のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「ミリオンダラーベイベー」

昔、予備知識なしに観て衝撃を受けた。

今回、2回目。

改めて素晴らしい映画と感じる。

 

多くの人に観て欲しい映画。

全てが丁寧。

 

「ミリオンダラーベイベー」

 

"選択"の物語だと思う。

 

人は誰しも、"選択"をする。

進路、転職であったり。

成功と失敗が50/50とは限らない。

時に、失敗する可能性が高くてもチャレンジする場合もある。

 

チャレンジは"成功と失敗"の可能性が表裏一体。

成功はヒーローで、失敗は戦犯。

やってみなければわからない、とは言うものの。

失敗した時の結果は受け止めなければならない。

 

本作は"選択の先にあるもの"を描く。

成功と失敗。

歓喜と悲劇。

・・・ 

"選択"には結果がつきまとうから迷うのである。

そして、別の選択肢を選んだ結果が想起されるから後悔するのだ。

 

これは誰しもが経験する事。

故に、本作は胸に迫るものがある。

 

あらすじ

ボクシングの話。

女性ボクサーであるマギー。(右)

トレーナーであるダン。(左)

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マギーは貧乏。

ウエイトレスのバイトをしながらボクシングを続ける。

話が進むと家庭環境に恵まれていなかった事がわかる。

 

ダンは、見ての通り老人。

ボクシングトレーナーである。

ただ色々な影を抱えている。

 

マギーとダン。

ボクサーとトレーナー。

二人の邂逅から始まるボクシングの物語。

少しずつ信頼を重ねて心を通わせていくが・・・

 

これ以上はネタバレになるので触れず。

ただし、ロッキー的な話ではない事だけはお伝えしておく。

 

光は影があるから存在を感じる。

逆もまた然り。

眩い光が鮮やかであれば鮮やかな程、陰影は強くなる。

 

グラデーションが巧みに描かれた一枚の絵を鑑賞した気分。

本作は、そのグラデーションの中に人間の尊厳を投影する。

 

選択に対し賛否両論はあるだろう。

だけど、個人が正しいと信じて進んだ選択の道を僕は肯定的に捉えたい。

 

宗教であったり、人種の壁の考え方が入り混じりつつ。

人間の尊厳について考えたくなる。

あらゆる問題を包括した映画。

ここまで倫理観を揺さぶられた映画は初めてであった。

久しぶりのスティーブンキング「ペットセマタリー」

久しぶりにスティーブンキングの作品を読んだ。

 

思えば、読書人生の先駆けにいるのがスティーブンキング。

地元の図書館によく置いてあった、との背景もあるが。

紡ぎ出す世界観が好きだった。

 

彼の作品は大きく二つの分類があって。

①ハートウォーミング

②ホラー

まったく逆のベクトルを描けるのが彼の実力なのだろう。

 

なお、スティーブンキングというと、あまり知らない人もいるのだが。

多くの名作映画の原作となっている。

挙げるなら・・

・「スタンドバイミー」

・「ショーシャンクの空に

・「グリーンマイル

などなど。

言うまでもなく珠玉の名作。

 

僕は、スティーブンキングをオススメする時によく・・・

「これだけ作品が名作映画になっているのだから、原作も名作に決まってるじゃん」

と言う時がある。

素晴らしい小説が必ずしも良い映画になるとは思わないが。

駄作の小説はそもそも映画化されません。

良い小説には素晴らしいスタッフがつく。

など、条件は揃うのと思う。

 

加えて、スティーブンキングの作品は映画化しやすい、と思う。

いわゆる鉄板。

僕の中では、小説界のクリント・イーストウッド的な地位を占めている。

外れがないとの点で。

 

ただ、最近、離れていたのは。

翻訳文が肌に合わない時があるため。

 

「ペットセマタリー」

著者 スティーブンキング

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あらすじを引用。

都会の競争社会を嫌ってメイン州の美しく小さな町に越してきた、若い夫婦と二人の子どもの一家

だが、家の前の道路は大型トラックがわがもの顔に走り抜け、輪禍にあう犬や猫のために〈ペットの共同墓地〉があった。

しかも、その奥の山中にはおぞましくも…。

「あまりの恐ろしさに発表が見あわせられた」とも言われた話題作。

 

スティーブンキングはホラーの帝王と呼ばれる。

その名にまったく恥じない作品。

作品で一番好きとはいかないが。

スティーブンキングが好きだった時代を思い出すには十分だった。

 

