のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

痛みの話。親知らずについて。

元来より、痛みがあまり好きではない。

(誰でもそうだろ、バカ。という声が聞こえてきそうである。)

ただ、多分、人より、痛い事が嫌いである。

 

サッカー部だった時代に、

情熱的なスライディングタックルを仕掛けて、

太腿の外側に500円玉以上の面積の大きな擦り傷ができた時、

痛みに負けルヨ!という具合に、

終始俯いていた日々の事を思い出す。

(間違って真冬に咲いてしまったヒマワリぐらい萎れていた)

 

ただ、特に嫌いなのが、自分で選択する痛みである。

もしくは、予定された痛みと言い換えても良い。

わかりやすく言えば、

健康診断の注射は嫌い、

でも、

いきなり暴漢が襲いかかってきて注射されるのであれば、

感情が痛みに追いつかないから比較的大丈夫な気がするのである。

 

そんな僕であるが、

生涯で最高にブルーになった痛みの経験が親知らずの抜歯である。

 

思い出すだけでも身の毛がよだつ、

あの力任せに、テコの原理で抜歯する施術。

もう21世紀ですけど?

なのに、こんなにも力技で抜くんですか?

とか思っていたら終わったのだけれど、

精神的ショックは、

ボブサップにロープ際で絶え間なく殴られ続けたぐらいの破壊力があった。

 

そんな僕の体験は、

左下の親知らずを抜いた体験だったのだけれど、

歯医者さんに行くたび、右下の親知らずも抜いた方がいいですよ?

と半年に一回言われている。

 

その度、僕は、

嫌です。

ときっぱり断っているのだけれど、

担当の歯科医さんが、

天使のように微笑みながら、理屈で攻められる。

・親知らずを抜かないと隣の歯がダメになってもっと大変な事になります。

→なぜなら、この親知らずがある事でここにゴミが溜まって・・・・

頭では理解できるが、

気持ちがついてこない典型的な例である。

 

その歯科医さんは、

実は、二人目の担当の方なのだけれど。

最初に担当してくれた時、

引き継ぎ書みたいなのを読みながら、

「左下の親知らずを抜いた時の心の傷が癒えてないので、右下の親知らずは抜きたくないって言っているみたいですけど、心の傷は癒えましたか?」

と聞かれたのが印象的である。

無論、心の傷は癒えていません、と答えたのだけれど。

(情けない男である。)

 

そんな僕もつい先日、

親知らずが黒くなってきました、と親知らず死刑宣告をされてしまい、

ついに抜くしかない状況に陥っている。

・・・

ああ!

寝ている間に誰か無理やり抜いてくれないかしらん。

 

「大人になったなと感じるとき」

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

深呼吸をすると、

怒りが消えるようになったと思う。

ただ、怒りを消すためには、

深海魚が生息するぐらいの深い呼吸が肝要である。

チョウチンアンコウが闊歩する世界を想像して・・・

水深200メートル~800メートル・・・

(あ、そういえば、昔食べたあんこう鍋美味しかったな・・・)

とか思っていると、

怒りが霧散している(事が多い)。

そんな時、ふっ、俺も大人になったな、と思う。

(個人的には、丸くなったと言いたが、そもそも、尖ってない)

 

元来、沸騰的に怒りに任せて行動するタイプではない。

怒ると黙るタイプである。

黙った結果、

「怒ってんの?」

と聞かれて、

「怒ってないです。」

「いや、怒ってるじゃん?」

「いやだから、怒ってないって。」

→この問いかけが逆鱗に触れる。

(何度も聞くんじゃねぇよ、怒ってねぇって言ってんだから)

となるタイプである。

ただ、ある時に気付いたのだけれど、

このタイプは相当めんどくさい。

寝落ちした後、午前1時過ぎにシャワーを浴びるぐらいめんどくさい。

結果、

怒りを感じたらその場から離れる。

これがベストの対応だと感じている。

怒りを内包しているとロクな判断はしない。

判断がロクでもなければ、無論、行動もロクでもない。

しかも、

人間は自己正当能力が高いので、

行動までしてしまうと、行動した理由を正当化するらしい。

恐ろしい話である。

(確か、アンカー効果と言ったような)

そうなってくると、怒りを感じた時点で、

脱出である。

深呼吸でもするが良し。

・・・

大人になるってのは、

自分を客観視する事がまず第一であると思うのである。

 

 

 

 

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実

人は生まれながらに平等である。

これは学校教育において、

源泉的な底流にあり、

常に雰囲気として学生たちを包み込んでいる呪縛であると思う。

”努力すれば、夢は叶う!”

