のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

ただ、騙されたと思って読んでみて「一分間だけ」

神様。

どうかお願いです。

一時間だけ、時間をください。

一年とか一ヶ月とか、そんな贅沢は言いません。

一週間、いえ、一日なんて望みません。

 

せめて、一時間だけ。

そしたら私、あの子に、リラにいろんなことをしてあげられるんです。

 

 

こんな書き出しで始まる本作。

・・・

わかりやすく泣かせにくる作品なのだけれど。

見事に、泣かされた。

(ので、家で、部屋の中で読むのがオススメ。)

 

特に、過去に犬を飼った事があって、愛情を注いだあなた。

絶対に泣いちゃいますよ。

犬を飼った事のない僕が、

涙で文字が滲んで先に進めなくなったのだから。

 

あらすじを引用。

ファッション雑誌編集者の藍は、ある日ゴールデンレトリバーのリラを飼うことになった。

恋人の浩介と一緒に育て始めたものの、仕事が生きがいの藍は、日々の忙しさに翻弄され、何を愛し何に愛されているかを見失っていく…。

浩介が去り、残されたリラとの生活に苦痛を感じ始めた頃、リラが癌に侵されてしまう。

愛犬との闘病生活のなかで、藍は「本当に大切なもの」に気づきはじめる。

“働く女性”と“愛犬”のリアル・ラブストーリー。

 

僕は本作に本屋さんで出逢った。

いつも何度でも思うけど。

素晴らしい本に出逢わせてくれてありがとうございます。

 

人生の彩りを重ねる。

自分の中の大切なものを少しずつ作品に近づいた時、

人は心が動くのだと思う。

 

本作は、たしかに"リラ"と名付けられたゴールデンレトリバーの話であるが。

そこで語られるのは、

誰かが誰かを真剣に大切に思う気持ちの温かみであったり、

大切なものに気づく、との

人生の彩りそのもの。

 

こういう作品に多くの言葉はいらず。

ただ、騙されたと思って読んでみて、と言いたくなる。

 

「一分間だけ」

原田マハ

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夢をみせる存在 「武道館」朝井リョウ

直球。

ストレートに刺さる、言葉と物語。

 

「武道館は人は、人の幸せを見たいんだって、そう思わせてくれる場所だよ。」

 

「武道館」と題された本作を紹介する上で、この一文を紹介せずにはいられない。

 

人の幸せを願うって、単純であるが実はすごく難しかったりする。

"嫉妬"とか、誰しもが持っているし。

自分の中の奥の奥の裏側に、

"人の不幸を願っているような"

そんな自分がいる事くらいわかっている。

僕は、悪魔ではないけれど、天使でもない。

そんな自分と向き合った時に。

"人は人の幸せを見たいんだって、そう思わせてくれる場所だよ。"

との一文は、

スポンジが水を吸収するかのように、心に吸い込まれていく。

 

「武道館」

朝井リョウ

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あらすじを引用。

 

【正しい選択】なんて、この世にない。

結成当時から、「武道館ライブ」を合言葉に活動してきた女性アイドルグループ「NEXT YOU」。
独自のスタイルで行う握手会や、売上ランキングに入るための販売戦略、一曲につき二つのパターンがある振付など、
さまざまな手段で人気と知名度をあげ、一歩ずつ目標に近づいていく。

しかし、注目が集まるにしたがって、望まない種類の視線も彼女たちに向けられる。

「人って、人の幸せな姿を見たいのか、不幸を見たいのか、どっちなんだろう」
「アイドルを応援してくれてる人って、多分、どっちもあるんだろうね」

恋愛禁止、スルースキル、炎上、特典商法、握手会、卒業……
発生し、あっという間に市民権を得たアイドルを取り巻く言葉たち。
それらを突き詰めるうちに見えてくるものとは――。

「現代のアイドル」を見つめつづけてきた著者が、満を持して放つ傑作長編!

 

アイドルの物語である。

別に僕はアイドルの追っかけではないのだが。

かなり楽しめる(と言うか、突き刺さる)作品であった。

朝井リョウさんって、突き刺すのがうまいなぁ、と思うのである。

 

本作の主人公は、愛子。

NEXT YOUとのアイドルグループで活動する女の子である。

ただ、踊って歌うのが好きな普通の女の子・・・。

 

アイドルには偶像、との意味がある。

偶像崇拝は人にとって精神安定剤のようなもので。

そこに人々は拠り所を見つけて、夢をみる。

でも・・・

"こうあるべき"とか、"こうあってほしい"を押し付けられるのは、すごく重たい事で。

重圧、と呼ばれる魔物が人を飲み込んでしまう。

 