総評すると、この人は恐怖のツボを知っている。

接骨院でよく効くツボを思いっきり押されるように、恐怖のツボに圧力がかかる。

決定的なシーンの描写がとにかく怖い。

読者に恐怖のイメージが膨れ上がる。

じわじわと空気を送り込まれた風船のように

小説で、あぁ怖いな、と思ったのはスティーブンキングが初めてだったかも。

 

本作も同じく。

真綿で首を絞められていくような恐怖感でじわじわと恐怖が募る。

 

田舎に引っ越してきた家族を襲う恐怖。

人間の本質的な弱さを逆手に取られた悲劇。

誰しも、自分だったら?を想像してしまうし。

その答えに戦慄して慄く。

 

またスティーブンキングを読み始めてみようかな。

 

「ラ・ラ・ランド」〜夢に恋する映画〜

"あれ?俺の小指、骨折してんのかな・・・?"

 

フットサルのキーパーでシュートを止めてから指が痛い。

不味そうな紫芋みたいな色。

友人は・・・

"膨れてシャウエッセンみたいになってるね、焼いて食べれば?笑"

と呑気な事を言う。

 

(心の中で、お前の指が折れちまえ、と毒づきながら) 

やっちまったかな、との懸念。

じわじわ迫る痛み。

 そんな不安要素を胸いっぱいに抱きながら、映画館に足を運び。

"骨折の懸念"を完全に忘れさせる程の劇場感のある映画に出逢った。

人間、骨折したかも?と思っている事を忘れるなんてそう簡単か事ではない。

 

ラ・ラ・ランド

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映画館は劇場。

現実から乖離した別世界に人々を連れ出してくれる。

スクリーンの中に意識を没入できるのが魅力。

ラ・ラ・ランド」は観客を夢の世界にいざなう。

煩雑な現実を忘れて。

 

明日の修学旅行が楽しみで眠れない布団の中の中学生のワクワク感を映画化したらこんな感じ。

終始、テンポが良くて、ワクワクする。

音楽が気持ち良い。

ミュージカル映画

登場人物が突然、踊り歌う。

好みはあると思うが、個人的には好き。

 

花が咲かない女優志望の"ミア"と燻っているジャズピアニスト"セブ"の恋物語

・ミアがエマ・ストーン

・セブがライアン・ゴズリング

まず、二人が魅力的、痺れる。

特にライアン・ゴズリングは近年観た映画の中で最もカッコいい男であった。

(ブルーバレンタイン、ドライヴを観て完全にファンになったのだが、惚れ直した。)

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テーマは夢と現実。 

 

現実も描かれる。

オーディションに落ち続けるミア。

仕事をクビになるセブ。

それでも二人は夢を諦めない。

 

"夢に恋する映画"だと思う。

夢について考えるのはどんな時でも楽しい。

寝る前に自分の夢に思いを馳せて眠れなくなる子供のような気持ち。

本作は、かつてみんなが経験したであろう"夢に恋する自分"を鮮やかに呼び起こす。

 

僕はもう30歳になろうとしているけど。

この歳で再び夢に恋する感覚を味わえるとは思わなかった。

だから映画館に足を運ぶのをやめられない。

 

大人になって現実の中に埋没していくと夢見る事を忘れる。

鬱屈する日々だったりする。

だけど、本質的に"人は夢を見たい生き物"なんだよね。

だから、「ラ・ラ・ランド」みたいな映画を観ると心踊る。

 

なお、本作。

夢の世界へディズニーランドみたいな位置付けではなく。

ほろ苦さと儚さを兼ね備えている。

ただの夢の世界へようこそ、との映画ではない。

 

現実の中にある夢だからこそ、より一層美しく輝くのだと思い知る。

音楽が素晴らしい。

世界観に浸りたくなる映画である。

「ハサミ男」〜思わず"え?"となるミステリーの傑作〜

まあ、つべこべ言わずに読んでみてよ、とオススメする作品。 

ミステリーの傑作。

 

ハサミ男

 

殊能将之

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ミステリーで明かして良いのは"誰かが死ぬ事"だけである。

それ以上の紹介は蛇足。

犯人を知ってしまったミステリーなんて魚がいない水族館のようなものである。

 

とはいえど、あらすじを引用。

 

美少女を殺害し、研ぎあげたハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯「ハサミ男」。

三番目の犠牲者を決め、綿密に調べ上げるが、自分の手口を真似て殺された彼女の死体を発見する羽目に陥る。

自分以外の人間に、何故彼女を殺す必要があるのか。

ハサミ男」は調査をはじめる。

精緻にして大胆な長編ミステリの傑作。

 

本作を読むと、" え?"となる。

え?え?え?

