インプットよりもはるかに重要な事は"アウトプット"である。
社会人になって何年か経つと。
"自分なりの仕事術"が身につく。
指導ご鞭撻、諸々の結果であったり。
自分の中での試行錯誤の末でもあり。
まあ、何にせよ。
仕事のスタンスは固まってくるものである。
当然、僕自身も、"こうあるべき"論はあって。
語り出すと多々思う所あるのだけど。
読んでいる本の内容とリンクする部分あり。
"新しい発見!"
ではなく
"そうだそうだ!まさにその通り!"
と共感するパターン。
ただ、自分の考えていた事は間違ってなかったのだな、と自信に思うは良い事だと思うのである。
まずは、本のタイトルを紹介。
「アウトプット大全」
樺沢紫苑
サンクチュアリ出版から。
読了はしてないが。
現時点で記事にするに値する。
本書の肝。
インプットよりアウトプットが重要である、との事。
これは、まさに真なる事で。
アウトプットなきインプットは意味がない、と言っても過言ではないように感じる。
本書の中で
どちらが成長しますか?との問いで。
①月に3冊の本を読んで、3冊の本に対してアウトプットする人
②月に10冊の本を読んで、アウトプットしない人
話の流れ上、わかると思うが。
前者である、との主張。
全面的に同意である。
読んでの部分がいわゆるインプットであり。
アウトプットとは、
例えば、
"この本の〜な部分がおもしろかった!〜に役立つから絶対読んだ方がいいよ!"
と人に紹介する試みである。
何故、アウトプットが重要であるか?
との点。
僕自身の経験も踏まえて。
インプットだけの知識は大抵理解していない!
これに尽きる。
下記にポイントをまとめる
・アウトプットできる = インプットしている、と言える。
・インプットとは"理解したつもり"になれるものである。
・インプットが成功した、と断言できるのは、アウトプットに成功した時である。
上記、ご納得いただけるかどうか。
納得いただけない場合。
例えば、一番直近で読んだ本の面白かったポイントをアウトプット(人に紹介)してください。
と、頼まれたとする。
・・・
"なんも思いつかねぇ"
となったならば。
貴方のインプットとは何だったんですか?
との話になる。
これは"インプットできていない"と同義語なのである。
頭のいい人はそうではないのかもしれないけど。
凡人からすると、自分が理解したかどうかを図る尺度はなかなかない。
無知の知、ではないけれど。
自分が理解していない、と認識する過程は、結構難しい。
人間は理解したつもりになる生き物である。
断言してもいい。
自分も含めて、絶対にそうである。
周りにはうようよと理解したつもりの大人が蔓延っている。
僕自身は、自分が理解しているのか?を確認するため、
誰かに説明するとしたらどう語ろう?と必ず考えるようにしている。
もし語れなければ、それはインプットできていない証拠なので。
再びインプットするわけである。
(僕自身がブログを書く理由もその点にあり)
一番良いのは声に出して、人に説明する事である。
声に出す事による記憶定着の効果も含めて。
理解するために重要極まりない事であると思う。
大学時代に僕は
"本を読んだ後に、読んだ本について語れない事"に違和感を感じた。
社会人になって僕は
"情報収拾だけでは意味がない事を知った"
アウトプットが一番大切である。
引用しよう。
"現実世界はアウトプットでしか変わらない"
できるだけアウトプットをすべし。
僕はアウトプットする前提で本を読むようにしている。
そうでなくては自分がインプットできているか確認できないので。