僕はアイドルについて、あまりよく知らないが。

何かの折に、彼女らを見る度に、背負っているものの大きさに感嘆する。

誰かの夢をみせる存在になる、とは、簡単な事ではなく、ただただ重い。

 

普通の女の子が、それを背負う。

そこに本作が心に刺さる理由がある。

 

 

 

刹那が故の美しさ「DIVE」

最上級にきらめいている小説。

青春時代にスポーツに明け暮れた人は誰しもこの小説でときめく。

ストレートをど真ん中にパシッと決められた感じ。

言葉にするのが野暮であると思えるくらい、

読後の感想は気持ちが良い。

 

「DIVE」

森絵都

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あらすじを引用

 

高さ10メートルの飛込み台から時速60キロでダイブして、わずか1.4秒の空中演技の正確さと美しさを競う飛込み競技。

その一瞬に魅了された少年たちの通う弱小ダイビングクラブ存続の条件は、なんとオリンピック出場だった!

女コーチのやり方に戸惑い反発しながらも、今、平凡な少年のすべてをかけた、青春の熱い戦いが始まる―。

大人たちのおしつけを越えて、自分らしくあるために、飛べ。

 

本作は飛び込み競技に挑む三人の少年の話である。

青春スポーツもの!

と言い切ってしまえば単純なのだけど。

スポ根的な話とは少々異なる。

 

これは、少年たちの決意の物語である。

少年たちの無垢な魂が、自分自身と向き合って前に進む決意をする力強い物語である。

そして、本書を読むと、"決意"とはかくも美しいものであると知る。

 

本作を読んで、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を思い出した。

過去に紹介した記事はこちら。

 

anfield17.hatenablog.com

 

音楽と飛び込みは種目が全く異なるのだけど。

自分の源泉的な熱い部分を撫で回すような感覚は一緒。

30歳を過ぎた男の気持ちとしては、

"あ、その部分掘り起こしちゃいますか・・・"

との気分。

具体的に言うならば、

"部活をやってた頃のような青春的なエネルギーを発散する感じ"

 

部活をやっていない人からすれば、

甲子園でヘッドスライディングをする高校球児が持つ無垢なイメージを抱いていただければ、と思う。

揺さぶられる、とでも言うか。

使い古された言葉でならば、感動、する。

小説の持つ力として、"呼び起こす感覚"が挙げられる、と思う。

つまりは、自分の人生に重ねて追体験できる感じ。

本作はまさにそういう作品である。

 

情熱とか、熱すぎるのは野暮ったい?

そうではなくて、

熱くて、痛々しいけれども、美しさがある。

この小説は青春が刹那である故の美しさを雄弁に語る。

 

 

永遠の出口 森絵都

その感情を唯一無二の正しいものだと思ってた。

遅れてくるのがカッコイイ。

当時は本当にそう思っていたのだから不思議。

その時、その瞬間は、

人生の全てだったものが。

今考えると、

大したものじゃなかったりする。

・・・

だから人生には愉悦がある。

趣があって、楽しもうと思える。

・・・

 

なんでこの人の文章は、

自分の人生に染み込むのだろう。

素直にそう思える本。

 

「永遠の出口」

森絵都

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あらすじを引用。

「私は、“永遠”という響きにめっぽう弱い子供だった。」

誕生日会をめぐる小さな事件。

黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。

ぐれかかった中学時代。

バイト料で買った苺のケーキ。

こてんぱんにくだけちった高校での初恋…。

どこにでもいる普通の少女、紀子。

小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。

第一回本屋大賞第四位作品。

 

刺さった言葉を引用する。

 

裏を返せば、私はそれだけ世界を小さく見積もっていた、ということだろう。

年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれ落ちたものばかりであふれていることを知った。

自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部に過ぎないのだ。

 

それから長い年月が流れ、私たちがもっと大きくなり、分刻みにころころ変わる自分たちの機嫌にふりまわされることもなくなった頃、別れとはこんなにもさびしいだけじゃなく、もっと抑制のきいた、加工された虚しさや切なさにすりかわっていた。

どんなにつらい別れでもいつかは乗りきれるとわかっている虚しさ。

決して忘れないと約束した相手もいつか忘れると知っている切なさ。

多くの別離を経るごと、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。

 

僕自身もう30歳を過ぎて、大人になった。

時々、手に入れたものと、

失ったもののバランスについて考える事がある。

それでも思うに、

どちらが良くてどちらが悪いのではなく。

今はこうで昔はああだった、のである。

そこに優劣はない。

 