も同様に根拠がない。

数学の証明問題であれば、

0点であるどころか、先生の心証を損ねてマイナスの評価となるかもしれない。

 

この事については、様々な意見があり。

決して盲目的に教えを否定するわけでもない。

逆の話で、

”人は生まれながらに不平等である、努力してもダメなものはダメだ!”

と教えた場合、

”じゃあ、努力しても意味ないじゃん。”

と、数学の証明問題であれば100点の論理的繋がりで生徒がやる気をなくす可能性がある。

 

努力して叶った夢ももちろんあり。

逆に、努力したけど叶わなかった夢もある。

おそらくどちらも事実であるので、

どちらかを一方的に押し付ける事が間違っているのであろう。

 

ただ、世の中には、

”それを言っちゃあ、おしまいよ”

と思わず言いたくなるような事があるのも事実で。

”結果、みんな死ぬんだから、どう生きたって一緒。”

が最たる例である。

(本当にその信念に基づいて人生を貫徹させようとしている人を見た事はないが。)

そのため、世の中には、”言ってはいけない暗黙の了解”が存在しているのである。

 

そんな”言ってはいけない”事を紹介しているのがこの本。

言ってはいけない

残酷すぎる真実

橘玲

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紹介を引用。

この社会にはきれいごとがあふれている。

人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない―だが、それらは絵空事だ。

進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。

読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。

 

言ってはいけない事、とは、

例えば、知能は遺伝する、といったような事である。

 

・大学教授の子供は頭が良い。

・この子が頭が悪いのは親がバカだからだ。

この二つは同じ事を違うベクトルで指摘しているのだけれど、

確実に後者は言ってはいけない事に属する。

 

例えば、先生が、ある生徒に、

「君の親はバカだから、君がどんなに頑張ってもバカなままだよ」

と言ったとすると、

校長先生すらも真っ青になる程の大問題となる。

 

ただ、本書の中では、身長が遺伝するのと同じように、

知能の部分も遺伝する、と語られる。

 

そうなってくると、

本人の努力ではどうにもならない部分の領域が確かに存在していて。

”じゃあ、僕がバカなのは、自分の親がバカなせいだ!”

と、(それこそバカな)論を展開する奴も出てくる気もするのだが、

そもそもの話、

頭の回転の良し悪しなんて単純な話ではなく、

親がバカだと決めつけるのもまたバカの所業である、と思ってしまうのである。

 

そういうわけで、

知識の遺伝については、

悲観的に捉える必要がない、と個人的には思うのだけれど、

どうだろうか。

恋愛中毒 山本文緒

捻じ曲がった主観。

そんな言葉が思い浮かんだ。

人が恋愛をしている時、

ほぼ間違いなく(人生の中でも最も強力な)主観の呪縛に囚われる。

それは、

恋愛に、

落ちるなのか、

堕ちるなのか、

陥ちるなのか。

ただ一つ言えるのは、

主観が客観を支配しない限り、理解できぬ行動を人はとる。

それを中毒と表現するのならば、

たしかにそうなのかもしれない、と思う。

 

「恋愛中毒」

山本文緒

 

あらすじを引用。

もう神様にお願いするのはやめよう。

―どうか、どうか、私。

これから先の人生、他人を愛しすぎないように。

他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。

哀しい祈りを貫きとおそうとする水無月

彼女の堅く閉ざされた心に、小説家創路は強引に踏み込んできた。

人を愛することがなければこれほど苦しむ事もなかったのに。

世界の一部にすぎないはずの恋が私のすべてをしばりつけるのはどうしてなんだろう。

吉川英治文学新人賞を受賞した恋愛小説の最高傑作。

本作を読んで、

主人公に共感できなかったとの感想を持つ人は多い気もする。

ただ、それはある種のつよがり的な部分もある気がして。

人が恋愛の渦中にいる時は、

案外、これくらい周りが見えなくなっているものであると思うし、

狭窄的視野で隘路を暗闇の中で、

目を瞑って進むようなものである。

だから故に、

人は終わった恋を思い出して、なんであんな事を世界の終わりのように考えていたのか。

と思うのだけれど。

 

角田光代さんの著作を読んでいても思うのだけれど、

女流作家が紡ぐ恋愛に関する言葉は心の芯を食う時がある。

読んでいて心地いい本ではなかったけれど、

記憶に残る本であった。

 

愛しているから期待するのか

愛しているからこそ期待しないのか

どちらも正しいことのように思えたし

どちらも間違っているようにも思えた

 