"え?"の洪水である。

思わず声が出る・・・"え?"と。

※何が、"え?"なのかは読んでのお楽しみ。

 

僕は寝転がりながら本書を読んでいたのだけど。

途中で思わず座り直した。

背筋が伸びた。

衝撃のミステリー。

 

美少女を殺害してハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯 "ハサミ男"の話。

ただ、そこまでおどろおどろしい作品ではない。

人物描写の造形が深い作品でもない。

特に登場人物に共感するような事もない。

ただ、破壊力抜群の"え?"があなたを待ち受ける。

 

僕は、ミステリーの先を読むタイプではない。

気持ち良くスカーんと術中に嵌められる。

見事に嵌まらせていただきました。

 

小説の特性をここまで華麗に活かした作品は簡単に見つからない。

映画化されているようだが。

おそらく似て非なるものかと。

本作は、小説にしか成立し得ない技法で構成されたミステリーエンターテイメントである。

 

僕はミステリーが読みたい、と言う人には大抵「ハサミ男」を紹介する。

まあ、つべこべ言わずに読んでみてよ、と。

ド級の"え?"を保証する。

大江健三郎文学の金字塔。〜かつてあじわったことのない深甚な恐怖感〜

大学生時代に読んで衝撃を受けた作品。

再び手に取り、やはり衝撃を受ける。 

 

楽しい小説ではない。

個人的に暗いニュースが多いので。

どうせなら負のベクトルに突き進んでやろうと思った結果、手に取った。

 

「個人的な体験」

大江健三郎

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あらすじを引用。

わが子が頭部に異常をそなえて生れてきたと知らされて、アフリカへの冒険旅行を夢みていた鳥は、深甚な恐怖感に囚われた。

嬰児の死を願って火見子と性の逸楽に耽ける背徳と絶望の日々…。

狂気の淵に瀕した現代人に、再生の希望はあるのか?

暗澹たる地獄廻りの果てに自らの運命を引き受けるに至った青年の魂の遍歴を描破して、大江文学の新展開を告知した記念碑的な書下ろし長編。

 

頭部に異常を持つ子供が産まれた男の話。

そして、その子供が、"長くは持たずに死ぬかもしれない"と言われた時、男は何を望むのか?

障害をもって産まれてきた子供と直面する親の苦悩を描く作品。

 

苦悩・・・

そんな言葉で片付けられないかもしれず。

"人間としてどう生きるか?"との根源的な問いかけである。

 

男は、子供の死を望む。

障害をもって産まれた我が子の死を。

・・・

薄っぺらいヒューマニズム的な感情が、そうであってはならない、と思う。

だが、現実主義的な自分は、主人公の男に同調する。

 

我が子の死を望む。

そんな事はあってはならないし、あるべきではない。

ただ、頭部に異常を持った子供を簡単に受け止められるのか・・・。

子供の死を望み、何もなかった事にしたいと思わないと、誰が言い切れるのだろうか。

 

"自分だったらどうだろう?"

この問いかけは、脆弱な土台に支えられた正論を根底から覆す。

正論は当事者ではない立場だから簡単に言えるのである。

自分自身が直面した時に、局面はガラリと変わる。

 

大江健三郎さんの文学を読むと、自分が薄皮を一枚一枚剥がされていくような錯覚に陥る。

ヒューマニズムの膜に覆われていない自分の本質的な弱さが曝け出される。

何にも守られていない無抵抗な自分と対峙させられる。

 

僕自身、文学とはかくあるべし、と思っていて。

文学への没入は"自分を覆っている殻を少しずつ削いでいく作業"だと思う。

そして、"外殻が削がれ、薄膜で被われただけの自分と対峙を体験する行為"だと思う。

大江作品には、そこまで人を持っていくだけの力がある。

 

 

賞味期限とは?なんぞや?

「賞味期限切れだよ!お前は!!!」

 

独身アラサーにとって。

瀕死のアザラシを砂漠に放り投げるような辛辣な一撃。

言われた事はないが。

被弾している人は見た事がある。

(当然、変な空気になっていた)

 

世間的に男性はさておき。

女性は特にだろうなぁ。

最近、ドラマ化された「東京タラレバ娘」を引き合いに出すまでもなく。

結婚したいアラサー女性が焦る気持ちはわかる。

 

個人的には本人の自由とは思うものの。

結婚適齢期があるのは事実。

・若さが羽生えて逃げていくのも確か。

そんな人間のジレンマを"賞味期限"に比喩して揶揄する。

・・・

よく考えると、最低な悪口ですね。

 

ただ、そもそも"賞味期限"とは。

・"この期限内なら美味しくいただけますよ。"との考え方。

期限切れで即食べられないわけではない。

 

一方、対になる消費期限は。

・"この期限まで食べないとお腹こわしますよ"との期限。

 

なので。

"消費期限切れなんだよ!お前は!!!"