僕らは年を経て、

そこに永遠を見出さなくなった。

 

高校生の時、付き合った人とは、結婚するものだと思い込んだけれど。

今、考えると、

その可能性は微かなものであったのだと知る。

 

一緒に遊んでいる友達が、

永遠に親友である事が、

幻想であったのだと知る。

 

小学生の時に、ありとあらゆるものに対して、永遠の輝きを感じていたのはなんだったのだろう。

本書は、その当時の気持ちを色彩画の如く蘇らせる。

それはあまりに鮮やかで、

且つ、知られてはいけない私生活の部分を知られてしまったかのように、

恥ずかしい部分もあるのだけど。 

それでも、

それが人生であると、

包み込むような優しさで語られる小説。

 

僕はこの本が大好きだ。

月面着陸の重さ。ファーストマン

月面着陸、と言われると、

何だか自分とはかけ離れている話で、

現実味が全くなく。

想像するのは、

炬燵の中でぬくぬくとみかん食べながら、

自分が雪山で遭難して凍死する場面を思い浮かべるくらい困難な作業である。

 

そんな月面着陸であるが。

僕自身が産まれる前(僕は1987年生まれ)に既に成し遂げられていたのだから驚くべき事。

現代社会では、お金さえ積めば月に行けそうな雰囲気はあるが。

それでもなお、人類が、月に行くために傾けた情熱は、素晴らしいものである。

事実を知っていても、

物語は知らなかった。

故に、感動がある映画。

 

月面着陸と言葉にすれば、容易いが。

物語にすると、重み、質感が凄い。

その点が映画の中で、音と映像美により巧く表現されている。

 

よく考えると、

人が宇宙に行くのが、多難であるのは明らかで。

どういう人がどんな思惑で、とか。

個人の想いとか。

諸々を背負って打ち上げられたロケットは、

一言で言い表すならば、ロマン以外の何物でもなく。

 

自分の中にある大切な何か・・・

そこに、重ね合わせることにより、深みを増す映画だと思う。

 

「ファーストマン」

ライアンゴスリング主演。

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僕はライアンゴスリングが好きで。

ブルーバレンタイン

・ドライブ

・ララランド

どれも大好きな作品にて。

そのライアンゴスリングが主演ならば、映画館に足を運んでみようと思いて。

 

少々、冗長であり、退屈な部分もあると思う。

故に、諸手を挙げてとにかく観てくれとまでは言えない。

 

ただし、その辺りの忍耐力も含めて、”人類が月に行く偉業"そのものなのであると思う。

(無論、経験の及ぶ範囲ではなく、想像力の補える範疇でもないのだけど)

とかく、月面着陸たる偉業の重みを知るには重要な価値のある映画。

 

言葉にすると物語を喪失する。

年表にすれば、

・1969年に人類初の月面着陸 アポロ11号

との一言。

 

ただし、この映画の中で語られる"月面着陸"の物語には血が通う。

船長であるアームストロングが言う、

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。

との言葉は、実に鮮明に脳裏に残り、心に刺さる。

 

 

と上記の如く、

本作は月面着陸たる人類の偉業に血肉を通わせる映画である、と言えるが。

プラスして、船長であったニールアームストロング個人を語る物語である。

そこについては、エンディングまで含めて個々人により解釈が異なる気もするのだけど。

個人的には、最後のシーン、残像として心の中で燻り続けている。

 

エンターテイメントではなく。

記憶に残る映画として。

月日は光陰矢の如し

1年って早いなぁ、と日々思うのである。

 

"光陰矢の如し"とはよく言ったもので。

1週間が経つと、今週も早かったなぁ、と思い。

1ヶ月が経つと、今月も瞬く間、と思い。

1年が経つと、早すぎて焦る、のである。

(それでもなお、職場のくだらない会議が長く感じるのは何故でしょう?)

(愚痴を続けると、主催者だけがその会議に意義を感じているのだから困ったもの)

 

昔と比べると、云々、との話があって。

大人の6年間と、小学生時代の6年間はスピード感が違うような気がするのは、確かにその通り。

僕はもう31歳の良い大人で、

1年は早いものであると、日々思うのであり。

それは、ただ単純に、日々に慣れた(出勤して自宅に帰る日々)結果であると思っていたのだが。

決して、それだけではないらしい。

 

なるほどなぁ、と思ったので紹介する。

 

紹介する本は、「動的平衡

福岡伸一さん

 

動的平衡については、過去にも紹介をしている。

 

anfield17.hatenablog.com

 

 歳をとると、時間の経過が早く感じるのは何故か?

