のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

「回転木馬のデットヒート」村上春樹 

35歳になった春、彼は自分がすでに人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。

いや、これは正確な表現ではない。

正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。

 

回転木馬のデットヒート」

村上春樹

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「プールサイド」との作品の冒頭部分である。

どう紹介するか、を考え、

頭を悩ませていたのだけれど、

冒頭の一文を紹介するのが一番しっくりきた。

・・・

「プールサイド」は、一人の男が人生に句読点をつける作品である。

そして、その歩いてきた道を思い、

確固たる理由もなく、明言できる何かがないにも関わらず、

涙を流してしまう小説である。

 

この小説は、

孤独な夜に一人で読むのが良い。

一人暮らしをしている男であっても、

人との関係性と空気感が薄まった時(例えば誰とも会わなかった日曜日の夜)に読むのが良いと思う。

内省的に、自分を見つめるような話であり、

孤独の中で読むべき本のように思える。

 

色々な立場の人がいる。

ある人は結婚して家族と暮らしていて、

それが幸せに思えているかもしれない。

だが、一方で、

家族の事を背負わされた十字架のようなものと思っている人もいる。

・・・

孤独な一人暮らしをしている人もいれば、

家族がいない事を自由と捉え、

自分の時間を満喫している人もいる。

・・・

ただ、どんな立場の人であっても、

今までの人生と、

これから続いていくであろう

(今までの人生からある程度は予想される)未来に対し、

虚無を感じる事はあると思う。

 

自分がどう生きたか(もしくは、どう生きていくか)に対して、

誰しもが、

完璧な満足感を得るのは難しいからだと思う。

 

それは、

人生は一度きり、との使い古された言葉に収斂されるのだけれど。

自分自身の人生は他の人は経験できない事であり、

他者の人生もまた経験する事ができないのである。

貴方の人生は貴方だけのものであり、

その中で得られるものも、得られないものも、

確実に存在するとの、

確信にも近い経験則によるものである。

 

どんな人生を送っている人であっても、

間隙を縫うように、

このように思う瞬間は訪れると思う。

 

本作の主人公もまた、

全てを手に入れたかのように見える男でありながら、

ふとした間隙に涙を流す。

 

人生で全てを得る事はできない。

だからこそ、

本作は心に残るのであろう。

 

 

「ヘヴン」川上未映子さん初の長編小説。

二人だけの世界が永遠に続くなら。

それは、無垢で、美しい世界であり続けただろうか。

ただ、永遠の雪景色は存在せず、いつか溶ける。

染まらない白色も実在せず、何かに染まる。

・・・

その優しくて無垢な細やかな世界が、

守られる事をどれほど望むか。

 

僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。

もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら

 

「ヘヴン」

川上未映子

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“わたしたちは仲間です”―十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える“僕”は、差出人不明の手紙を受け取る。

苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。

善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。

芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞ダブル受賞。

 

本作は、

苛められる男の子である14歳の僕と、

同じく苛められている女の子であるコジマの物語である。

 

書き出しを引用する。

四月が終わりかけるある日、ふで箱をあけてみると鉛筆と鉛筆のあいだに立つようにして、小さく折りたたまれた紙が入っていた。

ひろげてみるとシャープペンシルで、

<わたしたちは仲間です>

と書かれてあった。

うすい筆跡で魚の小骨みたいな字で、そのほかにはなにも書かれていなかった。

 

これは、コジマから僕へと向けられたメッセージであり、

物語の始まりでもある。

 

この書き出しに引き寄せられる。

川上未映子さんの言葉を選ぶ繊細さが好きである。

 

苛め描写は正直、心地よいものではない。

苛めとは、

人が本質的に抱えている闇の部分だと思う。

人間の深淵は極端だ。

限りなく柔らかい羽毛の欠片のように優しくなれる時もあれば、

大理石のように冷たくて堅くなれる時もある。

 

人の心は、

どうしてこうも不変的でないのだろうか。

 

漆黒の黒い存在が悪であるならば、

純真な白い存在が善であるならば、

僕たちはもっと楽に生きられるはずなのだけれど。

僕らの生きている世界はそんな単純ではない。

 

