"動的平衡"について思ったこと。
生命の定義に"動的平衡"の状態を挙げる考え方がある。
動的平衡とは?
・生命は細胞レベルで絶えず入れ替わっているものである、と定義する考え方である。
家をイメージして欲しい。
立派な一軒家が立っているとしよう。
その家は一度建てられたら基本的にはそのままである。
朽ち果てる時まで同じ物質として存在し続ける。
だが、生命は違う。
たしかに朽ち果てるまで同じ物質であり続けているようにみえる。
あたかも同じ物質の集合体として継続して生きているように思える。
・・・
違うのである。
物質レベルでは常に入れ替わっているのだ。
家で言うならば、"建てて壊して→建てて壊して"を繰り返しているようなものだ。
通常、家であれば朽ち果てるまでに結構な歲月がかかる。
生物は違う。
食物をそのまま食卓に置いておけば、一週間もせずに腐ってしまう。
生命活動を失った生物が腐っていくのは、まさに朽ち果てていく結果なのである。
そうならないために、 めまぐるしく次から次へと細胞を入れ替えているのである。
朽ち果てる前に壊して直してしまえ、との考え方である。
そうでもしなければ、平衡状態を保つ事ができない。
簡単に言えば、生命は動いていないと平衡状態を保てない、のである。
一見、動いていないように見えるかも知れないが、そうではない。
動いていない(入れ替わっていない)ものには朽ち果てる運命しか待ち受けていないのである。
(物理学的にいうと、エントロピー増大の法則という。)
参照に過去の記事を2つ。
この動的平衡の考え方を知った時にふと思った。
同じでいるって事は大変な事なのである。
変わらないでいる事も努力の結果なのである。
マンネリ化、とよく言うけれど。
ずっと同じ枠組みの中にいると、どうしても伸び悩む時期がくる。
果たして、自分はこのままで良いのだろうか?と悩むことも多い。
だけど、状況が変わっていない事も前進した結果なのである、と納得してみる。
動いていなければ朽ち果てていたのだよ、と。
そう思うと、少し、安心する自分がいる。