「はい、今日の給料はビールです」って言われたら、あなたは働きますか?
昔、どこかで読んだんですよ。
古代エジプトでは、ピラミッドを建てていた労働者に、給与としてビールが配られていた!!!
え?
ビール?
給料じゃなくて、ビール??
そう思うかもしれませんが、
これ、事実らしいんです。
暑い中、石を運び、汗だくになって働いたその対価が、ビール。
肉体労働ですよ?
でも、ふと考えるんです。
この話、実は全然笑えないんじゃないかって。
現代の「ビール」は、もっと見えづらい。
21世紀の我々には、お金がある。銀行口座がある。
でもその一方で、思い当たりませんか?
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「とりあえず頑張ったご褒美にハーゲンダッツ」
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「今月はきつかったし、週末は焼肉でリセット」
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「やりたくない仕事だけど、ポイント2倍だから…」
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「ちょっと高いけど“自分へのご褒美”ってことで」
あれ?
これってつまり、現代版のビール支給じゃないの?
快楽で労働を「ごまかす」装置
もちろん、エジプトの労働者たちが支給されたビールには、
栄養補給・水分補給・酩酊によるストレス緩和、いろんな意味があったはず。
でも現代は、どうだろう。
「今日も仕事、嫌だったな」
「でも、あのクラフトビール飲めるから頑張った」
「ポイント溜まってたから、今月は無駄じゃなかった気がする」
・・・これ、構造的にはエジプトとあんまり変わらないんじゃ?
自分は何に釣られて働いているのか?
たとえば、会社で急に「明日までにこれ、お願い」って言われたとき、
イラッとする理由の一つは、
「そのタスクが自分のビールに繋がってない」からなんです。
つまり、自分が望んだ見返りじゃないのに、強制される。
けど逆に、
「この仕事終わったら飲みに行けるから」
「上司が褒めてくれるから」
「評価が上がるから」
――こういう“ご褒美”が設定されていると、不思議と頑張れてしまう。
で、気づいたら、何年も働いてる。
もしかして、あなたも…
古代エジプトでは、労働と報酬があまりにも直感的だった。
石を運べばビール。
終われば酔える。
現代はどうだ?
「キャリアのため」
「将来の安定」
「夢のマイホーム」
…ふわっとしてる分、たちが悪い。
それらが本当に**自分の“望むビール”**なのか、確かめもせず、
何となく目の前の石を積んでないか?
だから聞きたい。
あなたにとってのビールは、何ですか?
本当にそれは、飲みたいものですか?
それとも、誰かに“配られた気分”を、ただ飲まされてるだけですか?
改めて思うのは、
なんだかんだ必死で働いた後のお酒は、
まあまあ染みる。
これ難しいところで、必死で働いてないお酒より、美味しいんだよね。
そう考えると、
炎天下の中、
ピラミッドを作り上げた人たちの、美味しいお酒って、どれほどのものなのか、とは思ってしまうものである。