と言われてないだけマシ。

とのポジティブシンキングも可能である。

 

と、前置きが長くなったが。

生きていく上で重要、との点もあり。

皆さんご存知の"賞味期限"。

 

"消費期限 "と"賞味期限"の違いがわからないくらいならば許せるが。

"賞味期限"は。

→この日付以降は食べない方が良い基準。

ぐらいの常識は持っていて欲しい。

 

ただ、そんな賞味期限だが。

"そもそも誰がどのように決めているのか?"

との単純な疑問。

30年近く生きてきて、賞味期限のカラクリって考えた事もなく。

そんな時に出会った本が・・・

 

「基準値のからくり」

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内容を引用。(少々長いが)

基準値を見れば「日本」が見える!

賞味期限、食品の化学物質、放射線量、PM2.5、水質、血圧から電車内の携帯電話まで、

私たちはさまざまな基準値に囲まれて、超えた/超えないと一喜一憂して暮らしています。

しかし、それらの数字の根拠を探ってみると、じつに不思議な決まり方をしているものが多いのです。

たとえば、お酒はなぜ「20歳から」なのか、知っていますか?

基準値とは、その「からくり」を知らなければ、無用の不安や油断を生むだけの数字になってしまうのです。

本書では「基準値オタク」を自称する俊英研究者4人が、基準値誕生に潜む数々のミステリーに斬り込みます!

 

「基準値の謎」の例

●各メーカーで違うはずの食品の賞味期限、なぜどれも「横並び」になるのか?

●ひじきやコメにも多量に含まれる発がん性物質ヒ素にはなぜ基準値がないのか?

●第一原発事故後のヨウ素131の暫定規制値は、半減期による「濃度の減少」を前提としていた!

●決まるまで10年がかり! PM2・5基準値設定会議の意外な結末とは?

●同じ農薬、同じ残留量なのに、なぜ「リンゴは安全」で「キクラゲは危険」なのか?

●「避難と除染」の安全すぎる基準値と運用、これでは「福島に帰るな」と言っているようなもの!

●「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」という電車内アナウンスの奇妙さ!

●高速バスの夜間走行距離、基準値に「自信がある」ドライバーはわずか4割未満!

これらの謎の答えを知れば、「そんな決め方でいいの?」と何度も驚き、絶句することでしょう。一喜一憂する前に、ぜひご一読ください。

 

 

他の章も紹介したいが、今回は"賞味期限"を題材に。

 

賞味期限の決定は、まず検査を持って決められる。

簡単に説明すると。

 

①理化学的試験

→酸性度を示すPH、色の変化、油の酸化度合い、等。

 

微生物学的試験

→細菌検査。要するに食中毒にならないかどうか。

 

③官能検査

→食べて美味しいかどうか?など。五段階評価 。

(食べる人がいるのが驚きである。)

 

①②③の結果がつまり、保存できる期間、と解釈される。

そこに、保存状態がわからんので安全をみよう、との考え方で"安全係数"を掛け算する。

 

例えば。

①②③の結果

→10ヶ月(保存できる期間)

だけど、安全をみて安全係数 0.8!

→8ヶ月を賞味期限としましょう。

との話である。

 

ただ、"安全係数"が実に曲者で。

筆者は、製造者側が設定したい賞味期限に変更するだけの調整弁では?と語る。

 

その例として。

農林水産省の調べが引用されている。

 

飴の安全係数を一覧にした表だ。

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こりゃ、安全係数が出来レースと化している、との指摘も頷ける。

揃いも揃って、安全係数で調整されて賞味期限が12ヶ月になっている。

話し合って決めているのでは?とすら思う。

 

なんで?そうしているのか?等と考えると。

おそらく、流通を考えた製造者側の意向であろう。

つまり、"商品の回転は賞味期限が短いと早くなる"からだ。

 

そりゃそうである。

・スーパーが廃棄しようが、売れようが。

・消費者が棄てようが、食べようが。

製造者に入るお金は(あくまで一時的に)同じ。

 

消費者目線で考えても。

例えば、食べたい気分でなくても。

買ったお菓子の賞味期限が

①明日なら食べる。

②2ヶ月後なら食べない。

ならば、賞味期限は長ければ長いほど良い、とはならないのである。

 

