメートルですので、小ささが浮き彫りになります。

 

冬になると、インフルエンザウイルスが大流行。

我々は、かなり小さい奴らに倒されているわけですよ。

 

ただし、違うのは大きさだけではない。

ウイルスには細胞がない。

そのため、エネルギーやたんぱく質を生み出す事ができない。

 …

要するに、ウイルスは独力では生きる事ができない。

故に宿主が必要。

よって、ウイルスは我々と同盟を結んでも不思議ではない。

つまり、宿主が死んでしまったらウイルスも共倒れする

 

例えば、会社に入社したとして。

会社が潰れたらあなたの給料は支払われなくなります。

よって、あなたは会社が潰れない程度にがんばります。

非常に単純な話。

そこには共生関係がある。

 

この共生関係がウイルスを考える上で重要。

ウイルスも、宿主にダメージを負わせたくないのだ。

 

この事を考える上で、おもしろき例あり。

紹介したい。

 

1950年代のオーストラリアにて。

ウサギが爆発的に増殖し、食害などを引き起こし問題となった。

そこで、ウイルスによるウサギ駆除作戦が立てられた。

 

作戦はシンプル。

・ウサギ粘液腫ウイルス(ウサギ致死率 99.8%)を使用して駆除する。

つまり、ウイルスをばらまくことでパンデミックを引き起こす作戦。

 

99.8%致死のウイルスである。

ウサギにとっては恐怖そのもの。

インフルエンザウイルスがかわいく思える。

 

当然、効果あり。

6億羽と推定されたウサギの90%は駆除されたとの事。

 

さて、問題はここから。

致死率 99.8%を誇るウイルスの致死率は未来永劫変わらなかったか?

 

否。

 

・2年後には致死率 80%

・6年後には致死率 20%

と致死率は低下していった。

 

ウサギの免疫によるものである。

何となく理解できる。

 

ただ、驚くべき事は・・・。

6年の時を経て、ウイルス側も変化していた事である。

つまり・・・

①6年間経ち、致死率が20%に低下した状態でウサギからウイルスを採取する。

②感染を経験していない(免疫なし)ウサギにウイルスを摂取する。

すると、ウイルスの致死率は50%程度に下がっていたそうである。

 

致死率 99.8%ウイルス

→6年間ウサギと共生

→→致死率50%に低下。

である。

 

この事、ウイルスの適応と解釈できる。

ウイルスにとって宿主を殺す事はメリットがない。

だから、ウイルスもまた変化したのである。

 

ウイルスと聞くと、誰しもが眉間にしわを寄せるような嫌われ者である。

ただ、悪気があって攻撃を仕掛けているわけではなき事。

適応さえしてくれれば、インフルエンザウイルスだってウェルカムなのだけどね。