「鍵のない夢を見る」
本作は短編集であり。
その中の一編である「君本家の誘拐」を紹介したい。
子を持つ母親の話。
手にとっていたヘアゴムを棚に戻し、ふっと横を見るとベビーカーがなかった。
え、と後ろを振り返る。そこにもない。
との書き出しで物語は始まる。
娘の咲良を乗せたベビーカーが突然姿を消す。
平穏なショッピングモールでの出来事。
母親の君本良枝は焦る。
最愛の愛娘が忽然と姿を消した。
ベビーカーに乗った咲良は自分では動ける歳ではない。
警備員に相談するも、見つからない。
高まる焦燥。
・・・
・・・
・・・
過ぎる不安。
誘拐?
・・・
・・・
・・・
母の良枝は思う。
咲良を返してください。
あの子のためなら何でもする。
あの子がこのてに無事返ってくるなら何でもする。
絶対にもう二度と、手離したりしません。
大粒の涙がぼたぼたと頬を滴り、スカートの上に落ちた。
そこから物語は過去に戻る。
回想の中で、
良枝がずっと子供を欲しいと思っていたか。
娘の咲良がどれほど待ち遠しい存在であったか。
が語られる。
その中で少しずつ語られる"微妙なズレ"。
決定的ではない。
だけど、着実に軋む感覚。
子育てとはストレスのかかるもので。
僕自身は体験した事がないので慮るしかないが。
周囲のサポートなしには乗り切り難いもの。
子育てのストレスが良枝の中で歪みに変わっていく。
巧いと思うのは。
感情的なズレを読者には感じさせるも。
登場人物の心理描写としては描かない点。
故に、軋みは読者の中に残る。歪みとしてはっきりと認識する。
短編集のタイトルである「鍵のない夢」とは何であろう。
思うに。
鍵とは手段。
出るための方法だと思う。
"鍵のない夢"とは、出る方法が明確にわからない夢。
主人公が夢の中にいるような話である。
決して華やかなものではなく。
夢の中で身体が思うように動かないような、もどかしい夢なのだけれど。
「君本家の誘拐」において。
良枝にとっての鍵は何であったか?
夢の続きがどのようなものであったのか?
その分岐点の描き方が実に見事。
直木賞受賞も納得。
夢の中であなたの声を聞く。
あなたの声だけが、私を夢から覚ましてくれる。
あなたのためならなんでもする。