この着眼点の最終的な着地点は、食品ロス、であろう。

社会の構造上・・・

"本当に保存できる期間"をギリギリを設定すると、商売的にロクな事がないのである。

 

商品回転率が悪くなる(可能性がある)

→上記の通り。

 

②賞味期限を検査する期間が無駄。

→例えば、新しいお菓子を売り出すとして。

→賞味期限を5年に設定しようとすると、検査に5年かかる。

→その間、売り出せないとのジレンマが発生する。

※なお、現在の決まりでは、似たような商品の賞味期限検査は必要ない。

→飴を売っている会社が新しい飴を売り出す時は"既存の飴の賞味期限を流用可能"

 

③消費者に美味しく食べてもらいたい。

→その方がリピーターがつくからね。

 

製造業の立場で考えれば。

以下の条件を満たせば賞味期限は短ければ短いほど良い気がする。

・効率的に製造できるロット

・消費者目線で短すぎない

・自社の在庫は一掃できる

 

批判しているのではなく。

自分でもそう考えるだろうなぁ、と。

 

賞味期限と食品ロスの問題は、他にも多く本があり。

テーマを知れた、との点で実に良かった。

 

さてと、最初の話に戻ると。

賞味期限なんて適当なので。

悪口に使われたとしても気にしないのが良しである。 

(それでも言われたくないけどね。)

映画「沈黙」

"対価"を追い求めた先に、"愛"はない気がする。

 

"私はこんなに頑張っているのに、あの人は評価してくれない。"

"僕がこんなに色々尽くしたのに、あの人は何もしてくれない。"

相手に対価を求め出すと関係は崩れだす。 

 

愛情に、対価の概念は必要ない、と思う。

理想論的になってしまうし。

現代社会の根底に"対価"の考え方があるのも重々承知。

 

ただ、愛情の形を突き詰めて最後まで追いかけた時。

残る言葉は"対価"ではない気がする、のだよね。

 

映画「沈黙」サイレンスを観て。

"対価"

そんな言葉を思い浮かべた。

 

"信仰に対価を求めるか否か?"

言い換える。

"私たちの祈りに対して。神は何をしてくれたのか?"

信仰もまた。

対価を求めると崩れ出すものなのかもしれない。

 

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あらすじを引用

17世紀江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされる師の真実を確かめるため、ポルトガルから日本にたどり着いた宣教師ロドリゴ

彼の目に映ったのは想像を絶する日本だった。

信仰を貫くか、棄教し信者達の命を救うか―究極の選択を迫られる。

 

ハリウッドを代表するスコセッシ監督が日本の小説家 遠藤周作の「沈黙」を映画化した作品。

 

舞台は江戸時代。

キリスト教への弾圧の話。

 

全編。

キリスト教への弾圧が繰り返される。

迫害、拷問、処刑・・・。

緊張感が保たれる描写が圧巻。

巨匠スコセッシの力量としか言いようがない。

 

僕自身は原作を読んでいたのだが。

"原作と比べるとなぁ・・・的な批評"をする隙が一切なかった。

原作を読んだ次の日に映画を観ても、感服する、と思う。

 

"キリスト教を棄てるか?命を棄てるか?"選べ。

本作を貫く問いかけである。

 

そして・・・

次々と信者たちが命を棄てていく。

信仰を守り、祈りを捧げながら。

 

苦しむ人々の声が聴こえるならば。

神はなぜ、何もしてくれないのか?

あなたに祈りを捧げて次々と弱き者が死んでいく。

神が存在するならば。

何故、祈りを捧げる弱き者を救ってあげないのか?

それでもなお、あなたは沈黙を続けるのか?

 

タイトルの「沈黙」とは。

神の沈黙の事である。

・・・

祈りを捧げて死んでく信者たちに対し、神は沈黙を続ける。

神は対価を与えない?

・・・

宣教師であるロドリゴは"神の沈黙"に揺らぐ。

目の前で拷問の果てに殺される信者たち。

"おまえが棄教すれば、彼らの命を助けてやる"と宣告され。

疑念と苦しみが渦巻く中で物語が進む。

信仰と対価を天秤にかけた精神的拷問。

・・・

そして、彼が最後に選ぶ道は・・・?

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原作と変わらぬテーマ。

"信仰と対価"の問題に揺さぶられる。

対価を求めるならば、選ぶ道はただ一つ。

ただ、それが正しい道なのか?

 

・それでもなお、信仰を守るのか。

・だからこそ、信仰を棄てるのか。

どちらの立場でも読み解けるのが本作。

 

日本人のキャストが多く出演。良い味を出している。

主演のアンドリュー・ガーフィールドも好き。