「戦略がすべて」
戦略と戦術の違いについて、
司馬遼太郎の小説が、ビジネス書として捉えられる理由だと思う。
戦略と戦術の違いを理解していないビジネスパーソンは大抵、ロクでもない事が多い。
戦略家は戦術家を評価し、
戦術家は戦略を知るべきである。
世の中には、
戦略を全く理解しない戦術家(自称)があまりに多い。
戦略を理解せずに、優れた戦術家でもない。
戦術家であっても、戦略を理解していない。
戦略家であっても、戦術を理解していない。
そんな人ばかりである。
戦術と戦略を解説する上で、
・森を伐採する事業があったとする。
・森をどちらの方向に伐採していくか?を指し示すのが戦略
・木の伐採の仕方を考えるのが戦術
である、との指摘を読んだ事がある。
どれだけ効率的に木を伐採したとしても、
伐採する方向を間違ってたとしたら何も意味がない。
戦術家が揃っていたとしても、
正しい戦略で導かないと、意味がない。
「戦略がすべて」
瀧本哲史
ビジネス市場、芸能界、労働市場、教育現場、国家事業、ネット社会……どの世界にも各々の「ルール」と成功の「方程式」が存在する。
ムダな努力を重ねる前に、「戦略」を手に入れて世界を支配する側に立て。『僕は君たちに武器を配りたい』がベストセラーとなった稀代の戦術家が、AKB48からオリンピック、就職活動、地方創生まで社会の諸問題を緻密に分析。
我々が取るべき選択を示唆した現代社会の「勝者の書」。
そもそも、
戦略と戦術の違いについて、ピンとこない人は絶対読むべきである。
そこに対する理解力の有無は、おそらく会社人としての人生を大きく変える可能性するある、と思う。
ところが残念なことに、
「戦術の失敗は戦略で補うことが可能だが、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」
例えば、
森を伐採して、隣街への道を開くとして、
どれだけ木を効率的に伐採して、普通ならば一ヶ月かかる伐採工程を三日で成し遂げる戦術家がいたとして。
ただ、隣街は凶悪な武装国家であり、伐採した道を通って攻め込んできたとする。
それは、
隣街へ道を開く、と決めた戦略自体が間違っているのだと言われると、
上記の言葉も納得がいくのではないだろうか。