白と黒が混ざって、

灰色になっているけれど、

ある角度から見たら白くて、

真正面に捉えたら黒いから、

僕らは世界に対して混乱する。

戸惑って、何かを喪って。

そして、再生して揺るぎのない芯を得る。

そういう世界だから美しさを感じる。

 

何が善で

何が悪なのか。

誰が強く

誰が弱いのか。

 

川上未映子さん初の長編小説。

吟味された言葉が紡ぐ物語は重い。

浮遊していた物質が、時を経て、ビーカーの底に沈殿するかのように、

貴方の心に残るものがある。

ぼやけていて、掴めない何かなのだけれど、

実体として確実に存在している何かが。

 

意欲的な作品。

著者のフルスイングに対して、

読者は、深く共鳴する音叉のように、

心の水底が揺さぶられる。

それは、湖に投げられた一石のように、

心の表層に波をたてる。

父について語る。猫を棄てる。

父について、語る時、

どうしても感情が篭る。

僕の中にある、内側の内側。

根底的であり、確固たる核心的な部分。

・・・

どうしたって、

ありがとう

との言葉しか思い浮かばない。

僕は父の影響を受けて、

本を読むようになったし、必死に勉強をした。

その延長線上に、今の僕はある。

父による影響をこの上ない程に受けている。

・・・

父と向き合う事は、

男であれば誰しもが経験する事であると思う。

それが、良い感情を想起するものであるか、

それとも、悪い感慨に浸るものなのかはわからないが。

男は誰しも父親の像と、

自分の生き方を重ねると思う。

細やかな力加減で作り上げて、

出来上がった和紙を大切に扱うように、

丁寧に、

そして、何も見逃さないように慎重に警戒をして。

 

「猫を棄てる」

村上春樹

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あらすじを引用する。

 

時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。

ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。

歴史は過去のものではない。

このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。

―村上文学のあるルーツ

 

本作は村上春樹が父親について語った作品である。

すごく良い文章である。

村上春樹が優れた作家である事はこの作品を読んで再認識した。

 

”降りることは上がることより難しい”

との言葉に込められたメッセージは深淵を浮き彫りにする。

戦争と父親の事を語る村上春樹のエッセイ。

 

村上春樹を初めて読む人におすすめすることはないけれど。

どれか1作品でも村上春樹を読んだ事がある人になら、おすすめしたい作品である。

「あこがれ」清か、玲瓏、澄明な心。紡がれる言葉はどうしてかくも美しいものなのか。

「ああ、なんという多幸感。

ほとんどアニメーション映画のような疾走感と、小説にしか為し得ない感情のジャンプに陶然とする。

どうしたって、これは泣いてしまう。」

 

これは、かの有名な「君の名は。」を世に送り出した新海誠さんの本作を紹介する帯の言葉である。

これを読んだだけで、本書を読みたくなる。

 

あこがれ

川上未映子

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本を紹介する試み。

書評みたいな事をこのブログでやっているのだけれど。

大学時代の恩師に教えてもらった事で、

”書評は読んだ人を本屋に行かせて、その本を買わせれば勝ち”

と教えられた事があり。

帯のコメントも同じであろう。

手に取った人が買いたくなるコメント。

お見事。

 

おかっぱ頭のやんちゃ娘ヘガティーと、絵が得意でやせっぽちの麦くん。

クラスの人気者ではないけれど、悩みも寂しさもふたりで分けあうとなぜか笑顔に変わる、彼らは最強の友だちコンビだ。

麦くんをくぎ付けにした、大きな目に水色まぶたのサンドイッチ売り場の女の人や、ヘガティーが偶然知ったもうひとりのきょうだい…。

互いのあこがれを支えあい、大人への扉をさがす物語の幕が開く。

 

川上未映子さんの作品は、

言葉の温かさがあって。

繊細さがあって、心に刺さる。

いや、心に残る、残存する。

刺さった言葉は溶けてなくなる。

そして、自分の中に山積する。

 