(もちろん、上記のように日々に慣れた事もあるのだろうけど)

一因として、体内時計のずれ、が指摘できるそうである。

 

体内時計については説明するまでもない。

規則正しく生活をしていれば、夜は眠くなるもの、との当たり前に思える人体の仕組み、である。

 

体内時計のメカニズム、とはイマイチ完全に説明がつかないらしいのだが。

その仕組みは、主に、たんぱく質の分解と合成のメカニズムによるらしい。

いわゆる新陳代謝である。

 

新陳代謝とは、言うならば、"動的平衡"の肝である。

ただ、その点については、今回で紹介は避ける。

 

ポイントは、

新陳代謝とは徐々にスピード感が失われるものである、との事。

言い換えるなら、

我々は歳を取るごとに、

時間の流れよりも、新陳代謝(自分の細胞の入れ替わり)が遅くなっている、のである。

 

体内時計とは、

その新陳代謝(動的平衡)をキーにしている、との事。

なので、なにが起きるか?と言うと。

新陳代謝のサイクルが遅くなる=体内時計のスピード感が遅くなる。

つまりは、自分ではそんなに時が経っていないように思える(体内時計の進みが時の流れに対して遅いのだから当然)のが基本になるので、

相対的に月日が経つのが早く思えるのである。

例えば、新幹線に乗っている時に道路を走る車が遅く見えるのと同じ原理である。

 

僕自身、月日が早く感じるのは、単純に感動する気持ちが薄れたため(新しく体験することが少なくなった)と思っていたが。

必ずしも、そうではないとの点に、少々安心である。

 

 

親友に逢えない人生なんてまっぴらだ。

「でも俺たち、いつまでもそういうバカでいたいなって、十年前に話してたんっすよ。

そりゃ十年も経てば誰だって仕事してるだろうし、結婚もしてるかもしれないし、もしかしたら子供だっているかもしれない。

今よりも大事なもんが増えて、責任も、足かせも、いろんなもんが増えているだろうけど、でも十年のうちでたった一日、みんなと草野球ができないような人生はごめんだよな、って。

十年のうちで一日ぐらい、野球のためになにもかも投げだすようなバカさ加減だけはキープしたいよな、って・・・・

俺たち話してたんっすよ。」

 

 

この一文にブワッ。

ボールの芯を綺麗に捉えたホームランのように、心地よく涙腺崩壊のスイッチを叩かれた。

 

短編集の一編。

他にも良い作品があり、まさに傑作。

「カラフル」に続き、森絵都さんの作品を読み、完全にハマった。

 

読後に残る余韻。

感情の揺さぶり。

これだから読書はやめられない。

本を当たり前のように日々読んでいると、

時々、感動が薄れているのかな?と思う時があって。

高校時代に、貪るように本ばかりを読んでいた時期と比べると、感動する事が少なくなったと感じていたが。

こういう本に出会うと、決してそういう事はなかったのだと気づく。

 

「風に舞い上がるビニールシート」

森絵都

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あらすじを引用。

才能豊かなパティシエの気まぐれに奔走させられたり、犬のボランティアのために水商売のバイトをしたり、難民を保護し支援する国連機関で夫婦の愛のあり方に苦しんだり…。

自分だけの価値観を守り、お金よりも大切な何かのために懸命に生きる人々を描いた6編。

あたたかくて力強い、第135回直木賞受賞作。

 

 

本作は短編集であり。

先に引用した作品は「ジェネレーションX」からである。

 

上のあらすじには「ジェネレーションX」に関する記述はないので、僕なりにあらすじを紹介する。

 

本作は、冴えない中年サラリーマンと、(一見)常識知らずの若者の話。

とある仕事で、二人は宇都宮在住のおばさんの元へ謝りに行くのだが。

若者は、車中、電話で仕事とは関係ない明日の話ばかりをしている。

中年サラリーマンは、仮にも仕事中だろう、と眉をひそめるのだが。

諸々、話を聞いていくと・・・

との形でストーリーが展開していく。

 

僕は今、もう30歳の前半で。

 

縛られるようなものはなにもなくて。

自由に過ごしているのだけど。

(それが幸せかどうかはさておく。)

 

自由を失っているような友達もいて。

(再度、それが幸せかどうかはさておく)

 

逢いたいのに、逢えない。

たとえ、最高の時を過ごした、親友であっても。

 

最近、人生なんてそんなもんだよ、と諦めてた部分もあった。

でも、本作を読んで、

決してそうではない、と改めて思う。

親友に逢えない人生なんてまっぴらだ。

 

何かを棄ててでも、今年は親友に逢いにいこう。

そんな事を思った。