本を紹介する営みについて考えてみる。
ブログを始めてもう1年以上経った。
"本"を紹介する内容が多い。
これは、僕自身が本好きである事を土台としている。
冊数で語る事は無意味だと思うが、ボリューム感をお伝えするにはちょうどよい。100冊/年ぐらいのペースで読んでいる。
僕が本をブログで紹介するのには、理由がある。
①本を読んで欲しい。
②本を読んだ事を確認したい。
①の"本を読んで欲しい"は、説明なしに共感していただけるであろう。
誰でも、素晴らしい本にであったら紹介したくなる。
(もちろん、宝物のように秘密にしておきたい本だってある。)
ただ、②の"本を読んだ事を確認したい。"は少々説明が必要だと思う。
"本を読んだ事を確認したい。"とは、何を理解したか?を確認する事である。
・・・
なぜ、何を理解したか?を確認するか?
本を読んだのに、何も理解していない事が多すぎたからである。
過去、自分の経験から。
・読み終えた本を眺めていて、 "この本どんな内容だっけ?"と思った。
・読んだ本を友人に紹介しようした時に言葉がでなかった。
つまり、読んだはずの本を一切語る術を持たなかったのである。
正直、愕然とする。
1冊の本を読むには時間がかかる。延べ5時間ぐらいだろうか。
結構な情報量があるはずなのに、自分の中に残っているものがない、のである。
どこぞの秘境で見つけた清流が流れるが如く、さらりとさらりと自分の中を文字が通過している。
"これは本を読んだと言えるのか?"
大いに悩んだ。
そして、達した結論が"何が残ったか?"を書き記そう、との決意である。
何でもいいから、本を読んだ事を爪痕として残そう、と。
最初は日記。後に、ブログに展開した。
結果的には良い事だった思っている。
脳科学の本に書いてあったのだが。
・インプットよりも、アウトプットの方が記憶に残りやすい。
簡単に言えば、本を読むより、本を書く方が記憶に残る。
(実に当たり前の話である。)
"本を紹介する営み"ってのは、なかなか悪くない営みなのだよ。
僕が個人的に信条としている事。
"理解しないと語れない。"
"語れないなら、意味はない。"
"語れるならば、理解している。"
ある本を読んで、"おもしろい!!!"と思って、友人に紹介しようとした時。
もしも、おもしろさを語る術を持たなかったら、もう一度読み直した方が良いと思っている。
読書感想文ではなく、読書紹介文を勧めたい。