僕には才能がない。
そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。
でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。
少なくても、今の段階で必要なのは、才能じゃない。
そう思う事で自分を励ましてきた。
才能という言葉で紛らわせてはいけない。
あきらめる口実に使うわけにはいかない。
経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。
才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。
もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。
怖いけれど。
自分の才能のなさを認めるのは、きっととても怖いけれど。
努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。
自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。
それを努力と思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がっていくんだと思う。
乱暴に文中の言葉を引用するだけで、魅力を伝える事ができると思った。
それだけ・・・本作の言葉には魅力がある。
「羊と鋼の森」
宮下奈都
あらすじを引用。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年が調律師として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った長編小説。
2016年本屋大賞受賞。
ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。
あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。
もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」
ピアノの調律師について。
僕自身が調律師を題材とした小説を読んだ事がなかったので設定自体が楽しめた。
青年がピアノに魅せられて調律師としての人生を歩む。
目指す音は分かっている。
でも、どうやって辿り着くのかがわからない。
目指すべきものが茫洋とする時。
人は時に道を見失う。
調律師、とは、いわゆる正解のない世界である。
・・・
音に正解はない。
どう調律すれば、あの音に辿り着くのかがわからない。
・・・
"自分には才能がないからしょうがない"
この言葉は僕自身も口にした事のある言葉。
口にすると同時に。
自分を守る言い訳の膜を纏っていたと思う。
できない理由を自分以外の何かに預ける事で自分を正当化していたと思う。
・・・
繰り返しだが、もう一度、引用する。
僕には才能がない。
そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。
でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。
少なくても、今の段階で必要なのは、才能じゃない。
そう思う事で自分を励ましてきた。
才能という言葉で紛らわせてはいけない。
あきらめる口実に使うわけにはいかない。
経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。
才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。
もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。
怖いけれど。
自分の才能のなさを認めるのは、きっととても怖いけれど。
本作は一人の青年の物語。
青年は"才能がない"との言葉をあきらめの口実に使う選択をしなかった。
その選択が・・・
いかに自分を律した上での決断であるか。
言い訳を飲み込んだ上での強さであるか。
30年生きた僕にはそれがよくわかる。
言葉が残る。
心に突き刺さり、中で確固たる形で沈殿する。
本当に名作。
ああ、いい本との出会いはなんでかくも幸せな事なのか。