2月の朝に、

雪が積もっているのを見る時、

最初に解けずに、残った雪の存在を思う。

文学の力は、その最初の雪に似ている。

心に残り、自分の軸の、何か大切な芯の部分の、

道標。

最初に解けない雪であり、

積もるための大切なものである。

 

繰り返し、自分の中、奥底に浸透させるように読みたいと思う。

和紙を制作するかのように、丁寧に、柔らかく。

 

本作は、子供の話である。

男の子の麦くんと、

女の子のヘガティーの物語。

一部と二部の構成で。

麦くんとヘガティーが主人公の話として語られる。

 

子供の心に瑞々しさを感じる時はいつだろうか。

透明さの純度。

清か、玲瓏、澄明な心。

・・・

ああ、

なんでこうも紡がれた言葉を大切にしたくなるのだろう。

 

川上未映子さんは、

子供の言葉をどうしてこうも巧みに表現できるのか。

森絵都さんを読んだ時も同じような事を思った。)

 

本作を読んだのは2回目。

何度も読みたくなる本であり、

大切に保管したいと思う。

「人は無意識に様々なメッセージを発信し続けている。」

ビジネスパーソンは、いったことや、やったことだけではなく、いわなかったこと、やらなかったこともメッセージになる」

「人は無意識に様々なメッセージを発信し続けている。」

 

これはわかるんだよな。

背中を見せる、ではないけれど。

言葉にする事だけが、

自分が発信する事ではない、と思う。

 

世の中において、

話しかけづらい雰囲気、とは、害悪である。

 

新入社員の頃に経験した事として、

上司から

「これ大至急調べておいて」

と言われたので、

最速で調べて、報告しに行ったら、

「この報告、今じゃなきゃダメ?」

と言われた事。

いやどっちだよ。

 

あれがなかったら、

もう少し、引っ込み思案じゃなかったかもしれないなと思いつつ。

ただ、あれのおかげで誰かに優しくできるのだとも思うのだけれど。

 

その当時は経験値がなかったので、

タイミング悪かったのかなぁ、と反省したのだけれど。

今思うと、無茶苦茶である。

 

詰まるところ、

世の中には矛盾した事を言う人間がいる。

ただ、矛盾した事を言っている人は、

自分が矛盾している事に気づかない。

なんともはや、話しても無駄な人は世の中に存在する。

悲しい事なのだけれど。

ストレスゼロの生き方

時々、自己啓発本を読みたくなる。

人生を歩んでいく上で、

平静を保つために、

真っ当な事を、

全力投球で投げてもらいたくなる。

それを、

バチっと受け止める事で、

時々、人は正しい道に戻る事ができる。

 

自己啓発本ってのは、大体、正論が多い。

 

正論とは・・・

新明解国語辞典で引いてみると。

正論

筋道の通った、正しい議論(主張)

多くは、実際には採用されたり行われたりすることが無い。

・・・

後半の部分での斬り方はなかなか強いものあり。

 

ただ、正論とは、必ずしも、正解ではないのだけれど。

時に、道標としては確固たるものとなる。

砂漠で遭難した人が北極星を頼りにするかのように。

・・・

(余りにベタな比喩なので言い換える。)

小学一年生の男の子が大好きな先生に諭されるように。

・・・・

 

「ストレスゼロの生き方」

Testosterone

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内容を引用。

人間関係、お金、仕事、健康、将来。あらゆる悩みをブッ飛ばす!

SNSで熱狂的支持を集めるカリスマが書き下ろした自己中心主義のススメ。 

 

著者に対しても引用しておく。

Testosterone(テストステロン)
1988年生まれ。

学生時代は110キロに達する肥満児だったが、米国留学中に筋トレと出会い、40キロ近いダイエットに成功する。

大学時代に打ち込んだ総合格闘技ではトッププロと生活をともにし、最先端のトレーニング理論とスポーツ栄養学を学ぶ。

現在は社長として働きつつ、筋トレと正しい栄養学の知識を日本に普及させることをライフワークとしている。

2014年より始めたツイッターは2019年10月時点でフォロワーが88万人を突破。

 

本作。

結構、いい事が書いてある。

いい事ってのは、そりゃそうだ、と思うのだけれど、

形として提示されると、

それは、言霊に似ていて・・・

引き寄せられる部分がある。

 