思わず、線を引いた。

言い得て妙。

さがしもの 角田光代

何かを喪った時、

それは瞬間的に貴方を追い込むものではない。

じわじわと真綿で首を絞められるかのように、

段々と心を削り取っていくものである。

削り取られたものに気づく時、

既に喪われたものは手の届かない世界に息づいている。

その大きさは喪ってから初めて知るものである。

 

人が人に恋をして、

その恋が終わる瞬間は突然に訪れる。

だけど、終わった事を認識する瞬間は、

ふとした心の間隙を縫う意図しない侵食である。

目を離した隙に溢れてしまったお風呂の水のように、

心に溢れ出た感情は抑えられる事がない。

 

さがしもの

角田光代

 

その中の一編。

”彼と私の本棚”

を読んだ時にそんな事を思った。

 

僕自身が、

ふと思った時について語るならば、

昔の恋人の好きだった料理とか、

そんなものに意図せず触れた時、

感情的に押し殺していた、喪ったものへの哀愁を感じる。

それは後悔とか、過去に戻りたいとか、といった感情ではないのだけれど、

一瞬でも愛した者への寄り添いたい気持ちが、確かに存在する。

 

”彼と私の本棚”

は恋人が別れた話である。

その恋人と別れる作業の途中で、

本棚をめぐって回想をする話なのだけれど。

僕は、この主人公が回想をするきっかけに対してたまらなく感情移入をしてしまった。

 

角田光代さんが紡ぐ言葉は、心に寄り添う。

クイックアンドダーティー

クイックアンドダーティー

多少粗くても素早く。

・・・

なるほど、これは自分に欠けている資質である。

もはや使い古された感もあるが、

僕は、

・石橋を叩いて壊すタイプ

・勝って兜の緒を締めて頭痛がするタイプ

である。

 

もちろん、

石橋である事を確認した上で渡った方が良いし、

勝っても次の闘いに備えて兜の緒を締めるのは良い事である。

ただ、そこにスピード感がないのであれば、効果的ではない。

 

まずはトライしてみる事。

答えはそうならないと見つからない。

 

上司の意向を伺う上で思うのは、

練りに練っても、

どうせ否定される事が多い。

そうなると、まずどっちの方向性か、練りきっていない状態で聞いた方が話が早い。

簡単なことではないのだけれど。

顔馴染みの本屋

顔馴染みの本屋さんがある。

最寄駅の近くのこじんまりとした本屋だ。

商売は成立しているのだろうか?と不安になる時もあり、

二週間に一回程度、足を運んでいるうちに、店長さんが話しかけてくれるようになった。

 

大抵の場合、

「こんなのも読むんですね」

とか、

「これが好きだったら、これもいいかもしれません」

といった、わかりやすいありきたりな書店員と客の会話をするのだけれど、

この前行った時、なかなかエキサイティングな発言をいただいた。

 

僕が、とある小説家の本を買ったのだけれど、

店長さんが、レジでじっと本を見つめながら、

「この人の本って、こんな事言っちゃあれですけど、面白い時はめちゃめちゃ面白いのに、つまらないときはめちゃめちゃつまらないですよね。」

今まさに、とある小説家の本を買おうとしている僕に対してである。

・・・

”めちゃめちゃつまらないですよね!”

売り物を卑下する店員って、あんまりいないな、とその時、思ったのだけれど。

僕自身も、そのとある作家さんに対して、めちゃくちゃつまらない作品があるイメージだったので、

「そうなんですよね笑」

と反応していた。

・・・

共感はプラスの側面であっても、マイナスの側面であっても、

仲間意識を生むのである。

・あのアイドルが可愛い

・あのアイドルがムカつく

との話題は、共感さえ土台にあればどちらにせよ話題としては盛り上がる。

 

二人で映画を観に行ったとして、

大事なのは、映画が面白かったか?よりも、

二人の映画に対する意見が一致する事なのではないだろうか。

そんなことすら思ってしまう。

 

僕自身、誰かと映画を観に行った時に、

一番気にしてしまうのは、一緒に行った相手が映画についてどう思ったか?

なのである。

そういう意味では、

独りで映画に行った方が純粋に楽しめるのだけれど。

 

話は少々脱線したが、

店長さんがとある作家に対して放ったコメントは、

僕の中ではしっくりくるものがあって。

プラスの側にも、マイナスの側にも、語れる土台を持った時に、

その空間は心地良いものになるのだと思う。

 

ちなみに、その時買った本は、めちゃめちゃつまらない側の作品であったが、

その事を店長に告げるほどの勇気はまだ持ち合わせていない。