個人的、

一番刺さったのが36ページ。

すべての人とわかり合えると思うのを、やめる

世の中にはどうしても「話の通じない人間」ってのがいる。

「真摯に話をすればわかり合えるはず」と考えるのは素敵だが、その考えだと話の通じない人間に出会ったときに多大な心理的ストレスを受けるハメになる。

真面目で優しい人ほどこの罠にはまってしまうので要注意だ。

「世の中にはわからない人間がいる」

と認識しておこう。

 〜

話が通じない相手というのは地震とか台風みたいなもん。

出会ったら運が悪かったと思ってやり過ごすのが一番だ。

 

これはだいぶ気持ちが楽になった部分ありて。

個人的にも経験がありて。

どう考えても、

僕が言っている事が正しかったとしても、

子供に何かを教えるように忍耐強く、

みかんの白い筋を一本一本丁寧に取り除くように、

説明したとしても。

話が通じない場合がある。

 

そんな時には、上記の言葉を思い出すようにする。

・・・

話が通じないで思い出したのが。

犬養毅さんの「話せば分かる」との言葉である。

世の中の人が全て「話せば分かる」のであれば、

犬養毅さんは死ぬことはなかったのであろうか。

 

 

 

一人称単数 村上春樹 〜品川猿の告白について〜

村上春樹の新作「一人称単数」。

短編集である。

 

収録作は下記のとおりである。

「石のまくらに」

「クリーム」

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

「『ヤクルト・スワローズ詩集』」

「謝肉祭(Carnaval)」

品川猿の告白」(以上、「文學界」に随時発表)

「一人称単数」(書き下ろし)

 

特に最後の作品である「一人称単数」はインパクトがある作品だと思うが、

今回は、その中の”品川猿の告白”について。

 

品川猿の告白のあらすじは、

群馬県鄙びた小さな旅館で言葉を話す猿に出会う話である。

 

話す猿?

と言われると、

どうしても猿の惑星的な話を思い浮かべるが、

本編に登場する猿は鄙びた旅館に似合う哀愁の漂う猿である。

 

「ところで君には名前はあるのかい?」と僕は尋ねた。

「名前というほどのものは持ち合わせてませんが、みなさんには品川猿と呼ばれております」

 

そんな品川猿と主人公と僕は、旅館でビールを酌み交わす。

その中で、

品川猿がとある告白をするのが、本作の「品川猿の告白」である。

・・・

その告白とは、品川猿の業に近い。

人の名前を盗む猿なのである。

「〜 言い訳するのではありませんが、私のドーパミンが私にそう命じるのです。ほら、いいから名前を盗んぢまえ、なにも法律にひっかかるわけじゃないんだから、と。」

名前を盗む、とは何だろう・・・と思うかもしれない。

その観念は本作の中で品川猿が告白してくれる。

 

名前。

同一のグループに属するかどうか、

また、同一グループの中で同じ個体であるかどうか、の認識に役立つように付けられる象徴的記号。

 

誰かの象徴的な記号を盗む。

品川猿は言う・・・

「はい、それはある意味では究極の恋愛であるかもしれません。しかし同時に究極の孤独でもあります。

言うなれば一枚のコインの裏表出会う。そのふたつはぴたりとくっついて、いつまでも離れません。」

 

品川猿の告白”をどう考えるかは、

読者に委ねられる。

・・・

「〜しかしたとえ愛は消えても、愛はかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります。〜」

引用が多くなるのは、言葉が珠玉であり美しいからだと思う。

 

この作品に関連して、

東京奇譚集

にも名前を盗む品川猿が登場する。

なので、

僕は「東京奇譚集」を再読して、村上春樹について思った事を、まとめて見たいと思う。

 

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例えば、世界に歪みがあるとして、

歪みとは目に見えないが、

確実に存在する何か違和感のようなもので。

村上春樹は、

その歪みを、歪み自体を描くことで表現するのではなく、

歪み以外の何かを描くことで浮き彫りにする作家だと思う。

とても抽象的で、

核心を掴めない表現であるのだが、

そんな事を思った。